育児日記

主に聞きつつ、主にあってこの子たちを育てて行くのは、私の使命です。

病いの中で知る主

2006-12-06 22:23:00 | Weblog
彼女にとって苦手な季節がやって来た
去年も11月から4月の間、実にさまざまな病気になった
この頃の年齢の子どもたちは誰もがそうなのかも知れない

この11月も、高熱
そして、12月 やっと冬らしく寒くなって来たと思った矢先
高熱で彼女は夜苦しんだ
翌日病院へ連れていくと中耳炎と診断
そうか、またこの病気で彼女は苦しむのかと思った

すぐに中耳炎は回復
いつもならすぐに保育園へというパターンが今回は違う
咳が止まらない 夜は咳き込んで眠れない
熱が下がらない やっと微熱になったと思ってもまた高熱へ
日曜日の礼拝も朝の礼拝だけで帰宅
こういうことは、初めてだった

苦しむ彼女を見て、どうして?という思い
しかし、この状況さえも決して無駄にはなさらない主
その信仰だけは主に強く与えられていた

ぐったりする彼女から、
「お母さん、祈って」
と弱々しい声が聞こえた
私は少々耳を疑った

確かに、具合が悪くなる度、私もお父さんも彼女に手を置き祈って来た
しかし、彼女からというのは今までになかった
すぐに、癒しの祈りをした
彼女は安心した様子だった

咳で眠れぬ夜、ずっと賛美を歌ってあげていた
途中で止めると、また弱々しい声で彼女は
「賛美もっと歌って」と

この苦しんだ数日間で、彼女は主を具体的に体験していた
まだ、自分の救い主ということは分かっていないこの時から
主の恵みに彼女は確実に預かっていた

そして、彼女の主の救いが近いことを確信した
この新たな年を迎える時、主に約束の言葉を与えられることを私は祈っていた
主から与えられたみ言葉は、なんと彼女の救いのみ言葉だった

「イスラエルは、主によって救われ、永遠のいのちを受けます」

この御言葉の成就する日はそれほど遠くないと思わされた出来事だった
その主に私は期待する






家族での虹 2

2006-12-06 21:53:59 | Weblog
前回の日記にもあるが、5月から、私は毎月のように虹を見た
それは、本当に祝福だった

しかし、その殆どは1人の時に見た
彼女もお父さんもいない時だった

お父さんは殆ど、今家にいることはない
お父さんの毎週1日の休日も、その日は私は勤務の時がほとんど
つまり家族が揃って家にいるということはない

家族で毎年夏に白馬で行われるキャンプに参加した時に見た彩雲でさえ
家族で見ることは出来なかった
私はある御家族の方の車に同乗させていただいていた
まるで本当の兄弟のように彼女は、その御家族の2人のお子さんとその車の中で
はしゃぎまくっている様子を私は楽しく見ていた
車の外を見ると、今までに見たことがない程の彩雲があるのを発見した
これは、是非車を降りて見ましょうと言って車を止めた程だった
その御家族は初めて家族揃って白馬に来ることが出来た
その時に家族全員で彩雲を見てどれほど、この家族は喜んでおられるだろうか、
その家族と共に私も彼女もこの祝福に預かることが出来たことを本当に感謝した
そして、この彩雲をお父さんも見ているだろうかと思った
できれば、私たちもこの御家族のように家族で共に見ることができればと思った

その次の週、珍しく家族揃っての休日
その日も奉仕だった 
学生会のバーベキューを翌月に予定していて
そのメンバーと場所の下見に行くために私は休日をとった

昼過ぎに下見を終えて、帰宅
休憩をして、お父さんはそのまま友人の所へ行くと言っていた
何も、家族で一緒にいられるこの時に友人の所に行かなくてもと
もう少しで不満が言葉となって出そうだった
しかし、そのことも主に感謝した

出かける前に、駅前まで家族でスーパーに買い物に行った
家族で歩いて、駅に向かう道で私たちは、虹を見た
本当に久々に家族で見る虹だった
よくよく考えると、家族揃ってイスラエルに行った時以来だった

私はその時、家族が共にいることの意味の大きさを
はっきりと主に虹を通して教えられた
そして、お父さんも同じことを主に語られたそうだ
今日は、家にいるよ
とお父さんは一言 その夜家族は共に食事をした

今は、たくさんの主の奉仕で共に家族が揃う時間は少ないかも知れない
しかし、主が導いてくださったこの家族
この家族と共に主の働きに立つことができること

私は何よりも嬉しい







祝福の1年

2006-12-06 21:18:35 | Weblog
彼女を保育園に送り、最寄り駅まで徒歩で約20分
この1年を振り返るときがあった
彼女の育児、そして勤務の毎日
そんな1年だった
むしろ、なんて何もなかった1年だったんだろうと落胆さえあった

そんな中で一つ一つ感謝をしていくと一つのことを思い起こさせられた
それは、5月から毎月のように虹、彩雲を主は見せてくださったと言うことを

聖書で言う虹、彩雲は主の祝福を意味する
しかし、毎月のようにただ虹を見せてくださった訳ではなく、
その時に祈った祈りの答えをはっきりと御言葉と、そして虹のしるしをもって
語ってくださった

そして、その虹を見る場所はいつも同じ
彼女を保育園に迎えに行く途中、もしくは勤務先までの道のり

この1年、ずっと主に願って来たことがあった
それは、祈る時間が与えられるように
日中は、勤務 帰宅後は、常に彼女がそばにいる
やっと彼女が寝たとしても私の体も疲れていた

昔のように、時間をたっぷり使って祈るということが本当に出来ない環境にあった
しかし、唯一祈れる時間があった
それは通勤時間、そして、彼女を迎えに行くまでの帰宅時間
正味1時間くらいだろうか
電車には乗ってはいるが、その時間だけひとりになれる時だった

驚く程その時間、祈りが導かれた
主に聞きつつ、祈っていくこの祈りに主は忠実に私に開く聖書のみ言葉と共に
虹、彩雲のしるしをもって答えてくださった

決して、長い祈りではなかったけれども
今の私のいる環境を全て知っておられる主は、
その中で祈りの時間と答えを与え続けてくださった1年だったとはっきりと知った

そして、もっと主に期待できること
それはこれから主は虹と彩雲のしるしをもって与えてくださった神の約束の言葉が
成就していくのを見ることができること

その時は私は分からないけれど既に主は御存じ
その主に私は期待して歩んでいく