ここのところ体調異変で病院の門をくぐることが増えていますが、何人かの医師の診断、治療のための対話を経験して、一般人との対話ではない難しさ、複雑さを感じるようになりました。
総じて言えること次の3点です。
①コミュニケーションとしての会話が不得手のように感じます。互いの意思の疎通を図るために言葉という道具を使うのですが、医師の言葉を聞いていると断片的な治療の説明が多く、何か患者側の意図するポイントからずれているように思えてなりません。
②人を見ないで、病のみに着眼した言葉が多い。患者の心を傷つけても全く感じない医師が意外に多いと思います。その原因はどうも病を持った人間と言う視点ではなく、病のみに視点がいっているように感じてなりません。
③そのことは同時に他の病気とのバランスを考慮しないで、自分の科だけでしか、治療してもらえない。その結果として山のような投薬が必要になって、それがまた新たな病気を誘発することも?
ぼくの体全体を見た上で、病を診療して頂ける真の家庭医はおられませんでしょうか?
これから本格的な高齢社会、介護だけではなく、医療のあり方も問われているような気がします。
今日は秋晴れ、久しぶりに豊平川沿いを散歩して、全身に心地よい陽光を浴びてきました。
体調は良好です。
総じて言えること次の3点です。
①コミュニケーションとしての会話が不得手のように感じます。互いの意思の疎通を図るために言葉という道具を使うのですが、医師の言葉を聞いていると断片的な治療の説明が多く、何か患者側の意図するポイントからずれているように思えてなりません。
②人を見ないで、病のみに着眼した言葉が多い。患者の心を傷つけても全く感じない医師が意外に多いと思います。その原因はどうも病を持った人間と言う視点ではなく、病のみに視点がいっているように感じてなりません。
③そのことは同時に他の病気とのバランスを考慮しないで、自分の科だけでしか、治療してもらえない。その結果として山のような投薬が必要になって、それがまた新たな病気を誘発することも?
ぼくの体全体を見た上で、病を診療して頂ける真の家庭医はおられませんでしょうか?
これから本格的な高齢社会、介護だけではなく、医療のあり方も問われているような気がします。
今日は秋晴れ、久しぶりに豊平川沿いを散歩して、全身に心地よい陽光を浴びてきました。
体調は良好です。