ほがらか”いわて”散歩道

時間や季節の流れをじっくり味わってみたい、ふと、思いはじめた私の日めくり。

岩手山の風景

2009年12月30日 | 岩手山

岩手山の写真を少し集めてみました。

岩手山の登山シーズンは、7月から9月の3ヶ月間。
この時期の山頂は、多くの人で賑わいます。

7月、焼走り登山口から2時間ほどで、見事なコマクサの群落に出会えます。

山頂でのお鉢巡りは、1周約40分。
天気の良い日には、絶対におすすめです。

岩手山は、山頂だけではなく、その裾野でも美しい光景が見られます。

夏は、七滝で水しぶきは浴びるのも気持ちがいいです。
ここまでは、県民の森の七滝登山口から30分強です。

冬の岩手山を間近に見られるのは、鞍掛山です。
多くの人が冬も登っているので、雪が踏み固められ、長靴で楽に登れます。

9月の紅葉シーズンは、網張ルートの鬼ヶ城コースが抜群です。

このコースは、網張スキー場のリフトが利用できるので、きつい登りが少なく、絶景を存分に楽しむことができます。

黒倉山と大地獄谷の景色も素晴らしいです。
七滝ルートを登ってくるコースになります。

焼走りルートの途中で出会った雲海。
雲の間に穴があいて、八幡平市の田園地帯が見えていました。

小岩井一本桜と岩手山は、相当に有名になりました。
満開の時期には、車も渋滞、三脚持参のカメラマンの方々も多く、1枚の写真を撮るのが一苦労です。


啄木新婚の家

2009年12月29日 |  いわて”あちこち”

盛岡駅から旭橋をわたって中央通りに出て、右に進むと啄木新婚の家があります。

明治38年に、石川啄木が妻の節子と3週間だけ住んだ家とのこと。

入口には、「ご自由にご覧ください、入場無料です。」の貼紙、中に入ると、管理人も誰もいなくて、勝手に人の家に入るような、申し訳ないような気持ちで見学しました。

父母や妹と同居していただけあって、間取りはけっこう広い感じです。

啄木と節子の部屋は、4畳半

「我が四畳半」という随筆に、当時の生活が描かれているとのこと。

盛岡市内には、石川啄木のゆかりの地が多く、啄木を辿りながらの市内散策なんていうのもいいかもしれません。


賢治清水

2009年12月27日 | 宮沢賢治

盛岡市内、下の橋のそばにある賢治清水です。

盛岡三名水といえば、大慈清水、青龍水、そして御田家清水ですが、ネーミング的には、賢治清水が一番有名になってもおかしくない感じです。

もちろん、この賢治清水も飲むことができます。

何故、賢治清水なのかと思えば、
宮沢賢治が盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に在学中の下宿が、この辺りにあり、その際に使用していた井戸があった場所ということです。

その井戸も、すぐそばの駐車場に残っていました。

ちなみに、宮沢賢治が生まれた花巻市には、賢治の産湯の井戸が残っているようです。

賢治清水には、賢治自筆の詩が刻まれた石碑も立っています。

「夜明げには、
まだ間があるのに
下のはし
ちゃんがちゃがうまこ見さ出はたひと・・・」

伝統行事である”チャグチャグ馬コ”の日の光景を詩にしたもののようです。


松川渓谷の森ノ大橋

2009年12月25日 | 八幡平

県民の森から七滝まで歩いた帰りに、松川渓谷にかかる森ノ大橋を歩いてみました。

紅葉の時期には、この橋からの眺めが絶景で、多くの車で混雑しますが、今は雪景色で通る車もほとんどありません。

冬、この橋は、八幡平パノラマスキー場(八幡平リゾートスキー場)と下倉スキー場を結ぶ役割りを果たします。

そして、この一帯は、四季それぞれの姿がはっきりリと感じられる場所だと思います。

冬の風景も悪くはありません。
時間を見つけて、ゆっくりと散策してみたいと思います。


冬の七滝(2009.12.23)

2009年12月23日 | 岩手山

今日の雪山ハイキングは、八幡平の県民の森から七滝を目指しました。

今の時期は、県民の森の”フォレストアイ”がスタートになります。

七滝登山口から林の中に入ると人の歩いた形跡は全くありませんが、小動物(ウサギ?)の歩いた跡だけが、ずっーと続いていて、まるで私たちを先導してくれているようでした。

木々には宿り木がいっぱいです。

歩きはじめは、新雪を楽しみながら一番前を進む元気がありました。

でも、徐々に雪が深くなり、七滝手前では、とうとう太もものあたりまで雪に埋まってしまう場所さえあり、ハイキングどころか、まさに雪山登山のようになってしまいました。

スタートから1時間半ほどで、ようやく目的地の七滝に到着です。

夏に来た時は、30分強程の道のりだったので、フォレストアイから歩きはじめたことをプラスしても、倍以上の所要タイムです。

滝の下の方は、すでに凍りはじめています。

2月から3月になると、滝全体が凍った氷爆が見られるとのことなので、その時期にも来てみたいと思います。
(氷爆の様子はこちら)
http://kenminnomori.com/

この七滝から岩手山まで7.7㎞の表示、これは、絶対無理です。

ここで昼食とし、その後の下山は楽々です。

一気に登山口まで戻り、ふと前を見ると、道路を歩かなくとも雪の中を真っ直ぐに進んだ方がちょっと近道なことに気付き、こっちを進むことに。

雪山をハイキングしていると、道路を歩くという常識さえなくなってしまいます。

フォレストアイでは、500円でスノーシューを貸してくれるのですが、今日は、つぼ足で歩いて来ました。


兜明神岳見晴山コース(2009.12.19)

