答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

それぞれの「万国公法」

2023年12月08日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

8月に『全建ジャーナル』という全国建設業協会の広報誌に拙文を寄稿した。『いまの仕事の進め方、正しいですか?それとも間違っていますか?』という、全国各地の土木技術者が代るがわる受けもつ連載の第8回目だ。

内容はといえば、ココでは再三書いてきたことのリメイクであり、読者さんにとって目あたらしいものはなにもないが、発表する媒体が異なったり、また字数の制約があったりすると、ダラダラと思いつきで書いている普段とは少しばかり雰囲気がちがうような感じを受けるから、我ながらおかしい。

今朝、ひょんなことからそれを思い出したので転載する。

(以下、『全建ジャーナル令和5年8月号』からの転載)

 

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 よくあるランキングに「好きな歴史上の人物は?」というものがあります。その時々の傾向があって、アンケートを実施する年によりランクに違いがあらわれるようですが、過去何十年ものあいだ、必ずベスト3にランクインする人物がいます。坂本龍馬です。
 ことほど左様に龍馬の人気は持続的であり、しかも他を圧するものがあります。その理由には、さまざまなものが挙げられますが、そのなかの一つとして先見性や先取の気風があります。それをあらわすエピソードとして有名なのが、土佐勤皇党の同志である檜垣清治とのあいだのやり取りです。作り話だという説もあり、実話かどうかは不明ですが、いかにも龍馬チックな逸話です。それを紹介するところから拙稿をはじめたいと思います。
 当時、土佐藩士のあいだでは長い刀を差すことが流行していました。ある時、久々にあった檜垣が長い刀を差しているのを見た龍馬は、「そんなもんは実戦には使えん」と、自分の腰にある短めの刀を見せます。それに感心した檜垣は、それ以来短い刀を持つようにし、次に龍馬と再会したときに、どうだとばかりに見せます。それを見た龍馬は、「刀の時代は古い、これからは拳銃よ」と、懐から短銃を取り出して見せます。またまたそれに感化を受けた檜垣はすぐに拳銃を買い求め次の再会でそれを見せると、龍馬ニッコリ笑って「これからはコレよ」と懐から一冊の本を取り出します。万国公法、現在でいうと国際法について書かれた書物です。それまで懸命に龍馬のあとを追いかけていた檜垣ですが、残念ながらそこが限界、それ以上ついていくのをあきらめたという話です。

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 この逸話での檜垣は、時代遅れの象徴で半ば嘲笑の対象として語られるのが常です。しかし、かねてより私は「そうだろうか?」と感じていました。その理由を具体的に述べます。

  
          *


 まずエピソード1では長い刀を捨てます。
 当時「流行っていた」という事実から考えると「長い刀」にもそれなりのメリットがあったはずです。しかし、例えばそれが「皆が採用しているか」とか「見栄えがよろしいから」とかの、武器としての存在価値以外のものであったとしたら、太平の世が終わりを告げようとしているその時代に実戦用武器として通じるものではありません。それが理解できずに、ただ多くの人が差しているからという理由で「長い刀」という従来のツールにしがみつく人は多い。しかし彼は代えました。エピソード2も同様です。戦闘のスタイルが変化し、そこにおいて主要な位置を占める武器が刀から短銃に変わりつつあることを理解できずに、または、「オレは変化した」という成功体験意識から脱却できずに、「短い刀」という手法を捨てることができない人もま
た多いはずです。しかし彼は、たとえそれが人真似ではあっても時代の変化に適応していきました。
 とはいえ、そんな檜垣の限界が露呈してしまったのがエピソード3です。「長い刀」から「拳銃」までは純粋な意味における武器、つまりツールや
手法のカイゼンあるいは進化という文脈で同じ延長線上にあります。しかし、「拳銃」から「万国公法」への変化はちがいます。
 コペルニクス的転回といってよいでしょう。純粋武器を使った戦闘だけが戦いではなく、国際法を駆使するのもまたネゴシエーションという場における戦いなのだという、いわばフェーズの異なるステージに立たなければ理解できない変化がそこにはあります(史実として龍馬は、「いろは丸事件」において国際法を駆使し、紀州藩に多額の賠償金を支払わせています)。残念ながら檜垣には、その本質が理解できなかったのでしょう。ビジネスの世界に置き換えてみるとそれは、仕事に用いるツールや手法は変える(カイゼンする)ことができたが、仕事のスタイル(やり方)を変えることはできなかったということです。


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 私たちの仕事でも、そのような例が多くあります。一例をあげましょう。株式会社トプコンが開発したレイアウトナビゲーター(以下杭ナビ)は、ワンマン測量で位置出しや杭打ち作業を手軽にかんたんに行えるようにつくられた自動追尾トータルステーションです。杭ナビ標準アプリだけではなく、快測ナビ(建設システム)と連携させることで利用用途が一気に拡大し、今や土木現場における測量ではスタンダードと言ってもよいぐらいに普及しました。しかし、ほとんどの場合にそれを使用するのは従来のように現場技術者であり、その使い方からは、最低2名必要だった作業が1名で行えるようになったという成果しか上がっていないのが多くの建設現場における現状です。といっても、これまでの生産性が倍になったのですから、それは目ざましい成果にはちがいなく、このツールと手法の画期性を否定するものではありません。しかし、先の龍馬エピソードに即して考えると、その活用方法は「長い刀」→「短い刀」→「拳銃」という延長線上にとどまっているに過ぎ
ません。

