【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 41 写真は 86番札所 志度寺 門前からの五重塔

2022-12-26 16:40:03 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
(41日目・5月31日) 屋島寺から一気に第87番札所 長尾寺まで。いよいよ
            結願に思いを馳せる。楽しくて充実の遍路の旅。20年
                 ぶりにお世話になった遍路宿さんは、今のご主人は息
           子さん。お接待に心が憩まる思い。
 晴れ。5:40起床、朝食、7:35遍路宿発→8:30 第84番札所 屋島寺9:15→悪路の歩き
遍路道→壇ノ浦古戦場跡散策→洲崎寺→12:00 八栗寺参道、ケーブル乗り場→12:35 
第85番札所 八栗寺13:00→14:30琴電・JR志度駅前→14:45 第86番札所 志度寺
15:10→16:35 第86番札所 長尾寺17:00→17:05遍路宿(宿泊)
 いよいよ結願に思いを馳せ、気も高ぶり気味で5時前には目覚めていたがしばらく
微睡みつつ、5時半過ぎに起き上がって、女将さんに挨拶して7時半過ぎに出発。旅館
は廃止になった屋島ケーブルカーの乗り場跡にすぐ近く、かつては大変賑やかだった
と思う。乗り場前は今でもちょっとした広場になっていて観光バスや路線バスなどの
スペースもありそう。屋島寺には車両専用のスカイウェイが頂上へ繋がっていて、歩
きの場合屋島の西側の小学校の横の道を歩いて登っていく。その道は多くの地元の方
の健康登山やウォーキングの道で、遍路姿で登っているとすれ違う地元の皆さんが激
励の声や朝の挨拶の声を掛けてくれる。
(左:遍路宿の朝 右:参道の柱状節理 下:屋島寺山門(仁王門))
 柱状節理の岩壁や古い石仏を見ながら50分ほどで標高約200mの第84番札所 屋島寺
山門(仁王門)着。山門を潜って広場になった場所にベンチがあり、そこで朝食。屋
島は変わらず観光地だけれど、20年前から比べるとずいぶん落ち着いてきた感じがす
る。お詣りを済ませ境内や展望のきくところを歩き、対面の八栗寺を抱える五剣山を
見て下山を始める。まだ朝の内で観光客や自動車での遍路さんもあまりおらず、スカ
イウェイを走行している路線バスの時間表を見るとあまり本数も多くない。かつては
国民宿舎などもあったように思うけれど、今では賑わいはそれほど感じることもなく
少し寂しい思い。
(左:源平合戦説明看板 右:下りの遍路道(悪路) 下:洲崎寺のモニュメント)
(屋島寺境内)
 スカイウェイは自動車専用で、歩行や自転車は禁止なので、八栗寺に行くには山道
の遍路道を降りるか、登ってきた登山道を戻るかしかなさそう。現在は廃墟のように
なっている観光ホテルの前から遍路道が出ているが、20年前に通ったときにはかなり
の難路、悪路だった。少しは整備されていることを期待して下山を開始したが、相変
わらずかなりの悪路のままだった。天気は晴天で道が滑とは無いが、目の不調で遠近
感がつかめずかなり苦労をして下山、4回転倒しいずれも前のめりの転倒を避けるよ
うに歩き、尻餅をつく転倒だったが、とにかく難儀した。四国遍路道の中でも一番の
難路、悪路ではないかと思う。
 やっとの思いで、壇ノ浦合戦の由緒を伝える地元の神社や会館が点在する最奥部の
市街地に出るとスーパーマルナカがあり、休憩を兼ねて簡単な行動食。ここまできて
足に魚の目ができたため、スピール膏も仕入れて店を出た。源平の合戦の由来を石板
に刻んだプレートを多く並べている洲崎寺(すさきじ)に立ち寄り平家最期の地に思
いを馳せ、一気に八栗寺を目指した。参道の結構登ったところに八栗寺まで登ってい
く八栗ケーブルの乗り場がある。今回はスルーして横の鳥居をくぐり歩いて八栗寺を
目指す。行く手には五剣山が聳えていて、山岳修験の寺に向かう感じ。
(左:八栗寺参道 右:ウェルカムゲートの山門(仁王門))
 12寺30分過ぎに歩き遍路へのウェルカムゲートの山門(仁王門)着。山門越しに立
派な荘厳とした雰囲気の 第85番札所 八栗寺(やくりじ)の本堂が見える。摩崖仏が
刻まれた岩壁もあり、厳粛な雰囲気の境内を歩いてお参りを済ませ、ケーブルカーの
