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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

ツクヨミの神と月見の宴

「月」の話をもう少し、、、(^。^)

「月」が風趣の極みとされたのは、古く平安の頃、いやもっと以前だったかもしれません。m(._.)m

「西方浄土」という仏教の教えから、太陽が沈む西の方角に人々の関心が向いたことは容易に想像がつきますが、東から昇る月に心を寄せたのは何故だったのでしょうか?(^-^)

そういえば、古来の仏像に「日光・月光菩薩」がありますね、、、薬師如来の左右に立つ日光菩薩、月光菩薩は、太陽や月の光が差別なく照らすように人びとを見守る仏様とされています。(^。^)

ネットに、もう少し詳しい解説がありました。(^-^)

日光菩薩は日光遍照菩薩とも呼ばれ、太陽の如く光を照らして苦しみの闇を消すといわれています。 一方の月光菩薩は月光遍照菩薩とも呼ばれ、月の光のようなやさしい慈しみの心で煩悩を消すといわれています。 基本は薬師如来の脇侍で、左を日光菩薩・右を月光菩薩で三尊で並び独尊で祀られることはありません。

にゃるへそ!🐈‍⬛

この薬師経の教えでは、太陽と月は同じく「すべてを照らす」という意味において同義に考えられているようですね。(^_^)

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

では、月が太陽とは異なる意味で認識されたのはいつ頃からなのでしょうか?(°▽°)/

神話の時代に遡ると、「月読尊」、「月読神」、「ツクヨミ」に行き当たります。(^。^)

このツクヨミは、「月読」とも書き、「月を読む」から農耕・漁猟のために暦を読んでくれる神様と言われていたり、日本書紀での保食神とのエピソードから、穀物の起源をつくったと言われていたりする神様のことです。(^-^)

確かに京都の神社にも、この「月読命」を祀る処がいくつかありますね。m(._.)m

なお、日本神話の中では、月読命は夜空を支配し、月の満ち欠けと人々の生活や農業に大きな影響を与える力を持っている、とされています。(^_^)

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

そのほか、「月崇拝」なるものもあり、日本の中秋節における重要な伝統的な習慣、、、と言えば「お月見」ですが、この仲秋の名月に月見団子を供える「お月見」の習慣こそ、源流には「月崇拝」が横たわっているそうです。m(_ _)m

また、月は太陽と違い、毎日その形が変化して見え、約30日の周期で同じ形に戻ることから、生命の死と再生を連想させたそうで、これらが相まって「月崇拝」につながったのではないか、と言われています。( ; _ ; )/~~~

「月」に対する日本人の心は、とても繊細で畏敬に満ちたものだと思いませんか?٩( ᐛ )و

「儚きや月見の宴の逢瀬かな」 祖谷馬関

(注)月見は、仲秋の名月をながめ賞すること。薄を活け、三方に団子や季節のものを供える。月見の宴が催され、主人が客をもてなす。酒食のほか詩歌や謡で興趣を添える。また、松島、姨捨、石山寺など月の名所へ多くの人が足を運ぶ。
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