 

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(画像出典:KENTEMホームページ)

 

 徳島県に株式会社大竹組という地場ゼネコンがあります。第2回i-Construction大賞優秀賞を受賞したのでご存知の方も多いでしょう。大竹組
では測量=技術者がやるものという既成概念にとらわれることなく、その作業を若手の軽作業員に担当してもらっている間に技術者は他の業務(例えば書類作成などの内業)をこなすことで技術職員の残業を減らすことに成功しました。この例は広く紹介されており多くの方が承知しているとは思いますが、その本質を理解し、自分の仕事に適用している人がどれだけ存在しているでしょうか?
          *
 私が見聞きするかぎり、測量という自らの仕事を手放したくない技術者はあまりにも多く、それが「あらたな仕事のやり方」を生み出す障害となっていることに気づいていない人もまた多数存在します。「それしきのこと」、と思われるかもしれませんが、私はここに「万国公法」を感じます。
 「万国公法」というフェーズがそこにあるのに気づかないか、あるいは自分を守るために無視するか、いずれにしても、そこから「仕事のやり方を変える」ことはできませんし、「あたらしい仕事のやり方」を生み出すこともできません。
 BIM/ CIMもまた同様に考えることができます。かつて、手描きの図面から2次元CADへという革新的な変化がありました。私はこれを同じ延長線上にあると考えます。定規とシャープペンシルがパソコンに変わったことで飛躍的に効率が上がりはしましたが、それは所詮、スーパー文房具としてのPCが成し得た成果でしかありません。
 ではBIM/ CIMはどうでしょうか?そこに私は、龍馬が「拳銃」から「万国公法」へとコペルニクス的転回を果たしたと同じような本質があると思うのです。
 といっても、時が経てばそれは常識となっていき、その本質に気づかなかった者も、等しくそのツールや手法の恩恵を受けることができるようになる。そういう例もまた数多くあります。「だから待つのだ」という態度をとる人は少なくありません。ではそのとき、「あたらしい仕事のやり方」を模索した人たちの苦労は水の泡となるのでしょうか?私はそうではないと信じます。なぜならば、そこには「変える」を模索しつづけるという姿勢が一貫してあるからです。その繰り返しはやがて、「変える」を方法にします。  
 「変えるという方法」が仕事のスタイルとなります。それは、一つのことに留まらず、さまざまなことに適用できる本質を内包するという意味で「方法」です。「待つ」を選択する人たちには永遠にそれが訪れることはありません。ということは、自ら「変えるという方法」を身につけることができれば、自らを取り巻く環境がどのように変化しようと、今という時代の建設業を生き抜いていく上で大きなアドバンテージを得るということです。


          □■□


 「万国公法」を手にする機会は皆に等しくあります。それが「万国公法」なのかどうか。あるいはそれを、「万国公法」にするのかしないのか。いつ
もいつでもそれを模索しつづけること。それが今という時代の建設業を生き抜く秘訣(のようなもの)だと私は思うのです。

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「思い出」発「現在地」考

2023年12月04日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

「アンタには現場を選ぶ権利がない」

クルマの助手席で笑いながらそう言い放ったのはボスで、もう20年以上も前のこと。「次はどこそこの現場がいいですね」と、まだ経験したことがない種類の工事を担当してみたい旨の希望を口にしたぼくへの返答だった。

「いや、選択権がないのはわかってますが、希望ぐらいは口にしてもいいんじゃないですか?」

ハンドルを握るぼくがささやかな抵抗を試みると、

「口にするだけやったらしてもええけど、まずそのとおりにはならんな」

つまり、彼が決めた仕事をするしか道はないという宣告だ。

それはそれで雇われ人という立場なのだもの、従う他はない。だが、やっかいな工事をひとつかたづけたばかりで、達成感と開放感に満ちあふれたときに聞きたい言葉ではなかった。

「アタシに回ってくるのはは難儀な仕事ばっかり。たまには◯◯さんみたいにずっとおんなじ現場を鼻歌まじりでしてみたいもんですわ」

思い起こしてみれば失礼な発言。同じ現場は二度ない。同じような仕事でも、その時々で問題課題は変化するのが現場一品生産という特殊形態をもつこの仕事の宿命だ。その◯◯さんだとて、まさか鼻歌まじりでしてはいなかったのだろうが、少なくとも当時のぼくの目にはそう映っていた。

「それもないな」

にべもない返事に、会話をつづけるだけムダだと押し黙った。

がっかりはしていたが腹を立てていたわけではない。「デキるからそうするのだ」という信頼と期待が感じられたからだ。「選ばれし者の幸福」というやつだろうと自分に言い聞かせた。

だからといって、命じられた仕事をこなすだけでは癪にさわる。それならばコチラから攻めてみようと、アレもできるコレもできるとばかりに申告したマルチタスクを自らに課した。受動的な姿勢でいるとすぐに「追い込まれる」が、逆にアグレッシブに立ち向かうと「追い込む」こともできる。そんなことはめったにないが、そうなったらコッチのものだ。その繰り返しが身体に沁みこみ血肉となって今のぼくがある。言い換えれば、その繰り返しがなければ今のぼくはない。であれば、今となっては感謝するしかない。

そう結論づけたあと、ひとつの疑念が生じた。

当時のボスがとったような態度を、今のぼくは部下に対してとれるだろうか?