2009年12月19日 |  いわての山々

兜明神岳からの下山です。

私たちが下ってきた足跡だけが残っている光景が、ちょっといい感じです。

雪山の青空のもと、木々がとても輝いて見えました。

再び、かぶと広場に戻り、ここからは、見晴山コースを下っていくこととしました。

こっちのコースには、人の歩いた形跡はまったくありませんが、木にピンクのテープが短い間隔でぶら下げられているので、道に迷う心配はありません。

新雪の何ともいえない柔らかさが足に伝わり、とても気持ちのいいルートです。

登り道は後ろをついて歩くのが楽ですが、このルートの下りは、真っ白な雪原を一番前を歩いて、自分の足跡を刻んでいくのが快感です。

途中で、木々の間から綺麗に兜明神岳が望めるポイントがありました。

時々、風が吹くと木につもった雪が舞い落ちます。

無意識に木を掴んでも雪が落ちてくるので、わざと木をゆすって後ろの人に雪をかけようとしたりたりと、まるで、子どものようにはしゃいでしまいます。

見晴山からは、兜明神岳と早池峰山が並んで見えますが、早池峰山の方は依然として雲の中です。

切り株の上に積もった雪の形も印象的でした。

後ろを振り返ると、雪原の中に3人だけの足跡が残っています。

無事に、ウォーキングセンターに到着しましたが、兜明神岳は、冬の方がとても楽しい場所かもしれないと思った一日でした。


兜明神岳草原コース(2009.12.19)

2009年12月19日 |  いわての山々

今日の兜明神への雪山ハイキングのスタートは区界ウォーキングセンターです。

天気がいいので山へ行こうとのメールに誘われるがままにやって来ました。

このウォーキングセンターから兜明神へは幾つかのルートがあるのですが、とりあえず、足跡の残っている草原コースを進むこととしました。

ずっと皆の足跡をたどって一番後ろを歩いいたので、かなり楽をさせていただきました。

30分程で、かぶと広場に到着です。

広場のベンチもすっかり雪をかぶっていました。

ここには、兜明神の方へ向った足跡のほかに、岩神山へ向からしい足跡も残っていました。

私たちが目指すのは兜明神、ここからは林の中を進むこととなります。

前の足跡は、スノーシューかワカンのようでしたが、岩場の山頂へ向った形跡はなく、兜神社の方へ続いていました。

それでも、行けるところまで行ってみようと山頂を目指しましたが、最後の岩場で、さすがに断念です。

登れないことはなさそうですが、やっぱ、長靴登山隊にとっては、ここまでとするのが妥当な判断だったと思います。

兜明神の標高は1,005mなので、我々の到達点は、ちょうど1,000mくらいだと思います。

景色は、とても綺麗で、盛岡の街も望むことができます。

早池峰山の頂上の方は、残念ながら雲に隠れていました。

昨日降った雪の量が、とてもいいあんばいで、ここまで気持ちよく歩いてくることができました。


旧盛岡高等農林学校

2009年12月16日 | 宮沢賢治
宮沢賢治が学んだ旧盛岡高等農林学校は、岩手大学の敷地内にあります。

今は、農業教育資料館として一般にも公開されていますが、冬の間の日曜日は閉館のようで、中に入れずに、ちょっと残念な思いをしてしまいました。

資料館には、宮沢賢治に関連する資料も展示されているようなので、桜の季節にでも、再度、訪れてみたいと思います。

入り口のそばの宮沢賢治の像です。

大学の中にある像だけあって、芸術的というか、少し知的にも見えます。

また、この辺りに、石川啄木の妻である堀合節子の生家があったとのことであり、その場所には「節子の井戸」が復元されていました。

岩手大学農学部の南側のこの一帯は、植物園として整備されており、誰でも自由に立ち入ることができるので、散歩とかにもちょうどいいような感じです。

北水の池もきれいでした。


新渡戸稲造生誕の地

2009年12月14日 |  いわて”あちこち”

盛岡市内を流れる中津川に架る下ノ橋のそばにある新渡戸稲造生誕の地です。

ここにある像の顔は、前の五千円の肖像とほぼ同じイメージです。

一方、ここから中津川沿いを上流に向かって歩き、市役所を過ぎた辺りにも胸像があるのですが、こっちは、名前が書いていないと新渡戸稲造とは気づかないかもしれません。

そして、新渡戸稲造を代表する「願わはわれ太平洋の橋とならん」の言葉は、盛岡城跡の二の丸に刻まれています。

盛岡市内のいろんな場所にこうした記念碑があると、まるで宝物探しでもしているような感じがします。


つなぎ温泉

2009年12月13日 |  いわて”あちこち”

盛岡市の西、雫石町との境に位置する繋温泉です。

盛岡駅から車で30分もかからないこの温泉、もりおかの奥座敷といわれるとおり立派なホテルや旅館が立ち並ぶ温泉街です。

個人的には、秘境にポツンとたたずむ古い建物の温泉が好みですが、こうした温泉で、広々としたお湯に浸かり、美味しいものをいただくのも、これもまた格別です。

つなぎ温泉のバス停から愛真館の前をとおり、四季亭の手前まで歩いて行くと、この温泉の名前の由来となった「繋石」があります。

前九年の役の際に、安倍貞任を追った源義家が、傷ついた馬を温泉で癒すために繋いだ石だそうです。

ここの上に繋神社があり、さらに森林の中を歩くコースもありました。
もしかすると、箱ヶ森の方まで歩くこともできるのかなと考えつつ、ここで引き返して、バス停の方向に戻りました。

途中、観光案内所の横には足湯がありました。

バス停のそばにあった方が、もっといいかなって感じもします。

昨日の雨もあがり、今日は晴天です。
御所湖の向こうには、岩手山も姿をあらわしていました。

繋温泉のホテル・旅館場所です。