八栗寺の降り場の横から屋島を振返れば壇ノ浦を隔てて屋島が一望、左の方は高松の
市街地が一望の絶景。
(左:八栗寺の摩崖仏 右:頂上駅付近からの屋島振り返り)
 志度方面に向かうJRや琴電方面から八栗寺に登ってくる県道を降りる。やがて琴電
の踏切を超えて国道11号に出て、交通量の多い国道を志度方面に向かう。八栗寺から
2時間弱歩き琴電志度駅、JR高徳線志度に着きそこから10分強、14時45分に 第86番
札所 志度寺(しどじ)に着。門前から立派な五重塔が聳えるのが見え、海に近く近在
の人たちで賑わいの有るような雰囲気の寺だ。20年前と大きく変わったのは、境内中
が草木で整備されて緑の寺になっている。自然が残りつつ、よく整備もされ大変落ち
着いた心地良い境内になっている。納経所の裏は池のある石庭で、納経所のガラス越
しに見ていても素晴らしい景色が作られている。納経所の僧侶さんにそのことを話す
と、先代の住職さんが庭の手入れに腐心されたとのことだった。
(左:志度寺本堂 右:立派な石庭 下:平賀源内記念館)
 志度の町並みは旧街道のような雰囲気で、歴史を感じる。志度寺の寺前町だったの
だろう。結願の寺の2つ前の里寺で、そういった賑わいの町ではないかと感じる。そ
してなんといっても日本の天才、平賀源内に縁があり志度寺門前の墓地には源内さん
の墓があり、町中には『平賀源内記念館』があり、町に調和している。今回、実は時
間が迫ってきており見学は残念ながらパス。
 15時過ぎにいよいよ長尾寺を目指す。大丈夫とは思うけれど時間も迫ってきてい
る。志度駅から右手は里山、左手は田園で高徳線と並行し、住宅のニュータウンも見
える県道3号線を辿り、途中から遍路道の看板に従って県道を離れ、少し落ち着いた
旧街道のような遍路道に入る。玉泉寺(ぎょくせんじ)を経てさらに歩くと一旦県道
に再合流し、そのまま横断して川沿いの土手の道を行く。横断地点の一つ先の橋のた
もとには遍路休憩所が作られている。ここは20年前には真新しい休憩所で、ここで長
寺方面を遠望しながらパートナーとゆっくりして、激痛の足を癒したことをはっきり
と思い出す。橋のたもとには遍路道、長尾寺の看板があり、いよいよ本日のゴールも
近い。
(左:長尾寺近くの休憩所 右:長尾寺への遍路道が続く 下:長尾寺仁王門)
 16時半過ぎに 第87番札所 長尾寺(ながおじ)着。門前にある遍路宿さんに荷物を
預かっていただき身一つでお詣りする。立派な里寺で落ち着いた懐の深さを感じる寺
で、個々の僧堂も本堂の鴨居の彫刻も相変わらず立派で存在感が絶大。お参りを済ま
せ納経を頂いて少し長尾の町を歩く。ここは始発が高松築港駅の琴電長尾線終着駅長
尾に近く、20年前は駅前商店街は賑わっていて、私は足の激痛がたまらなく薬局を探
し回った。幸いすぐに見つけて大きめの絆創膏やら消毒液を買い込んだ。当時、靴の
選択に大失敗。履き慣れたはずの登山靴を履いてきたが、白峯寺から五色台を歩き通
すのがやっとで、道が舗装道路となった下山路は真夏の灼熱下、歩くのも困難になる
ほどのまめができてしまった。実は20年前は、結願を目前にここでリタイア、断念を
一旦決断したのだった。結果どのように結願したかは『自転車遍路遍』に書いてあ
る。
(左:長尾寺本堂 右:遍路宿の快適な部屋)
 その駅前商店街も現在はほとんど店も無く、駅前の賑わいもほとんどない。町自体
が東の方面に広がり少しはずれにはスーパーマルナカもできて、住民の皆さんの動線
も変わってしまっている。長尾寺門前の遍路宿も当時お世話になった民宿と同じ屋号
の旅館で懐かしく思っていたが、きれいに新築されて別館まで建てられていた。当時
宿泊した場所が今は新築の別館となっていて、向かいの本館は新築。現役世代と思わ
れるご主人が対応していただいたが、当時の女将さんはお母さんとのこと。今もご健
在で時々は旅館に見えられるそう。当日は所用と言うことでお会いできなかったが、
一気に懐かしさがこみ上げてきた。この日は同宿は50~60才代くらいの男性の歩き遍
路さん。私と2人が宿泊だった。明日も晴天とのこと。いよいよ結願に向かいワクワ
クしてくるが、快食、快眠。
            (本日移動距離 26.4km    内歩行 35,195歩 26.4km)

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