答えは「とれない」だ。「時代がちがう」という理由が真っ先に浮かんだ。

本当にそうだろうか?もしも今、あの頃のぼくが目の前にいたとしたら、今のぼくはそうしないだろうか?自問した。

よくよく考えてみればボスも、ぼくに対してはそうしたが、皆にそうしたわけではなかった。幾人かの顔を思い浮かべ、むしろぼくへの態度の方が例外的だったことに思い当たった。

たしかに「時代はちがう」。しかし、苦難を成長の糧にできる人間がいなくなったわけではない。困難をただの苦しみとだけ感じる人間は、今も昔も存在する。時代はちがってもそこは不変だ。

どちらか一方だけで組織が成り立つわけではない。かつてのぼくのようなオーバーアチーブな人間だけを集めたら、成果を上げつづける組織ができるものでもない。肝心なのはバランスだ。成果は個人だけが生み出すものではない。チームの所産としてそれはある。

バランスとひと口に言うが、それは何も均衡ということではない。その時々のメンバー構成に応じた役割分担が適切で上手に機能するかどうか、それがぼくの言うところのバランス(平衡)である。そのためには、人材が流れ動く大都会ならいざ知らず、この田舎では、チームの構成が変化した場合には「成果」を変えることも含めて考え、行動することもアリだろう。

「時代はちがう」のではなく「人がちがう」だけなのかもしれない。

そう考えると、結局のところ昔も今も、やらなければならないことはあまり変わらないような気がしないでもない。

誰も気に留めないような何気ない朝の会話から、そんなことを思い出し、こんなことを考えた。

相も変わらず、「こうするべきだ」「こうした方がよい」という結論が出たわけではない。

 

 

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失敗ありき

2023年10月31日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

「希望的観測」という言葉の初出はクレメンス・メッケルだという。明治時代に陸軍が招聘したドイツ軍の参謀である。彼は、日本の軍人をこう評価した。

「彼らは総じて優秀であるが、一点だけ軍人として致命的な性格を共有する。規模の大小に関わらず、まず理想の戦果を特定し、ひたすらそれに向かって作戦を立案する癖である。すなわち、敗北、撤退、混乱といった戦場に充満せる負の要素を一切想定せず希望的観測によってのみ戦争を遂行せんとするのである」

という逸話をオーディブルで聴いたのはきのう、『失敗から学ぶ現場監督技術』というお題(リクエストされたテーマです)を講じた県技術職員研修会からの帰路、高知市から東へ向かう高速道路を走るクルマのなかだった。聴くなりすぐに、その小説(浅田次郎『長く高い壁』)の再生を停止した。結局、話の流れで実現することはなかったが、その講話の最後に紹介しようと考えていた手法、心理学者ゲイリー・クラインが提唱した「事前検死」のことを思い起こしたからだ。

事前検死。そのやり方とは、プロジェクトの実施前に、あらかじめそのプロジェクトが失敗した状態を想定し、「なぜうまくいかなかったのか?」をチームで事前検証していくというものだ。つまり、失敗をしていないうちから失敗を想定してそこから学ぼうとする、グーグルの元CEOエリック・シュミットが好んで使ったという ”Fail fast,fail cheap,and fail smart"(早く失敗、安く失敗、賢く失敗)を地で行くような手法だ。

「失敗するかもしれない」ならば誰もが考えることだ。帝国陸軍が希望的観測を拠りどころにしたのも、ひょっとしたらその不安を打ち消すためだったのかもしれない。「事前検死」はそうではない。そこから一歩も二歩も進め、こう考える。

プロジェクトは失敗した。

目標は達成できなかった。

この状態がスタートで、そこから検死を行う。検視ではない検死だ。すなわち、検視(=遺体や周囲の状況調査)、検案(=検死によって得られた情報を元に死因などを究明する行為)、解剖(=ここまでの行為では断定できない情報がある場合に遺体を解剖して詳細な情報をさぐる)といった流れのすべてを総称したものである。プロジェクトが行われている最中にあるかもしれない失敗を具体化し、その理由をあきらかにして一つひとつを事前につぶしていく。それが「事前検死」だ。

期せずして聞こえてきた希望的観測の由来と「事前検死」のふたつが結びつき、その数十分前までに話していた自身の「失敗」とリンクして、会社に着くまでの約1時間というもの、さまざまな思考が脳内を行き来した。さて・・・どう料理をしてやろうか。むずかしいのがココからなのは言うまでもないが。

 

 

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確証バイアス

2023年10月03日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

問題:「2、4、6」という3つの数字はどんなルールで並んでいると思いますか?同じルールで並んでいると思われる好きな数字を3つずつ言って次の4つの答えから正しいものを見つけ出してください。

