ある人がブログの中で今の日本には不屈の精神とゆるぎない愛が必要だと言っていた。
先日も慎也に震度5の地震があり、福島原発1号機(F1)の炉心が半分も露出。
先が見えず気持も沈むけど、不屈の精神が必要なんだと言われると、なんとなく頑張らなくちゃと思ってしまう。
実は、何を頑張るんだろうと時々考えてしまう。
イライラしない。
焦らない。
落ち込まない。
色々考えていくと、今の自分にはネガティブな気持ちにおちいらないように、平常心を保ち続けるように頑張らなければならにのかと、至極当たり前の事なんだけど、そう思う。
以前の書き込みに荒井地区の仲間内で集まって、今回の震災に対して息を長くボランティア活動を続けていこうと活動している事を書き込みをしたけど、参加、不参加は個人の都合で色々あるけど、自分は3回の活動に参加できたし、別な形でのボランティア活動も幾つか展開出来た。
ボランティア活動をしているときは、実は被災者に対して可哀想だなとか、助けてあげなきゃとか、不思議にそんな感情は沸いてこず、助け合って行こうよっていう気持ちだけが自分の心の中にあったような気がする。
助け合ってこの難局を乗り切れれば、僕たちの活動も無駄で終わる物でもないだろうし、自己満足で終わる物でもないんだろうと思う。
少なくとも自分は家もあり、電気・水道もある中で生活出来ている。
これからも不屈の精神とゆるぎない愛で自分のできる事をやっていきたい。
先日も慎也に震度5の地震があり、福島原発1号機(F1)の炉心が半分も露出。
先が見えず気持も沈むけど、不屈の精神が必要なんだと言われると、なんとなく頑張らなくちゃと思ってしまう。
実は、何を頑張るんだろうと時々考えてしまう。
イライラしない。
焦らない。
落ち込まない。
色々考えていくと、今の自分にはネガティブな気持ちにおちいらないように、平常心を保ち続けるように頑張らなければならにのかと、至極当たり前の事なんだけど、そう思う。
以前の書き込みに荒井地区の仲間内で集まって、今回の震災に対して息を長くボランティア活動を続けていこうと活動している事を書き込みをしたけど、参加、不参加は個人の都合で色々あるけど、自分は3回の活動に参加できたし、別な形でのボランティア活動も幾つか展開出来た。
ボランティア活動をしているときは、実は被災者に対して可哀想だなとか、助けてあげなきゃとか、不思議にそんな感情は沸いてこず、助け合って行こうよっていう気持ちだけが自分の心の中にあったような気がする。
助け合ってこの難局を乗り切れれば、僕たちの活動も無駄で終わる物でもないだろうし、自己満足で終わる物でもないんだろうと思う。
少なくとも自分は家もあり、電気・水道もある中で生活出来ている。
これからも不屈の精神とゆるぎない愛で自分のできる事をやっていきたい。
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