育児日記

主に聞きつつ、主にあってこの子たちを育てて行くのは、私の使命です。

親になって与えられた思い

2004-12-31 22:23:01 | Weblog
今日で、1年が終わる
とにかく最後に本当に良かったと感じたことがあった

奈良で起こった誘拐殺人事件は本当に、心が痛む事件であった
その犯人が、昨日ようやく逮捕となった
ちょうど、イスラエルに行っていた時の出来事で、後になって知った事件だった

その犯人から再びメールという手段で次の犯行予告をして来た時
祈った
とにかく犯人が見つかるように

子供達に、そして親に本当に福音が必要であると感じる時代である
子供たちへの思いは、以前より与えられていたが、
親たちへの福音の必要をここに来て初めて与えられたものである

親は誰しも子供を守りたいと思う
でも、その前に親たちを守ってくださる方がいるということ
その主を知ってこそ子供たちを守れるんだということを
本当に知って欲しい



主が求めておられること

2004-12-30 23:11:44 | Weblog
彼女の現在の洋服のサイズは70センチ
ただ、おむつカバーだけは60センチのままだった
いただいた70センチのものを姉の子供に先に使ってもらっていた
そろそろ70センチのが必要だなあと、思って姉に連絡しようとした

しかし、ストップを感じた
まず、祈ってみようかと思った
「おむつカバーが必要です 与えてください
                 姉から連絡があるように」
その日の午後、母からしか鳴ることのない電話が鳴った
しかし、その相手は母ではなくなんと、珍しく姉からだった

「そろそろおむつカバーを君に送るよ」

彼女に必要な時に送られて来るこのタイミング
それだけではない
主は、私にまず祈ることを求めておられるようだ

いつか、主の時に彼女が成長したときにこういった祈りの証を
しようと楽しみにしている
そして、彼女も主を具体的に体験して欲しいと祈っている

祈り備え

2004-12-29 09:31:50 | Weblog
あと数日で2005年となる
その直前にまたもや地震のニュース

新潟地震で不足して困ったものに挙げられていたもの中に
紙おむつがあった
すぐに予備のおむつを買いに行ったら
すでに彼女のサイズは売り切れていた

100円ショップでだいたいの物品を買い揃えに行った
避難する際に持ち出せるように、荷物をまとめた
本棚を整理した
東京でも何度か今年地震があったが、揺れたらすぐに彼女のもとに
駆け付けた

しかし、今回の津波による被害の映像を見ていると、
あっという間に波にのまれてしまっている
準備が無駄とは思わない
しかし、その準備は完全には程遠いものである

私よりも夜更かししてまだ熟睡している彼女に手をおいて祈った
「守ってください 私たち家族を 特に彼女を 傷なく完全に守ってください
 家族がバラバラにならないように」

祈りは、完全である

この祈りをし終えたあと、平安に包まれた
たくさんの悲惨な映像を見て、不安で仕方なかった私の心は、ようやく
平安になった



可愛い訪問者

2004-12-27 15:24:31 | Weblog
家のベルが鳴ることはほとんどない
しかし、今日は思いがけず一人の可愛い訪問者が!

彼女のインフルエンザの予防接種の日で、いそいそと準備中に 
「ピンポーン」
インターホンを出るとなんだか、かさかさ音がする
「?」と思って待っていると
「前の家の○○です!」
と男の子の声
うちの大家さんのお孫さんだった

扉を開くと、笑顔で立っていてくれた
「これ、もう使わないからどうぞ」
と差し出してくれたのは、一足の新しい靴下だった

この家に引っ越して来た日に、主は虹をこのアパートから見せてくださったことを
今日再び思い出した
このアパートに住み始めてもう5年目である
この男の子もまだその時2歳だった
まさか、この家に5年も住むとは考えておらず
まさか、結婚するとは考えておらず
まさか、子供が生まれるとは考えておらず

ちょうど、成長して今迄の靴下では小さいと思っていた彼女の足に
このいただいた新品の靴下をはかせて病院に向かったのは言うまでもない

そして、彼には土曜日のゴスペルコンサートでいただいた
綺麗に包装されたお菓子をポストに入れておいた





主の時に 

2004-12-16 23:12:02 | Weblog
彼女の名は、聖書から取ったためカタカナ
お父さんは、沖縄出身だから聞き慣れない名字
しかし、妊娠中に主から与えられた名前で私は大好きだった