1.数字が昇り順に並んでいる。

2.偶数が並んでいる。

3.偶数が昇り順に並んでいる。

4.3番目の数字が前の2つの数字の和である並び。

 

一見してもらえればわかるだろうが、1から4までの回答は理論的にはすべて正しい。しかし、ここでの正答はひとつしかないという前提だ。

こういった場合にほとんどの人は、まず仮説を立てる。たとえばアナタが立てたそれは「3.偶数が昇り順に並んでいる」だった。すると、それが正しいか間違っているかを証明しなければならない。それにもとづいて、仮に「8、10、12」と答えてみる。ちなみにここでは、質問者は回答者が正解だと思われる並びを出すたびにその正誤について答えなければならない。

まず一回目は「正」だった。アナタの仮説は正しいかもしれないという可能性が残った。と同時に「4.3番目の数字が前の2つの数字の和である並び」という答えは誤りであるということが判明した。そうなると今度は、たとえば「20、22、24」で確認する。これを3~4回やれば、ほとんどの人には自らが立てた仮説の正しさに確信が芽ばえるはずだ。

しかし、それでもまだ正解かはわかっていない。考えてみてほしい。もし正解のルールが「1.数字が昇り順に並んでいる」だったらどうだろうか?それまでと童謡の確認を延々と繰り返したところで、正解かどうかはわからないはずだ。

そこで、自分の仮説が「マチガイかどうか」を確認するという方向に戦術を変えてみる。そうすると、ずっと短時間で正解が導き出せる。たとえばそれはこういうことだ。「 3、10、11」。それが「正」と判定されれば、「3.偶数が昇り順に並んでいる」という仮説は誤りだったとわかる。言わずもがなであるが、「2.偶数が並んでいる」もマチガイだ。そしてそのあと、たとえば「10、4、 1」とデタラメな数字を降り順で提示してみる。それが「誤」と判定されれば正答は「1.数字が昇り順に並んでいる」だということがわかる。

ここで重要なのは、自分の仮説の正しさを、それに反する数列で検証するという方法を採用したことだ。実際にこれは、かつてペンシルバニア大学で行われた実験で、被験者である学生は、好きなだけ数列を答えてもよいと言われていたのにもかかわらず、正解のルールを見つけ出したのは全体の10%にも満たなかったという。

以上、元ネタは『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』(マシュー・サイド著、有枝春訳)から。そこで著者はこう書いている。

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肝心なのは、自分の仮説に溺れず、健全な反証を行うことだ。我々はつい、自分が「わかっている(と思う)こと」の検証ばかりに時間をかけてしまう。しかし本当は、「まだわかっていないこと」を見出す作業のほうが重要だ。

哲学者カール・ポパーもこう言った。「批判的なものの見方を忘れると、自分が見つけたいものしか見つからない。自分がほしいものだけを探し、それを見つけて確証だととらえ、持論を脅かすものからは目をそむける。このやり方なら、誤った仮説にも(中略)都合のいい証拠をなんなく集めることができる」

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このくだりを読むなりすぐ、誰もいない空間に刃があらわれ、その切っ先がぼくの胸につきつけられたような気がした。

そのあと聞こえた言葉はこうだ。

「オマエもな」

寒くなった背筋を思わず伸ばした。

 

 

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(現場監督の)仕事はたのしいか

2023年10月01日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

品質(quality)、コスト(cost)、納期(delivery)の頭文字をとってQCD。建設業の現場監督(マネジャー)は、時に対立しトレードオフの関係にあるそれらすべてを満足させることを求められる。のみならず、それに加えて安全(safety)もまた、けっして疎かにすることができないときたら、その実現は生やさしいことではなく、それらすべてを高水準で達成することがどれだけ困難なことか、あえて説明する必要もないだろう。そもそもそのようなことが易々とできるようなオールマイティーな人間はほとんど存在しないと言い切っても差し支えない。

人間誰しも得手不得手がある。QCDSのどれが得手でどれが不得手か、あるいは、どれが好きでどれが嫌いか。人によってそれが分かれてくるのは当たり前の話なのだが、そんなことを大っぴらに表明しようものなら言語道断職務怠慢と指弾されるに決まっている。「甘えんじゃねえ、それがオマエらに与えられた職務だろうが」てなもんである。とはいえ、誰にでもある嗜好や好き嫌いが、仕事にだけ「ない」と言い切ることには明らかに無理がある。

ただ、そのことを踏まえても、それらを避けたりそれらから逃げたりするわけにはいかないのが、マネジャーとしての現場監督だ。それもまた当たり前のこと。それがイヤならばやめるしかないとなるが、いや、「やめる」という結論を出すのは早計だ。

ではどういうふうにそれを乗り越えていったらよいのか。じつを言うとぼくは、そのことについてずっと考えつづけてきた。この仕事がそのようなものだと理解してからずっとだ。

そのひとつの方策が「たのしむ」ことである。「おもしろみ」を見出してそれを「たのしむ」と言った方が適切だろうか。多岐にわたる仕事のうち、自分が得手とするところはないか。自分自身でそれを見つけ出すのだ。そしてそれに他の事柄を従属させる。そういう関係を自分でつくり出す。たしかにQCD+Sは、あちら立てればこちらが立たずのトレードオフの関係にはちがいないけれど、と同時に、互いが独立してあるものでもない。どこかに必ず結びつく因果関係がある。よしんばそれが見つけられないとしたら、無理矢理にでもつくり出す。たとえ自分勝手な理屈であっても、世間一般の道理から外れていたとしても、何ら差し支えはない。なんとなればそれは、自らの心の内なる問題だからだ。

