育児日記

主に聞きつつ、主にあってこの子たちを育てて行くのは、私の使命です。

新たな場所での学び 2

2007-04-21 18:57:21 | Weblog
その10年までにひとつクラスが開かれた
それは、土曜日の夜間クラス
それが体力的にとても厳しい

ほとんどの方が社会人
金曜日まで勤務
そして、金曜の夜は徹夜祈祷会で土曜日の朝5時過ぎに家に
到着
午後はすべて他の神学校のクラス
そして、そのまま夜間クラス

みんなぐったりしていた
私は、その土曜夜間クラスで1年
日曜夜間クラスでおよそ2年半
その間育児休暇1年

この体力的には厳しいクラスが
非常に私にとって内容の濃いクラスとなる
一度も実りのないクラスはなかったと断言できるほど

主が開いたこの夜間クラス
周囲の方とは時期はかなり遅くのスタートでは
あったが、驚くばかりの恵みの深さだった

そして、いよいよ念願の昼のクラスが開かれる時
がやってきたのだった

つづく

新たな場所での学び その1

2007-04-18 20:54:41 | Weblog
ずっと開かれていないことがあった
それは、月曜日の神学校のクラス
当然私は病院勤務だったため参加できず

月曜のそのクラスに参加する人は多く、礼拝場所は
あふれんばかりになるほどに
私は、月曜日が祝日など休日のみ参加
そして、主に求めていた
このクラスに主の時に加われるように

ある方に聞かれた
その方は子供が小さくてそのクラスに参加出来ないでいた
「みんなが受けているクラスに出られなくて
 不安になりませんか?」

確かに不安だった
みんながどんどんそのクラスを受講していく中で
成長しているのにいう不安
一体いつになったら参加できるだろうかという不安

しかし、これだけははっきり言えたのだった
主の助けがあったとしか思えない
「必ず主の時に私自身が学ぶべき時が与えられますから
 大丈夫です」

言い終わってから思うのだった
それはいつになるのだろうかと

その主のときが開かれるまで
実に10年の歳月がかかったのだった

つづく

真の解放へ

2007-04-14 10:34:07 | Weblog
新しい勤務に変更してから
彼女との時間も増えた
とにかくお話し大好き
本を持ってきては何度も何度も読んであげる

そして、体だって丈夫になってきた
動くの大好き
そしてお母さんも一緒になって

ふと、その日思った
私は、小さいとき母親に遊んでもらった記憶はない
父親と出かけたり、庭で遊んだりしたことは
たくさんあったが
思い出すことは、母親が厳しかったこと
そして、なんとなく家の中の雰囲気が暗かったこと

そのことをお父さんに言うと
「へーばあばはよほど神様に変えられたんだね!」

そうだった
私の母親は、いろんなことが昔あってとても子育てなんて
余裕がある状態ではなかった
そのことが分かったのは私が成人してから

しかし、その頃から母親はどんどん心の解放を受けていく
それは主の手によって

今、どのぐらいの人が母親は以前は暗かった人なんて
考え付くだろう
それぐらい今、母親は解放を受けて明るく喜びに満たされている
そして、なにより昔よりも私の母親らしさを
出している

そんな私も、真の解放を主に求めている
彼女もいつの日か
「うちのお母さんは…」
と思うだろう
でも、知っていて欲しい
私にはどうすることが出来ない問題であったとしても
主の前には不可能はないということを

そして彼女も変えられた私の姿を必ず見る日が来ることを

ふさわしくない者

2007-04-09 21:31:18 | Weblog
とにかく私は不機嫌だった
何もかもうまくいっていない気がして

そういうときに彼女がまとわりついて来ると
イライラはピークに達してしまう

そういう私を見て
「お母さん、怒らないで
 もっとやさしく」
2歳とは思えない発言、しかしそれが彼女の本心

どうしてこんな母親になるにはふさわしくない者が
母親になっているんだろう
落ち込んだ

そんな日曜日の牧師のメッセージ
弱い私たち
弱いだけでなくふさわしくなく、
そしてその働きにはむいていない
だからこそ主により頼む

主はどこまで憐れみ深いのだろうか
いつもいつも主はその私を励まし続け
そして祈ることへと導いてくださる


彼女が望む物 2

2007-04-04 09:31:41 | Weblog
彼女は欲しかったアンパンマンの靴を
買ってもらえなからったといってその後
ぐずることはなかった
今あるアンパンマングッズで遊んでいた

しかし、都合の良いウソをついた私の心は
まったく晴れなかった
そして、その小さなウソを正直に主の前に
もって行く

アンパンマンの靴のことをばあばに電話で話してみると
「あなたが子供のときもそうだったじゃない!」


私が小さいときも母はキャラクター物は買ってくれなかった
だから、みんなかわいいお弁当箱を持っていても
私は、何の柄もないタッパーだった
あったとしても、もう古い「フランダースの犬」の
アルミのお弁当箱
本当に遠足とかのお弁当の時間は嫌だった

母が私のためにと作ってくれた洋服もなんとも地味なもの
しかも、ワカメちゃん並の超ミニのスカート
それを着て撮った写真で私は嫌で泣いている姿で写っている

だから、私の母は「あなたも小さいころ欲しい物があった」
と言うのだった
買ってくれなかったくせに、孫には買ってあげたらというのだから
本当にばあばの立場は面白い

でも、忘れていた自分が子供だったときを思い出すことが出来た
母親になって親としての気持ちも分かるけれど
子供だったときの自分にも戻ることが出来る
これも恵みである

早速彼女と購入に出かける
ちょうど、進級する時期
足りなかった服なども購入

念願のアンパンマンの靴を保育園に履いていく毎日
その姿は本当にほほえましい
まだまだ小さいと思っていても
彼女が着実に成長していると
思えた出来事のひとつとなった

彼女が望む物 1

2007-04-02 09:36:34 | Weblog
まだ2歳の彼女も好みがあるようで
着る服だって「水色のキラキラ(星)のがいい!」
と注文だってしてくるようになった
だからそれをいつもいつも着て洗濯だって毎日

その彼女が今夢中なものはアンパンマン
DVDを一度流すとエンドレスで見続けるほど
アンパンマンの本も増えた

そして長靴を買いに行った時のこと
すぐにお気に入りのピンクのキラキラを見つけて
購入 しかもすこぶる安い価格

その横にアンパンマンのスニーカーが陳列していた
それを見つけた彼女は即座に
「これ欲しいー!!アンパンマン!!」

しかし、デザインはどれもどぎついもの
真っ赤でアンパンマンだけでないキャラクターが
ぞろぞろとへばりついている
しかも結構いい値段!

その瞬間
「あーだめだめ こっちのほうがいいよ」
と大人からみたらセンスの良いスニーカーを勧める
しかも、定価から半額以下に値下げ

「いやだーこれ足痛い!」
と本当なのかもっともらしい理由をつけてごね始める

店頭で彼女と私の押し問答は続く
泣き止まない彼女を私はある口実を見つけなんとか
納得させるのだった

「ちょうどいいサイズがアンパンマンのにはないみたい」

いわゆる都合のいいウソである

その都合のいいウソに彼女は納得し、帰宅するのだった

家に帰ってからもその靴のことは覚えていて
「でも、靴大きかったんだよねえ」
と私が言った説明を繰り返し言うのだった

そのウソをついて納得させたことが
後になって私を苦しめることになるのだった


つづく