石原信市郎です。

頑張ろう福島!!力を併せてこの国難を乗り切ろう!!

20ミリマイクロシーベルトという数字。

2011年04月28日 22時06分29秒 | 日記
文部科学省では子どもたちは年間20ミリシーベルトまでの放射線蓄積は問題なしとし、各小学校で放射線量を測定し問題ないとの評価を下しています。

安全・保安院では10ミリシーベルトと報告していましたが、この数字の差は何かはわからないところです。

私どもはさはさりながら、学校施設、特にグランドの除染は早急に実施していただきたいと、国、県に申し入れをしているところです。

国においては今回の基準の設定が本当に正しいのか疑問視する動きも出ています。

また、私自身の動きとは別に仲間に依頼し、市民レベルで陳情を上げてもらうようにも段取りを進めています。


このブログを拝見し、本当に将来にわたり子どもたちに健康被害が及ばないのか??と疑問を持たれている方にお願いがあります。
せめて、グランドの除染はしてもらいたい。との話題提供をあらゆる機会を通じてしていただけないでしょうか?

杞憂に終わればそれはそれでいいし、後日なんでこんな事で騒いだんだろうねと笑い話で終われば、それもまたよしです。
化学的知見の積み重ねがほとんどない中ですので、安全と安心に繋がることであれば行動しなければならないと思います。

議員らしからぬ言動で大変恐縮ですが、ご協力よろしくお願い致します。

東京に陳情してきました。

2011年04月23日 09時50分06秒 | 日記
県議会議員11名で岡田幹事長、枝野官房長官、各省庁に陳情し意見交換も送ってきました。

ピントがずれてるなぁ。
一つ一つの発言はもっともな話なんですが、全体像を組むとでこぼこなんですよね。

今回の避難でも飯館では年間放射線量が20ミリシーベルトを超えるから計画避難地域になったのですが、グランドも年間20ミリになってしまう敬さんなんですよね。南相馬市は屋内退避地域でそれ以上に高い地域はなんの制限もなく生活をおくれる。

こういったチグハグさに県民は呆れていると言う事がわかっていないんですよね。

先日ある国会議員が屋内退避地域とそれ以外の地域の放射線量の話をし、何故屋内退避なのか保安院や原子力安全委員会のメンバーに質したそうです。
誰も質問に答えられなかったそうです。

今日の新聞を見ていたら、震災に一致結束して当たらなければならないのに、政局にしようとしているグループがあるとの批判をする議員の記事が載っていました。

発言したのは政権のメンバーらしいのですが、政局と捉えるその心の貧しさにあきれてものが言えません。

原発がここにいたり、福島県民がここまで心労をあじあわなければならなかったのは、まさに政権に指導力を決断力がなかったからです。
それはマスコミ報道や彼らの行いをみれば明らかです。

ようは指導力のない指導者のもとでは苦労するのは我々国民だと言う事が実証され、それを正すには指導者を変えるしかないと言う事なのに、あくまで自己保身に走り、政局という狭い枠でしかものを捉える事しかできない現政権はまさに終末でしょう。

ここにきて政権のメンバーが大挙して来県しています。
私の周りの人間は口をそろえて遅いよねぇ。と離していますが、福島県に不満がたまっているから様子を見に来たんだろう程度の評価です。

先日も菅さんが田村市にきたようですが、避難所の一部しか回らず、帰ろうとして他の避難民に怒声を浴びせられていた光景が見受けられました。

昼間だから多分10人程度しか人は居なかったのではないでしょうか??なぜ全員と言葉をかわせなかったのか、残念でなりませんし、その程度の器なのかとあきれてしまいます。

一つ一つの出来事をたとえ小さい事でも丁寧に扱ってもらう事を期待してやみません。

風評被害のもとになるかも。

2011年04月21日 08時45分51秒 | 日記
水素爆発が起きて以降色々な相談を受けます。インフラの復旧から原発まで、菅政権に対する批判もたくさん頂戴します。

人もそれぞれです。
たんたんと日常業務をこなしている人、原発の不安を持ちながら頑張っている人。悶々としている人。
とにかく今一番多い相談は原発の事です。

原子力エネルギーについては素人ですが、多少は情報も入るし、議員時代に研修や現地視察を何回も行いましたので、もしかしたら全くの素人よりは知識もあるかもしれません。

原発について相談を受けたときは、国の指示を待つべきだろうと言いつつも、風評被害のもとになるのは嫌だからねと付け加えながら、出来るんであれば小さいお子さんは親戚や知人のところに遊びに行かせたら、とアドバイスをします。

当初1ミリシーベルトだった年間被ばく量の基準値が5ミリシーベルトになり、今や20ミリシーベルトまで跳ね上がりました。確か危険業務従事者でさえ当初20ミリシーベルトだったはず。