そこで何より重要なことは、自らが進んでそれを選択することだ。もしもアナタが正解は誰かが与えてくれるもの、あるいはそこへたどり着くための道筋は誰かが指し示してくれるもの、はたまた待っていればいつかはやって来てくれるものがそれだと思っているとしたら、それこそが勘違いの最たるものだ。人は与えられたもの、つまり他者からの押し付けやお仕着せでは、心の底から「たのしむ」ことができない。自らがそれを見つけ出し、自らの意思でそれを選択する。そうやって自らが能動的に動いた結果だからこそ、そこに「たのしみ」が生まれてくる。「たのしむ」の初めの一歩はその一点にあるし、常にそこを外さないように心がけることが肝要だ。

「達成感」などという美辞麗句で自分自身の仕事の魅力を語ってはならない。なぜならばそれは、「達成感」のみにしか魅力を見つけることができない、すなわちプロセスにはなんの魅力も存在しないと言っているに等しいからだ。

その気になりさえすれば、この仕事のプロセスのあらゆるところに「おもしろさ」や「たのしさ」は存在している。それに気づかないか、あるいは気づいていても気づかないふりをして「辛さ」を増幅させているか、だとしたらそれこそが、自らへの裏切りだとも言えるのではないか。

 

以上、「仕事のたのしみ方」に関しての、今のぼくの考えだ。表題には「現場監督の」という括弧をつけたが、世間一般の仕事にも通底するものだと信じている。

だからといって、たかがそれぐらいのいわば心がまえ的なもので「辛さ」が消え去ってしまうはずもない。そんなことは百も承知だ。だからこそぼくは、その「辛さ」を抱え込み、その「辛さ」と表裏一体にある「たのしさ」を第一義にしたい。といっても、事は口で言うほどかんたんではないが、チャレンジしてみる価値は大いにある。ということでアナタもひとつ、いかがだろうか?

 

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居着く自分へ

2023年09月04日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

たとえばぼくの属する会社の例で言うと、朝イチバンに技術屋だけの会がある。次にあるのは技能職を加えた全体朝礼だ。日々の定例会はこのふたつだけ。週に一度行われるのは工程会議だ。月に一度の工程会議もある。あ、そうそう、主要スタッフだけの会議もあった。その他、いろんな勉強会があったり、随時の打合せがあったり、そのたびに参加者が陣取る位置には、これといって決まったものがない。

だが不思議なことに、どのメンバーも同じ位置を選ぶ。何回開いても同じだ。何がその選択を左右するのだろうか。性格だろうか、好みだろうか、惰性だろうか・・・。一人ひとりをとると、何も考えずにそのチョイスをしている者が多いのだろうし、そんなこと取るに足らないことのようにも思える。だがその事実は、皆が気づかないうちにそれぞれの思考や行動を束縛している。

同じ角度、同じ方向から見聞きするものと、正反対の位置取りをする人が受けるものは、同じ人を見て同じ話を聞いていても、きっと必ず微妙にちがったものになるはずだ。そして、それがいつしか固定されると、固定観念と惰性を生み出す素となる。そうなることが、組織にとってもその人個人にとってもよかろうはずがない。

やっかいなことに、人間がもつその習性は強力な磁力を有しているようだ。それを打破せんと意識をして、時おりは会での席を変えているぼくにしても、その例外ではない。気がつけば、いつも同じようなところに陣取っている自分がいる。そしてあろうことか、時々はこう思ってしまうのだ。そこはオレの席じゃないか・・・

生物としての人間は変化する。一秒たりとも同じではない。必ず変化している。だが、人の意識は多くの場合に変化を好まない。今日までも、あしたからも、同じ自分が在ると錯覚している。そんななかにあって惰性に陥らないためにはどうすればよいか。日常のちいさなことから、居着かないことを常に意識して日々を過ごすのは、その一方策として効果的だ。

たかが座席の位置だと思うなかれ。「居着く」心はそんなところから始まっている。そして「居着く」は諸悪の根源だ。そこから生ずる惰性や固定観念は、発想や行動を束縛し、創造するちからを奪い取ってしまう元凶だ。

天才級の人物ならいざ知らず、貴方やぼくのような凡人ならば特に、ふだんのちいさなことからそこを意識づけることが居着かないための初めの一歩だ。

ぼくはそれが、たとえば「座席の位置」にあると思う。

結局のところそれは、そうやって意識づけをしなければすぐに居着こうとしてしまう自分への注意喚起であり、警告に他ならないのだけれど。

 