しかし、一般には見なれない名前であることには変わりない

出産して間もなく、実家のそばのおじの家に挨拶に行った
お祝いの袋に彼女の名を書こうとして、おじは
「で、名前は?」
彼女の名を答えたら、おじの顔が豹変した
そして、一言
「子供は、親のおもちゃじゃない」

それから、くどくどと説教
その横で、私の父はじっと黙っていた
何も言わなかった

世間にどう思われようと平気だと思っていた
主が与えてくださった名を私は嬉しくて仕方なかった
それが、おじの説教を聞き、何も言わず隣にいる父を見て私は
涙が出そうになって、しかももう少しで涙がこぼれそうだった

父は、この名前を付けた私たちに何も言わなかった
何も言わなかったが、名前でまだ一度も彼女の事を呼んだことはない
どこかで、納得していないのだろう

父自身納得していないのに、父の兄が私を説教する様子を黙ってみている
なんて 父にとっても肩身の狭い思いに違いない

私は、その夜祈った
なんて祈ったかは、忘れてしまった
ただ、父に分かって欲しかった
間違ったことをしたかのように見えるかも知れないが、
これは本当に主が与えてくださったと言うことを

次の日の朝刊で特集が組まれていた
「最近の子供の名付け方」
内容は、ともかくとして
しかし、その中にはっきり書かれていた
「海外では、聖書から名前を決めると言うことはよくあることだ」

いつも隅から隅まで新聞を読んでいる父だから必ずこの記事も、そして、
この文章も目にとまっているはず

主の時に、必ず彼女の名は祝福であること
そして、主の時に必ず父も主を知るようになること

私は、毎日祈っている

主の時 3

2004-12-13 18:25:19 | Weblog
彼女が産まれてからの1ヶ月

産後の体力を戻しつつ、今度は、お父さんのことがいろいろ心配に
毎日毎日、連絡を取りつつも心配なことはたくさん
お休みの木曜日を使って実家に来れるかななんて、思ってたけど
あまりの毎日の忙しさでそのお休みはいつも彼にとっての貴重な
睡眠時間となった

こんな可愛い時期をお父さんは見れないのかあと残念に思っていたけど
意外にも本人は「毎日、子供の事を考えるだけでニヤニヤしてくる!」
と、超御機嫌

心配事は膨らんでくるが、手に届く場所にいないためやっぱり次の手段しか
なかった
それは、勿論 祈り である

とにかく、すべて祈りに変えて行った
自然と一日のスケジュールもできていった
お父さんの奉仕の時間に合わせていったのだ
いつもいつも、その日お父さんは、奉仕がどうだったか連絡をくれた
そして、私も自分の祈りの状態をチェックしていく日々になった

結婚して、1年目は、私も勤務していたためじっくりとお父さんのために
祈ると言うことは出来なかった
さらに、妊娠すると自分の体調管理でいっぱいいっぱい

ようやくここに来て私は遅ればせながら妻としての働きもスタートすることとなった
勿論、いろんなことにぶつかりながらですが…




主の時 2

2004-12-12 19:30:09 | Weblog
私には、3歳年上の姉がいる
彼女は、私より約5ヶ月前に女の子を産んでいた
彼女が社会人になり、一人暮らしするようになり私たちは1年に1回会うか会わないかになった
両親が、田舎に戻り、彼女も結婚することになったがその時も私はなかなか彼女に会う機会がなかった
せっかく久しぶりに実家に帰っても、彼女が帰宅した後だったりした
私の結婚式さえ、姉が住む九州からの飛行機が飛ばずということがあった

そんな、彼女と2日だけ共にした時があった
それは、私が無事出産して退院してからの2日間

私が入院する1日前、姉が風邪をひいた
子供をだっこし過ぎて腱鞘炎になり手術をした後だった
乳飲み子をかかえて風邪をひいた姉は、珍しく弱り果てて母をわざわざ九州に呼んだ
私は大反対だった
もう、いつ産まれてもおかしくないこの状況で母がいなくなるのは不安だった
「産まれるまでは、大丈夫 産まれた後が大変なのよ」
と母は、さっさと九州に向ってしまった

結果として母がいない時に出産をすることになったが、
そののち、姉は子供を連れて実家にやって来た
退院して、本当に何年ぶりかで家族で過ごすことになった

私は、姉との二日間で、とりあえず必要な知識をすべて姉から教えてもらった
ちょうど姉も育児真っ最中で最新情報をそこで受けることとなった
母は、あまりにも育児は昔の事で記憶も不確かで、姉のアドバイスは
本当に貴重なものとなった

