【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 37 写真は遍路サロン 茶処みとよ高瀬

2023-01-03 17:29:01 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
 (37日目・5月27日)70番札所 本山寺から観音寺市街、三豊市街を通過して
            西讃岐の71番 弥谷寺、72番 曼荼羅寺、73番出釈迦
            寺、74番 甲山寺 を廻り、いよいよ空海さんの生誕地
           と言われる75番 善通寺へと。結願が見えだして
  6:30起床、8:10発→8:40ガストで朝食・後雑用→10:10 70番札所 本山寺(もとやまじ)10:40→三豊市 遍路小屋茶処みとよ高瀬(遍路休憩所)
→12:40 71番札所 弥谷寺(いやたにじ)14:30→15:00 72番札所曼荼羅寺
15:15→15:30 73番札所出釈迦寺(しゅっしゃかじ)15:50→16:10 74番札所 
甲山寺(こうやまじ)16:20→16:40 75番札所善通寺→宿坊いろは会館に宿泊

(観音寺市の朝、遍路宿から)
 曇り後快晴。昨夜来の雨も上がり、とはいえ曇りの朝に遍路宿を出発。宿のお子さ
んの朝の登校でバタバタしておられる様子の中をお礼を言って出発。本日何としても
間に合わせなければならない所要があり、ガストで朝食後にやっとあった第一地銀
(メガは見つからない)で振込、その後本山寺を目指す。10時10分に 70番札所 本山
寺着。お詣りを済ませて納経所前にいると、年配の歩きお遍路さんが話しかけてき
た。
(本山寺はやすらぎの里寺)

 年配のお遍路さん(以下『遍』)「歩きで回られているのですか?」
 私 「はい。松山からは日程の都合上、現地調達のママチャリで移動してますが、
    横峰寺や三角寺やらの寺には、全部歩いて回ってます。一部JRや路線バスも
    乗ってますが、800Kmくらいは歩いてます。」
 遍 「失礼ですが、サンダル履きで歩いてられるんですか?」
   
 意外な方向に話題が跳んで、少しびっくり。

 私「ああ、これですか。一足目は潰れてこれも現地調達ですが、なかなかいいもん
   ですよ。勿論山寺では靴に履き替えますけど、舗装された道でしたらこれは楽
   ですねえ。ちょっとスポーツ系で滑りにくかったら雨でも十分ですよ。鶴林
   寺、太龍寺、延光寺なんか大雨でしたけれどこれで登りました。山寺でも舗装
   道なら大丈夫ですね。」
 遍「私は、歩き始めたんですけれど1日で足を痛め、徳島市に戻り思案してたんです
   が、とにかく行けるところまでと思いながら、逆打ちでJRを使って昨日は丸亀
   泊りで、今朝は本山駅(本山寺近くの予讃線の駅)に来て、何とかここまで来
   ましたけれど、もう限界かと思ってます。いいことを聞きましたんで、この辺
   でサンダルを売っているところを探してみます。」
 私「それでは、1駅戻って観音寺に行くと、大型スーパーもありましたが。」
 遍「有難うございます。」