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労の多少

2023年05月23日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

「労多くして功少し」という。

労力をかけることが多い割には、それに対する見返りが少ないことを言い表す言葉だ。今風な物言いをすれば、「コストパフォーマンスがわるい」とでも言おうか。

ことをビジネスや会社という世界に限れば、よりよい利益を生み出すために効率という指標は何より大切なものであり、それを否定また無視してしまうのは、局所的には認められることがあったとしても、全体としてはごく稀であると言ってよい。いかにして少ない労で多くの功を得るか。これが優秀なビジネスマンであるかどうか、あるいは成功する企業であるかどうかを決めてしまうと言っても過言ではないだろう。

しかしわたしは、それを理解しつつも、仕事のスタイルとしては採用するべきではないと信ずるひとだ(特に若いころには)。

なぜか。「労を惜しむ」人間に成果はおりてこないと考えるからだ。いや、ゼッタイにそうであるとは言わないが、たまさかそれが実現したとしても、「労を惜しむ」を追求した結果としての成果は、自分自身の未来にとってよい蓄積とはなり得ず、その先に向けての肥やしにはならないと思うからだ。

もっと端的に言おう。「過剰な労働を厭うな」ということである。過剰な労働とならないように工夫するのと、過剰な労働を厭うのとは、まったく似て非なるものだ。やみくもに労を多くすればよいというものではないし、ことさらに労働時間の多さを誇るのは愚の骨頂だ。基本的には、過剰な労働は避けようと努力するべきである。わたしがここで言わんとしているのは、そういうことではない。心持ちとか姿勢の問題である。

成果をあげる組織には、過剰な労働を厭わないタイプの人間が必ず存在する(内田樹はそれを「寝食を忘れてやるタイプ=オーバーアチーブタイプ」と名づけている)ものだ。そしてそういう人たちがもたらす利益が、「労を惜しむ(=楽をしようとする)」と考え実践する人間の生産性を超える組織が成果をあげる。少なくともわたしはそう信じている。

労を惜しまない。楽をしようとしない。

労を惜しまず、足掻いて足掻いて、どこまでも足掻いてみる。そしてそれをたのしみながら実行する。わたしはそれが両立しないとは思わない。

労を厭わないのがたのしい。足掻くのがたのしい。

もしそれが自分自身のなかに自らの方法として確立できたなら、それはアナタの強力な武器となる。

未だ実現できていないわたしがそう言うのもなんだか変な話ではあるが、きっとそうだという確信はある。イヤほんと。

 

 

 

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仕事脳

2023年05月22日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

人間というやつは、楽な方へはすぐ流されるものだとつくづく思う。何がって、週休二日である。遅ればせながらわが社も、今年度から完全週休二日制にした。わずかひと月半しか経過していないというのに、その週休二日にすっかり心と身体が慣れ親しんでしまった自分を見て、人間というやつは楽な方へはすぐ流されるものだと、つくづく思うのである。

かねてより、というか十数年前から、それまでの考えを180度あらため、仕事と社会あるいは家庭はまったく別個のものとして存在する(倒立してある)べきだと考え実践してきたわたしにとって、週のうち5日はたらいて2日休むというこのサイクルは、想像していた以上の圧倒的スピードでその傾向を促進するものとなった。つまり、毎週必ず連休が存在することで、仕事のことを考えない時間が増えたということだ。そうすると、大変なのは月曜の朝である。意識して動機づけをし、モティベーションアップを図らなければ、社会復帰をするのが容易ではなくなってしまうのである。

とはいえ、そんななかでも眼前にぶら下がった重要事項が片づかないときや、さらにそれを打開するべき術が見つからないときなどは、さすがに仕事と家庭を厳然と区別することなどできるはずはなく、いつもアタマのどこかにあるそれが、浮かんでは消え消えては浮かびを繰り返しながら休日を過ごすということとなる。

先々週がそうだった。それを引きずったまま、解決策を見つけることができずに近づく期限に焦っていたのが先週末だ。といっても、土曜日は孫の運動会、翌日曜は隣町で開かれるイベントへの太鼓打ちとしての参加が決まっていた。そこに仕事が入る余地はない。いや、かつてのわたしなら迷うことなく孫の運動会ではなく仕事を選択したのだろうが、今ではまったく逆、孫を選ぶことになんの躊躇もない。しかもこの5月は、いわゆるコロナ禍明けだ。自粛による中止や制限つき開催があたり前となっていた3年間が過ぎ、さまざまな催しが堰を切ったように通常開催されているのだもの、行かない、という選択肢はない。幸いにして、前々日から降りつづいた雨も、前日夕方になるまでにはあがり、さあ行くぞとウキウキして着替えを済ませたわたしにLINEによる一報が届いた。

悲報である。そこには、グラウンドの不良により翌日に順延するという旨が書かれていた。

とっさに考えた。選択肢はふたつある。仕事の重要事項を片づけるか、その日に済ませておけばその後の展開がずいぶんと楽になる農作業を済ますか。ひとまずどちらを優先させるかを考えたわたしだが、じつはその前日から、ずっとアタマにひっかかっていた件に対する解決の道筋が、おぼろげながら見え始めていた。

会社へ行こう。行ってその解決策を実行してみよう。くだんの重要事項とは、ある書類の作成だから単独行動で済む。たぶんわたし以外に人はいない。となるとなおさら好都合である。カメラのシャッターが降りるように、パシャっと仕事脳に切り替わったのをハッキリと感じた。それを逃さない手はない。

