【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

3. 入院生活で自分の人生を振り返り、そして退院。ファミリーに感謝

2020-02-09 22:57:48 | 楽しく元気に『闘病』日記
-無事手術も「成功」して一安心。-

二〇〇六年三月五日(日)から入院期間中

 入院期間中のことは、日記風に手帳にメモをとっているが、どうも記憶も判断も「グチャグチャ」な状態で、若干記録に事実と異なることがある。しかし、とりあえず書き留めたことを整理すると、以下のようになる。とりあえずは、「あったこと」はメモにして残している。しかし、「記憶」として認知していることとは、違っていることが少なくない。まずは、メモを掘り起こしたい。
 3月日(日)は面会時間にはパートナーがやってきた。パートナーが来るとほっとする。朝九時からCTスキャンで術後の状態を検査。検査の後、ICUから普通病室六〇八号室に移動となった。そのうちに三人の娘たちが順番に見舞いにきてくれる。
食事はおかゆをとり、流動食とはいえ昨日から食べていないのでおいしかった。頭のほうはやはり『割れる』ような痛さだ。十八時過ぎに日曜日と言うのにI先生がやってきて、CTの説明があった。右前頭葉部に少し出血があるが、自然に吸収されていくとのことで、とりあえず術後は順調だが、しばらくは車椅子を使用し、用の無いときはベッドで安静とのことである。
 三月六日(月)やはり仕事のことが気になり、職場のY・Kさんに電話を入れた。少し仕事の上で動きがあるが、結局何もできない。もう、しばらく仕事のことは考えないようにしようと思う。本日は、大学時代の恩師で昨年秋に癌で亡くなられた「真田先生を偲ぶ会」の事務局会議の日だ。これも申し訳ないが何ともしようがない。
 三月七日(火)長姉、次姉が見舞いにきてくれた。次姉は東京からである。夕方、パートナーがきて体を洗拭してくれた。その後着替えも済ませ、久々に気持ちがよかった。
 三月八日(水)本日より、おかゆから普通食となった。おいしかった。パートナーは昼前にきて、夕方に帰った。その後、二十時前にI先生が回診にきて様子を聞かれる。かなり落ち着いてきたことを報告すると、経過が順調なので
「散歩などの外出をしてもよろしい。頭を洗わないで風呂に入ってもよい。」
 ということであった。

-手術も成功して術後の安静と回復を期す闘病生活。自分を振り返ることの大事さがよくわかった気がする。-

三月九日(木)昨日入浴の許可をもらったので、十時三十分に入浴をした。久しぶりの入浴で本当にくつろいだ。風呂から上がると、兄が見舞いにきており、
「順調な回復でよかったな。」
 とのこと。ただし、日記のメモにはそう書いてあるのだが、本当に入浴したのか、今となってはちょっと違う気がする。確か、頭の手術創の抜鈎(ばっこう…手術創を止めて あるホッチキスのような金属を抜くこと)の後に入浴の許可があったように思うが、何かメモと事実が混同しているようだ。

三月十一日(土)朝十時頃に、次女と三女、まもなく兄が見舞いに来た。そのうちに長姉と次姉も見舞いにきてくれて、ずいぶんとにぎやかになる。十一時前になると主治医のI先生が回診に来て、様子を聞かれる。順調に回復してきており、その旨を言うと、あっさりと
「それでは、抜鈎(ばっこう)しましょう。」
と言うことになった。
「リムーバー(確かそういったと思う)を持ってきて。」
と看護師さんに指示し、リムーバーを手にするとあっというまにブチィッ…、ブチィッ…、と抜き始めた。少し肉に食い込んでいる分チクッとするが、だんだんとすっきりと開放感が拡がってくる。
「先生。傷口を止めるのがホッチキスなら、それを抜くのはバッ(抜)チキスですね。…」
我ながら、誰も笑わないまったく面白くない洒落を言い、一同白ける。どうも気が軽くなり、口も軽くなっているようだ。
本日より点滴が一日に一本となり、それまで静脈に入れっぱなしであった点滴用の針も抜き、都度針刺しをすることとなった。頭の三角巾もはずし、いずれにしてもすっきりとした。
(外出、外泊、入浴の許可はこの日に言われたと思うのだが、日記のメモには八日に言われたと書いてある…)
本日京都の立命館大学では、十四時から癌でなくなった大学時代の恩師を偲ぶ会、十六時三十分からはゼミ同窓会総会が行われており、私は実行委員や事務局を仰せつかっていたのだが、こういうことになって何の足しにもならなくなってしまった。力及ばなかったが、病室から京都の方を仰ぎ、黙祷をささげた。

-手術が終わり闘病生活。混乱しつつも順調に回復-

三月十二日(日)パートナーと次女が見舞いに来る。午前中は、せっかく外出許可が出たので、病院近くの、ナンバウォークまで散歩に出かけ、ブックファーストで本を買う。「ウェブ進化論」他2冊。
  本日のメモには、「退院」などと書いてあり、一週間分混乱しているようだ。