 と、まあこんな話で、痛そうに足を引きずりながら納経所に向われた。いろんな人
との出会いも楽しい。本山寺は広い境内に五重塔も堂々とそびえる立派な里寺。自
転車遍路の時も朝から韓国の民族楽器チャングの演奏を奉納している方がおられたが、
地域の人も遍路さんもいろんな人たちで賑わいのある寺で印象に残っている。
 本山寺を出て交通量の多い国道11号線を東へと走り三豊市役所を過ぎ高瀬川の橋を
超えると、遍路サロンの『茶処みとよ高瀬』があった。そういえば三豊は茶どころで
有名だったなあと思い出した。遍路サロンは平日の昼前でもあり、どなたもおられな
かったが地元の皆さんと遍路さんとのメッセージのやりとりや写真が沢山貼られ、な
んともホッとする雰囲気。野宿や仮眠もできそう。私も『NO WAR. War is Absolute 
EVIL.』『RESPECT HUMANRIGHTS』と書いてきた。素敵な遍路サロンでした。
(三豊の遍路サロン。私も一言)
 『茶処みとよ高瀬』で20分程度休憩後再び国道11号線を走る。10分ほど走ると看板
が出ており国道から左折して県道221号線を走りやがて地道。大師堂をいくつか過ぎ
て道なりに弥谷寺への案内看板がある上り坂でここは車道の本道と離れ竹林の中の車
の通らない少し急坂でママチャリを漕ぎあがる。結構急でそのうち押して上がりやが
て先ほどの車道と再合流し車道の先方向は『天然いやだに温泉』という日帰り温泉の
テーマパーク、車道を横切った先は参道の少し細くなった道。参道をママチャリを押
して登りやがて広場になった場所に出て自転車を止め歩いて登りだした。ここまでで
もそこそこのアルバイトだったが、広場になった登り口に、『紹運の石段 五四〇余』
と書かれたまだ新しい石柱があった。何しろ物好きな私は、どうでもいいのに実際に
数えてみると、大師堂まで三八三段、本堂までさらに一五九段合計五四二段だった。
但し階段は一つではなく右左側にもつけられている場所も多く、まったくどうでもい
い話だった。少し登ったところに立派なウェルカムゲートの山門(仁王門)があり、
まあ単純で結構な階段上りだった。
(左、中:弥谷寺登り口  右:山門(仁王門))
 弥谷寺の最上部に本堂があり、最後の階段を登りきったところからは三豊市街が遠
望できる。少し下がって大師堂があり、本堂と大師堂は摩崖仏が多く彫られた岩の岩
屋に造られなんとも荘厳な雰囲気。厳粛な気持ちで両方のお詣りを済ませ、余韻を抱
きつつママチャリのところまで戻った。ちょっと座れるところでコンビニで仕入れて
きた行動食の昼食をかき込んだ。

(本堂からの三豊市街 中:摩崖仏 右:大師堂)
 14:30頃に弥谷寺を出発して、地道を走り再び国道11号線への合流を目指した。ち
ょっとしたアップダウンを過ぎ、高松自動車道の高速道路を跨ぎすぐに鳥坂峠という
国道へ合流する三叉路に至り三豊市から善通寺市へとはいり左折して72番札所 曼荼羅
寺(まんだらじ)を目指した。案内看板がありそこから地道へと入って15:00に曼荼
羅寺着。お参りを済ませ、上り坂を15分ほど行き15:30に73番札所 出釈迦寺(しゅっ
しゃかじ)に着いた。出釈迦寺は里山の中腹にあり、山頂には捨身ヶ嶽本堂(しゃし
んがだけほんどう)という堂がよく見えている。通称『身投げ堂』といわれ、弘法大
師が身投げの荒行を行ったと言われている。天狗が大師の身を受け止めたとのこと。
この堂には歩いて登らねばならず、本日善通寺の宿坊にお世話になる予定で時間が厳
しく、今回は諦める。出釈迦寺の境内から善通寺市街方面を望むと、瀬戸大橋が臨ま
れ結願が見えだした。写真に納め『ここまで来たぞ』とちょっと感慨に浸る。
(左:出釈迦寺、中:瀬戸大橋遠望、右:曼荼羅寺)
 15:50 出釈迦寺発。少し急いで地道から県道に出て善通寺方面を目指す。市街地に
入ると道案内の看板頼りになってくるが、16:10 に 74番札所 甲山寺(こうやまじ)
に着いた。甲山という小高い山懐の寺で、善通寺を取り巻いているいくつかの里寺の
一つのよう。急いでお詣りを済ませ、納経を頂いて善通寺を目指す。
(甲山寺山門と境内)
 16:40に、時間も遅く人影もまばらになっている 75番札所善通寺(ぜんつうじ)に
到着。本日の終着目的地。宿坊の『いろは会館』に宿泊の手続きを済ませ、納経は明
朝にして人気の少なくなった境内を散策した。さすがに弘法大師の出生の地の縁のあ
る寺と言われるだけあって立派な寺大きな里寺には楠の大木がよく似合う。明日は少
し散策してから遍路に出発しようと思う。
           (本日移動距離 約27.8km     歩数 24,826歩    18.37km)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