「今日は会社へ行って仕事するわ」

妻にそう告げ家を出て、会社についたのは7時半ごろ。メシどきまで約4時間半。運動会へ行くためにいつもと変わらぬ時刻に起きていたのが幸いした。これを活かさない手はない。余計なことはせず、ここはイチバン集中するべとPCに向かうと、解決の予感はすぐに確信に変り気がついてみると11時過ぎ。すでに4時間が経過していた。

「やるときゃやるぜ」

誰もいない社内でそう独り言ち、7~8割方進んだその結果を確認すると、ある決断をした。

「帰ろう」

すべてを終わらせようと思えばできるが、そうしなくても、すでにその日に出社した目的は達せられたようなものだ。であれば、それ以上とどまることは止め、午後からはもうひとつの選択肢だった農作業の方をできるかぎりやる。災い転じて福となす。それができたら、仕事も家庭も一挙両得、すっかり霧が晴れるという寸法だ。4時間ほどグッタリなるまで働いた。そんなこんなの後だから、その夜のビールが至福の味だったのは言うまでもない。

この日最大のポイントは、仕事脳に切り替わったのを大切にし、その一点にもとづいて行動したこと。つまり好機を逃さなかった。

とはいえ今という時代は「働き方改革」の世である。いかに自分自身が残業の上限規制や年次有給休暇などとは無縁の立場だとはいえ、いやむしろそういう立場だからこそ、自ら進んで休むという姿勢を見せることが肝要ではあろう。しかしその反面こうも思う。いざという時には休日もヘッタクレもあるものかと。

今回の場合は、その判断が仕事脳への切り替わりだった。しかしわたしの場合、あのような感覚がそうそうあらわれるものでないことは、この脳とも長い付き合いだからよく承知している。だから、せめてアレがあらわれたときぐらいは、何よりもそれを優先したいものだと思う。

さて・・・・次回の出現を、期待せずに待つとしよう。

 

 

 

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65の春

2023年03月18日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

ひょんなことから思い出したエピソードは11年前の今日、日曜日のことでした。

そのころのわたしはといえば今とは段違いで、休日出勤などとあらためて口に出すのにも違和感をおぼえるほど、その働き方が常態となっていました。そんな2012年3月18日の日曜日、会社で独り業務に勤しんでいると、ある若者が突然出社してきたのです。

「どうした?」

とたずねると、あるファイルを発注者にメールで送りに来たのだと答えました。

そのころのわたしは、すでにDropboxを使って仕事をしていましたし、メールは会社アドレスも個人のそれも、Gmailで受送信ならびに管理をしていたので、そういう手があるのにわざわざ休日に出社し、それが終わればまた帰ると言う彼の仕事のやり方が歯がゆくてたまりませんでした。だから、「バカだねオマエ」ぐらいのことは言い放ったはずです。

一般的に、クラウドが広く世の中に注目されはじめたのは、2006年当時のGoogleCEOのエリック・シュミットが「データサービスやアーキテクチャは雲のような存在であるサーバー上に存在し、ブラウザやアクセス手段、デバイスによらす雲にアクセスすることができる」と発言して以来であるとされています。その後、日本国内でのクラウドサービス活用が盛んになったのは、おおむね2010年ごろからだとされています。エラそうなことを言ってはみても、いわゆるクラウドを活用した仕事の仕方をわたしが取り入れ出したのが、それほど世の中に先駆けていたわけではありません。しかし、世の中全体的にみればそうであっても、ここいらの建設業界隈では、少しばかり早かったのもまた事実でした。

今となっては笑い話のひとつに数えられるようなあのエピソードから11年。今では、クラウドもあたり前ですし、別にGmailでなくとも、どこにいてもどの端末でもメールを受信することも送信もすることもできるようになりました。ブラウザ経由のアプリケーションもごくごくふつうの存在です。今となってはだから格別どうということもなくなった(一部の人たちを除いては)それらは、当時からずっと使っていたわたしの表現で言えば「インターネットという仕事の仕方」であり、同じパソコンを用いるにしても、過去の延長線上にあるスーパー文房具としてそれを使うか、あるいはまったく別の「仕事の仕方」を生み出すものとしてそれを活用するか、どちらをメインにするかのちがいでした。

世の中で広く使われるツールや方法は、出現や淘汰を繰り返しながら、それなりものが浸透していきます。それが世の習いというものです。したがって、別に先走らなくてもそれを見極めてからでも遅くない、という考え方もあります。いやむしろ、どちらかというとその手の考えをする人の方が多いのかもしれません。なにもあわてて取りかかって苦労せずとも、世間にノウハウが積み重なってからでよいではないか、というところでしょう。

しかしそれではダメなのだと、わたしは言い切ってしまいます。

その待ちの姿勢では、仕事の手法を改善することはできても、自分たちの「仕事のやり方」を変えるところまでは、一生かかってもたどり着けないからです。周辺や世の中が変化したことによって、否応なしに変化せざるを得なくなり、結果として「仕事のやり方」が変わってしまったという例は掃いて捨てるほどありますが、それは本当の意味で「仕事のやり方」が変わったという表現に値するものではありません。なぜなら、受動的に「変わってしまった」あるいは「変えられてしまった」それは、自己の内部にその受動をとどめたままであり、それが残っている以上、自ら進んで「仕事のやり方」を変えるという肝心要の部分が「方法」となって身についていないからです。

