日航機が御巣鷹山に墜落した23年前のあの日、ぼくは高崎市でひとり住まいをしながら猛暑の中1日中爆音を轟かせているヘリコプターの音を耳にしながら悶々とした日々を送っていました。
当時榛名町の病院の専務理事をしていましたが、本人の知らぬ間に政治の世界に巻き込まれて理事会で突然の解任決議、退職勧告を受けたばかりだったのです。ヨソ者の悲哀を味わっていました。
毎年日航機の事故が報道される度に嫌でも蘇ってくる悪夢です。
仕事はやりすぎても良くない、当時の教訓です。
でも、そのお陰でぼくは結果として北海道に来ることができたのです。
マイナスをプラスに転化せよ・・・北海道に来て良かったと心底思っています。
当時榛名町の病院の専務理事をしていましたが、本人の知らぬ間に政治の世界に巻き込まれて理事会で突然の解任決議、退職勧告を受けたばかりだったのです。ヨソ者の悲哀を味わっていました。
毎年日航機の事故が報道される度に嫌でも蘇ってくる悪夢です。
仕事はやりすぎても良くない、当時の教訓です。
でも、そのお陰でぼくは結果として北海道に来ることができたのです。
マイナスをプラスに転化せよ・・・北海道に来て良かったと心底思っています。
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