いずれにしろ、こんなやり方では納得できない人も出るだろうし、不信感は募るばかりです。

せめて、学校に子供を通わせている父兄の安心と、子どもたちの安全を画するためにも、レントゲン技師が使用しているフィルムバッチを県内13校の児童・生徒に無償で提供するように県並びに国に働きかけました。
実現する事を祈念します。

国関係者と話す機会があるときは県民の総生産額9兆円から目減りした分については風評被害として保障しろと必ず付け加えます。

今は農業生産物に目が向いていますが、農業のすそ野は広く、また、農業収入が経済に与えるすそ野も広いものがあります。

県も市町村も私たちも今が踏ん張りどころでしょう。

遊びめいた事ですが、友達とともに「まけないぞ福島!」キャンペーンも静かに小さく始めます。、

飯館村。

2011年04月14日 17時08分42秒 | 日記
僕の叔父き分が飯館村議会の議長をしているのですが、今回の震災、原発j対策ではだいぶ頑張っていました。

先日も飯館村に行った時に元気な姿を拝見してきました。
今回の避難指示に対しても動じることなく、「俺は60すぎたし、村民のみんなが全員避難するまで頑張るつもりだ」なんて言って、リーダーシップを発揮しているようです。

弟も何度も足を運び、飯館村の復興のために尽力していたようですが、大変残念な結果となってしまいました。

16日の午前中時間ができるので飯館村に激励にいき、今後の在り方について御指導を頂いてこようと考えています。


数に表れない悲劇。

2011年04月14日 08時04分06秒 | 日記
ただちに健康に害を及ぼす数値ではありません。
念のため、設定します。

同じ政党の政治家が良く発言しています。正直言って聞きあきました。
それに意味がわかりません。

私の弟は11日の震災以来浜通り地方に本当に何度も足を運び、東京と福島県を夜も寝ないで往復していました。3月13日の日にはレポートを県連と国に提出早急な対処を求めました。浜通り地方、特に南相馬から新地のラインは孤立する。早急に相馬港、いわき港の復旧を目指すべし、道路を始めとするライフラインの復旧に全力を傾けるべしと、図解までして上伸したのです。
13日の日には南相馬市におり、水素爆発については南相馬市の役所で桜井市長と今後の復興計画について話し合いをしているときに居合わせました。現地の警察情報をもとにすぐに枝野に伝達。米軍に協力要請することを進言。

ところが事もあろうに枝野は爆発については確認していない、対応は出来ない、米軍についても皆様御承知の通り申し出があったにもかかわらず、拒否してしまいました。また、30キロ圏内に円を引くについても弟や我々が強く反対したにもかかわらず、屋内退避地域を設定。混乱に拍車をかけました。

政府は情報を小出しにしている、隠しているとの御叱りをリアルでも頂きますし、コメントにある通りネットでも頂戴しています。

同じ政党ではありますが、総理や内閣の対応についてはあまりにも現地の声を無視し、そこに住む我々の心をないがしろにしており、納得することはできません。

小沢さんが内閣不信任案に同調か??の記事がありますが、震災後の内閣の対応をみれば理解できるところです。今は数字を弄んだり、自民党とのパワーゲームで政治ごっこしている時ではないのに、官邸はその事すら理解していないようです。残念でなりません。

昨日知人がメールをくれました。

当社社員が飯館方面の営業から帰って来て報告したことなのですが、山中の道路端に、気持ちが悪くなる程、小動物・小鳥、タヌキ、犬、猫の死骸が数多く見られるとのこです。放射能の影響で無いことを祈りますが、県として調査する必要が有るのでは?ないでしょうか。

警察に確認したところ、はぐれたり、捨てられたりしたペットだとのこと、あちこちでこういう光景が見受けられるそうです。
ペットをおいてこざるを得なかった飼い主の気持ち、孤独と悲痛の中で餓死していったペットの気持ち、この悲劇もすべて東電のせいです。

東京でコメントしている人たちは、心の痛みをわかっているのでしょうか?
せめていわき市まではきて陣頭指揮をとってくれと何度も陳情しました。

福島には国の現地対策室がありますが、知事が不快感を示した通り情報一つ開示しません。

たくさんの悲劇がありました。そして今も続いています。

われわれ地方が踏みとどまり頑張ってみても国の対応がちぐはぐではどうしようもないのです。

一刻も早く机上の事ではなく現実の事として、県民が不安の中耐え忍んでいる事をわが事として目覚めてくれる事を心より願います。

不屈の精神とゆるぎない愛か・・・・・。

2011年04月09日 19時36分17秒 | 日記
ある人がブログの中で今の日本には不屈の精神とゆるぎない愛が必要だと言っていた。

先日も慎也に震度5の地震があり、福島原発1号機(F1)の炉心が半分も露出。
先が見えず気持も沈むけど、不屈の精神が必要なんだと言われると、なんとなく頑張らなくちゃと思ってしまう。