「変わる」という方法、あるいは「変わりつづける」という方法と呼んでもよいそれは、自分たちの「仕事のやり方」を変える方法です。勘違いをしてもらっては困りますが、わたしはなにも、あたらしいものがすべてよいと言っているわけではありません。たしかに、ほとんどの場合にそれは、いわゆる「あたらしいもの」ではありますが、場合によっては、テクノロジーの進化の恩恵をあえて切り捨てるのもアリだと思っています。なんならば、グルグルと循環するのもアリだと思っています。わたしが言う「変わりつづける」は、それらを含めての「変わりつづける」であり、そうでなければ「仕事のやり方」を変えることはできないというのがわたしの考えなのです。

何かにつけて「意識がない」ことをやり玉にあげ、問題を意識レベルに封じ込めてしまうのは、とても危険な考え方だとわたしは思っています。しかしこればかりは、意識するかしないかがそのスタートラインであり、常につきまとって離れない、いや手放してはならない最重要事項です。11年前の、今となっては笑い話でしかないエピソードにかこつけてそんなことをあらためて書いているのも、いつまでもその意識をもちつづけるための術(すべ)のひとつです。そうでもしなければ、現状に居着こうとしてしまう自分への警告です。

悲しいもので、この歳になれば、他人がそれをしてくれることはめったにありません。いや、そういう物言いは不正確でしょう。たしかに歳のせいもあるでしょうが、多くはわたしの言動や性格がそうさせているからです。いずれにしても、いちど手に入れたその方法は、おいそれと手放すわけにはいきません。何年先になるかわかりませんが、ビジネスという世界から身を引いたそのあとは、意固地な頑固爺いとなって隠遁するのもアリですが、とりあえずそこは考えずに変わりつづけようと思っています。

書き連ねていくうちに、なんだか思いもよらない展開となり、決意表明のようになってしまいましたが、ふつうなら定年退職となっていたはずの65歳の3月でもあります。つまり、「19の春」ならぬ「65の春」なれば、これはこれでご愛嬌と笑って読み飛ばしてくだされれば幸いです。では。

 

 

 

 

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労を厭うな(若者へ)

2023年02月10日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

「労を厭う」と言う。

『精選日本国語大辞典』には「努力することをいやがる、力の出し惜しみをする、労を惜しむ」とある。

近ごろでは、世の中全体がどんどんとそっちの方に重心を移しているかのように感じられて、とてもとてもイヤ~なイヤ~な気分に陥ってしまうことがよくある。あながちわたしの思い過ごしではないはずだ。

「労多くして功少なし」と言う。

『デジタル大辞泉』には「苦労した割には効果が少ない」とある。

今風にあらわせば、ビーバイシーが低いとかコストパフォーマンスが悪いとか、といったところだろう。ことをビジネスの世界に限って言えば避けては通れない指標であり、全面的に効率を無視することなどあり得ない。いかにして少ない「労」で多くの「功」を得るか。この上手下手が優秀なビジネスマンであるかどうか、また成功する企業であるかどうかを決めるといっても過言ではない。

それを踏まえた上でわたしは、若者には「労少なくして功多し」を第一に目指すべきではないと、あえて断言してしまう。労を厭うな、「労多くして功少し」でもよいではないか、そう呼びかける。

楽をしたい。その気持ちを心中にもつことはごくごくフツーのことである。しかし、それを目的化し、それに向かって行動を収れんさせてはならない。「競争」という海原に身を置き、それを泳いでゆこうとするならばなおさらだ。

労を厭う者に成果は降りてこない。たまさか降りることがあったとしても、それは単なる偶然であり、その先に持続するものとはなり得ない。

いや何も、のべつ幕なしにそうである必要はない。どころかむしろ、ぼーっとすることの重要性は人一倍肌身に染みて理解しているつもりである。

しかし、保つべき基本姿勢は「労を厭わない」であるべきだ。

できるだけ少ない投資で大きな利益を得ることがもてはやされる世の中において、真に実力がある人や会社なら「楽して儲ける」ことが可能なのかもしれないが、そこらへんに転がっている凡百の人間や会社(つまりわたしたちのような)がそれを真似しようとしても、滑って転んでしまうのがオチである。

労を厭わず、足掻いて足掻いてどこまでも足掻く。たのしみながらそれが実行できればサイコーだ。それは、けっして両立不可能なものではないとわたしは思う。「労」がたのしい。「足掻く」がたのしい。それが自らの内に方法として確立されれば、それはアナタの強力な武器となる。

ちなみに、表題に括弧つきで加えた「若者」という言葉。当然ながら、いったいどこからどこまでの範囲を「若者」とするかの定義は人それぞれによって異なる。極端なことを言うと、還暦を過ぎても自らを未だ至らず「青い」と認定するならばそれは、今ここでわたしが対象とした「若者」と呼べるのかもしれない。

それやこれやを含めて、健闘を祈る。

(オマエもな(-_-))

(あちゃーそう来たか^^;)

(もーええわ(^^))

 

 

 

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