 三月十三日(月)本日はパートナーは仕事のため、夕方まで来ない。さびしい思いをしていると、十五時に次女が見舞いに来た。取り留めのない話をしたが、次女が私のことを本当に心配しているのがひしひしと伝わってくる。少し遅くなったが十九時にパートナーが見舞いにやってきた。ほっとする。

 三月十四日(火)本日は十時に入浴。抜鈎して頭も洗ってすっきりする。最近は、なるべく体を動かすように、病院内ではできるだけ歩き、できるだけエレベーターにも乗らないように心がけている。
 五階にある浴場から上がり、部屋に戻りくつろいでいると、十一時頃に長姉と次姉が見舞いにきてくれた。術後の順調な経過に二人とも安心してくれている。昼食はグラタンのシーフード風。おいしかった。病院食なのだから、量もカロリーも塩分も計算されているのだろうが、それしか楽しみがないというか、いつもいつもおいしく頂いている。それでもってダイエットも進んでいる。
 長姉と次姉は十四時前に帰った。しばらくすると、パートナーが見舞いに来た。

 三月十五日(水)~三月十七日(金)毎日本を読んだり、短時間外出し散歩したりの日々である。毎日パートナーか娘が見舞いに来てくれて、気持ちが休まる。適当にわがままも言ったりしている。術後の経過は「日にち薬」で日に日に体調と体力が回復してくる気がするが、パートナーの助言もあり、過信はしないように心がけている。主治医のI先生から、十九日の日曜日に退院の許可が正式に出た。

-いよいよ退院の許可が出た。体力、気力の回復を目指す。-

三月十八日(土)朝は入浴後散歩。明日に退院を控えてなんとなく気持ちが軽い。点滴に来た担当の看護師のNさんも
「いよいよ退院ですね。退院してからも注意して、良くなってくださいね。私は明日は休みですが、ちゃんと引継ぎをしていますから。」
と言ってくれる。パートナーと上の孫のYuが見舞いに来る。Yuは性格の優しい子で、この間本当に心配しており、明日の退院を教えるとパッと明るい顔になり、喜んでいた。私もうれしくなってくる。パートナーと孫は夕方までいて私に付き合ってくれた。
夜の八時過ぎに主治医のI先生が回診に来た。明日の退院にあたって、退院後の生活上の注意、ケアの治療、高血圧などの他の疾病の治療等についての説明等があった。本日は、土曜日で朝は手術日で、おそらく午後は検査かカンファレンス。そして夕方から夜のこの時間もまだ回診と、本当に熱心でよく仕事をされる医師だと敬服する。

-いよいよ退院の日。これから自宅療養と復活を目指す日々だ。-
 
三月十九日(日)本日はいよいよ退院の日。朝食の後、少し散歩で、ナンバウォークに出かけ、本と、売店で缶コーヒを買って飲む。この間の入院の余韻を少し楽しみ、十二時前に病院に戻ると、パートナーと次女が既に来ており、はや退院の荷造りを終えていた。
 「どこへ行ってるの。ぶらぶらとして。」
 「ちょっと、退院を前に散歩に行ってた。」
  「何をしてるのよ。」
 いつもの調子である。
 十一時三十分には退院の準備がすっかり整った。十二時に最後の病院の昼食を食べ、食事の片づけを終えいよいよ退院である。
  
十五日前の三月三日に、両手に荷物を持って手術への不安と術後の今後の生活も含めた漠然とした不安を一杯に入院してきた病棟に、今は安堵の気持ちと、もう一度再起を期すぞという気持ちを持って、病室を離れようとしている。気持ちはすっきりとしている。十三時にナースステーションに挨拶し、看護師さんたちに、
 「おめでとうございます」
 と口々に言われて、それに送られパートナーと次女とともに、病棟を後にした。
 『さようなら。ありがとう。I先生、看護師のNさん、看護師の皆さん、ヘルパーさん、病院のスタッフのみなさん。ケアのためにまた来るけれど、本当はもう入院しないようにしたいです。』
 私の、思いであった。
 その後、私は四月二日まで自宅療養でリハビリの生活を送った。その間に、三女は「全快祝い」といって、寿司をご馳走してくれたり、日航ホテルの中華レストランで中華料理をご馳走してくれた。上の孫のYuも手紙をくれたりした。家族の心温まる励ましと思いやりは、本当にうれしかった。こんなことがきっかけであると言うのは、あまり良くはないのだろうけれど、家族の連帯と信頼を心から感じることができて、私にとっての幸せというものをつくづく実感させてもらったと思う。
 その後、四月二十一日にケアのために通院し、順調な回復であり、また七月二十一日にも通院し診察を受けた。体のほうは順調に回復していると思う。毎日、西院から金閣寺近くの職場まで自転車で通勤し、歩くときも「早足」を心がけている。術後の不自由はとりあえず何もない。七月の診察時に乾先生に
 「夏休みに三泊四日でそこそこ厳しい登山に言っても良いですか。」
 訪ねると、
 「どうぞ、どうぞ行ってください。結構ですよ。」
 とのことである。
 とにかく、現在は術後の経過は順調である。しかし、家族のため、自分のため、あまり過信することなく、着実に着実に、少し自分で見つめなおした人生を切り拓いて行こうと思う。                           (完)



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