実は、何を頑張るんだろうと時々考えてしまう。
イライラしない。
焦らない。
落ち込まない。
色々考えていくと、今の自分にはネガティブな気持ちにおちいらないように、平常心を保ち続けるように頑張らなければならにのかと、至極当たり前の事なんだけど、そう思う。

以前の書き込みに荒井地区の仲間内で集まって、今回の震災に対して息を長くボランティア活動を続けていこうと活動している事を書き込みをしたけど、参加、不参加は個人の都合で色々あるけど、自分は3回の活動に参加できたし、別な形でのボランティア活動も幾つか展開出来た。

ボランティア活動をしているときは、実は被災者に対して可哀想だなとか、助けてあげなきゃとか、不思議にそんな感情は沸いてこず、助け合って行こうよっていう気持ちだけが自分の心の中にあったような気がする。

助け合ってこの難局を乗り切れれば、僕たちの活動も無駄で終わる物でもないだろうし、自己満足で終わる物でもないんだろうと思う。

少なくとも自分は家もあり、電気・水道もある中で生活出来ている。

これからも不屈の精神とゆるぎない愛で自分のできる事をやっていきたい。


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2011年04月07日 10時39分22秒 | 日記
昨日は荒井小学校と西信中学校の入学式に出席してきました。

荒井小学校には浪江町の子供たちを中心に72名、西信中学校には44名の被災した子供たちが編入や新入しています。

地元のPTAやOBの子供たちが協力し、制服や、体育着、シューズ、鞄などを支援し、大方の新入児童・生徒さんには制服は間にあったようです。
ただ、ギリギリに入って来た子供さんには制服が間に合わず、申し訳ないなぁと残念に思います。

荒井小学校の入学式では在校生のすぐわきにいたのですが、校歌斉唱の時被災者の子供達は当然の事ですが、荒井小学校の校歌なんて歌えるはずもなく、壁に貼ってある校歌の歌詞をじっーとみつめていたり、ただ佇む姿が散見され、こんなところにも災害の爪あとがありありと見え、本来は希望に満ちた入学式なのに、悲しくなってしまいました。

中学校では被災した子供さんなのかなぁ、新入学生代表の誓いの言葉のなかに、私の友達も知り合いも大勢流されてしまいました、云々、明るく前向きに学校生活を送り、云々、学校生活での指導をお願いします。と話していたのですが、中学1年生が話す内容じゃないよなぁ、けなげだよなぁて泣けてきちゃいました。

今回の震災で福島県の子どもたちはものすごく成長したんだろうし、僕たち大人も負けちゃいられないよって改めて思います。

昨日僕の友達が新品の自転車をメーカーと交渉して新地町に送る手はずが整ったよってわざわざ連絡をくれました。

新地町だけじゃなくて浜通りの各自治体とも苦しい運営を迫られていますが、この前一緒に新地町に行って惨状を目の当たりにして、高校生の子供たちが自転車で通学するのに必要なんだって職員の人に言われ、力に成りたいってかなり頑張って交渉してくれたみたいです。


東京電力・・・・・・・(ー_ー)!!

2011年04月05日 11時33分14秒 | 日記
とうとう放射能汚染粋を海中に廃棄する事を決定しましたが、ここに至るまでその状況が全く公表されていないのには呆れてしまいます。

ここに及んでまだ官僚的意識を残し、自分たちの枠の中だけで事を進めようとしているのでしょうか。

記者会見で泣きながら謝罪していましたが、何をしようとしているのかわかってるんだろうか??

とにかく秘密主義はやめて全てを明らかにしてもらいたいです。

午後には同僚議員と雇用の確保策について意見交換してきます。

2011年04月05日 08時58分04秒 | 日記
震災、津波、原発、風評被害、と四重苦の福島県ですが、被災者の2次避難、児童・生徒さん達の教育の問題と精いっぱいの対応をしてもらっています。

非難されている方は、これからどうやって生活していけばいいんだろうと、不安の中で生活しています。
起業再生や生活再生のための資金は用意されていますが、会社がなくなった、会社はあっても、営業できない、仕事はあるけど、家族をおいて単身赴任できない、と状況はさまざまです。

中には一から会社を立ち上げ再スタートを切りたいから力を貸してくれっていう強い方もいます、今後どのように雇用を確保していくのか、総合的な施策の展開に向け、私たちも国、県、市町村議員とそれぞれ意見交換しながら頑張っていきます。