それまでどうやっても、スケジュールが合わず姉と会うことが出来なかったが
こうして、主の時に私は姉と再会したのだった

主の時 1

2004-12-11 17:21:51 | Weblog
妊娠中は、看護師として働いていた
そして、毎月のようにお父さんは1週間程度留守にした
つわりがひどかったが、つわりの時期が終わっても貧血に悩まされた
そんな時の彼の留守はちょっと、厳しかった

しかし、この多忙なお父さんが、唯一隣にいてくれた時がある
それは、彼女の出産の時であった
立ち会い出産をするにはお父さんのお休みである木曜日以外考えられなかった
しかし、入院したのは月曜日
無理と分かりつつメールで入院を連絡した
ちょうどその時、牧師会があったため関東の牧師が全員集まる時だった
上の方にはお父さんは私の陣痛について言っていなかったようだ
誰かが伝えてくれたらしく
「陣痛始まったの?それは行ってあげなきゃ。行かなきゃ一生恨まれるよ」
とおどされて、その日のうちに実家に帰って来ることができた
その次の日の夕方出産となる

主の時は、すべてが計算されたようにうまく事が運ばれて行く

そして、次の日の朝お父さんになりたての彼は足早に帰って行くこととなる
それからまた1ヶ月お父さんには会えない日々となるが、この1ヶ月も
今振り返ると非常に重要な時となる              つづく

主の言葉の力

2004-12-09 13:22:27 | Weblog
今日からお父さんは10日間留守に

彼女が実家から帰って来て初めてのお留守番は10月のこと
たった4日間だったけどとても不安が一杯あった
でも、朝に
「あなたがたは危害は加えられません」
と聖書より語られた
そう、ちょっと異常に怖くて4日間は一歩も外に出ることをやめようかと思ってたほど
主はきちんと私の気持ちを知っておられる

その言葉を受けてから、不安は一気に取り除かれた


そして、4日間与えられた時間を使って私の生活リズムを取り戻すこととなった
以前主に語られたこと それは一日のスケジュールを決めて生活すること
主は当然知っておられる 私のぐうたらな性格を
産後の体を十分休めるのは必要だけどやることやらないのはやっぱり主の前にまずい

語られている語学とそして祈りの生活

この後から、祈りの時間を確保することができ始めた
そして、今日からの10日間
主は、一体私に今回はどんな整えを与えてくれるのだろうか?
楽しみである

備えられた場所 2

2004-12-08 09:21:07 | Weblog
4ヶ月検診は、保健所で行われた
とても、親切な先生で、どの子供に対してもきちんと時間をかけて見てくれた
かなりの好印象だった
これからも、この先生に見てもらいたいと思った

7ヶ月検診は、自分で病院を探して行く
3件問い合わせたが色々な理由で、断られた
祈ったが、いまひとつはっきりと分からなかった

しかし、一つの病院が気になっていた
彼女が産まれた2ヶ月後、「新しく開院しました」とチラシがポストに入っていた
もしもの時にと、一応そのチラシをとっておいた
ただ、隣の駅なので利用することはないかなと思いつつ

まあ、新しいからちょっと行ってみようかなと、問い合わせすると
その日はちょうど検診の日で、しかもラスト一人の枠組みに入ることができた

行ってみると新しいクリニックで、ほ~としばし感動
彼女の心音を聴診器で先生が聞いている時、突然に先生が
「あれ?この子は…」
と、母子手帳を調べ始めた
何ごとかと思っていると(心臓に問題があるのかと心配した!)
「やっぱり、この子は4ヶ月検診で僕が見た子だ!なんとなく見たことあるなあと
思ったんですよ」

診察室に入っても、先生の顔を全く見ていなかった私は、
そんなこと全く気付かなかった
しかも、何が嬉しいかというと、
彼女は、聖書から名前をとっているためカタカナである
そして、お父さんは沖縄出身であるため見なれない名字
だから、名前で良く覚えられるが、この先生は彼女の顔を見て
思い出してくれたことだ

本当に感動した
私が何気なくチラシをとっておいた時からこのことはスタートしていたことになる
私が、あの先生に見てもらいたいという願いを知っておられる主は
その病院にこういう形で導かれることになった

主はこれからもこうやって彼女を最善の所に主の方法で導かれる
たとえお母さんは何も分からなかったとしても