アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

ピープルパワー革命(平和的人民革命)記念日

2009-02-25 21:18:37 | フィリピン-マニラ

 今から23年前、1986年の今日、フィリピンのマニラで、二十一年間続いたマルコス大統領独裁政権を退陣に追い込んだ「ピープルパワー革命」(エドサ革命)と呼ばれる無血の人民革命が起きました。
 83年に空港で暗殺された、当時のマルコス大統領の政敵だったベニグノ・アキノ元上院議員の夫人で、非暴力・非服従による反マルコス運動を展開していた「コラソン・アキノ」氏が、エドサに集結した人々が見守る中、大統領選挙での勝利を宣言し就任式を決行しました。同日、やはり官邸で就任式を行うも、国軍等身内の寝返りが相次ぎ、アメリカにも見限られたマルコスはハワイへと亡命せざるを得なかったのでした。
 私は、マラカニアン宮殿が一般に公開されていた96年2月に一度宮殿内を見てきましたが、イメルダ夫人のキラキラとした豪華なドレスや装飾品、靴などが多数陳列されていました。そして、寝室の超キングサイズのベッドのわきには、いざという時に脱出するためのトンネル(逃げ道)が作られていたのを覚えています。

 以下は、2001年1月20日に、やはり汚職でエストラーダ大統領がその座を追われ、エドサに人民の結集した力を得て、アロヨ副大統領が新大統領となった「ピープル・パワー2」の時の、私の著書の記述です。
「そんなことを心配しながら、SMの中の両替所を通りかかった時、その電光掲示の通貨交換レートに異変が起きていることに気づいた。急激な円安ペソ高、日本円が暴落した?そして、何か大変なことが起きたのでは、と不吉な予感がした。政変だ!賭博による詐欺汚職疑惑で弾劾裁判にかけられていた、元映画俳優のエストラーダ大統領への抗議デモや集会が大規模なものに発展し、エドサ(
Edsa)に人々が集まり始めたという。エドサは、一九八六年にマルコス大統領退陣を訴えて市民が集まった場所で、今回も数十万人が集結する事態となった。閣僚や国軍、国家警察なども一転して大統領への支持を撤回した。そこには、カトリック教指導者の力が大きく働いたようだが、当時すでに普及していた携帯電話も大きな力を果たした。『エドサに集まろう!』という呼びかけが、メールで人から人へと流されたのだ。
 
最高裁が満場一致で大統領の空席を宣告した後、アロヨ副大統領が十四代フィリピン共和国大統領であることを宣誓した。一九八六年、流血を見ることなく人々の力の結集により政権交代を果たした『ピープル・パワー』(People Power)の再来として、世に『ピープル・パワー2』と呼ばれる平和的人民革命だった。日本では革命が起きた歴史はないし、私自身そうした不安定な政情の中で、『平和的』ではあったにせよ、『革命』と呼ばれる騒ぎの中に身を置くのは、当然初めてのことだった。これから先、どうなって行くのだろう、と不安を感じながらも、家族には「街中は落ち着いているから大丈夫。」と伝えた。『一九八六年』を経験している中年層の人たちは、『騒ぎはそれほど長くは続かないだろう。』と落ち着き払っていた。事実、その後大きな混乱はなく、人々の生活もすぐに平常に近い状態に戻った。」

(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』下巻より抜粋)

 どちらの「ピープル・パワー革命」でも、汚職によって追い込まれた大統領に代わって、女性の大統領が誕生したのですね。
「ピ-プル・パワー2」の時は、ジョン・レノンのGive peace a chance』『Power to the people』を人々が合唱していました。

<写真> ピープルパワーで人々が集結した場所「エドサ-Edsa」の聖母マリア像(後光が・・・2001年11月9日撮影)



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2 コメント

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Unknown (hecojiji)
2009-02-27 13:07:25
エドサ通りにはかつてマルコス政権を倒した「ピープルパワー革命」を記念する「マリア像」の写真を見て、この写真をとられたのが2001年、そしてフィリピンでの生活が10周年を迎えるという今年、isshinさんにとっては、ぎっしりといろいろな思いが込められている10年ではないでしょうか。当地での介護者との交流、そして,教会で当時10歳の少女エッツェルからサンパギータの首飾りをかったことから始まった isshin さんの励ましの話、私の心に残るエピソードです。東京・渋谷はぼた雪(今年、雪を見たのか2度目か?)が、冷たい雨と一緒に降ってます。それなのに,外出とは。
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十年一昔 (Isshin-編集人)
2009-03-02 19:10:41
hecojijiさん、本当に十年一昔と言いますが、いろいろなことがありました…。
表には出しにくいことも…。
でも、やっぱり、これだけ長くフィリピンで生活させていただいた、というのは、家族・親せきはもとより、友人、フィリピンの介護者の方々の支えがあってこそ…と感慨深いものがあります。
少女だったエッツェルも、立派に成長して、今は奨学制度でコンピューターグラフィックを勉強中です。
アイ!サラマッポ
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