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神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

 【独り言】

2021年01月18日 | 日記

「患難」

使徒パウロは独身をより勝った道として勧めた際,
「とはいえ,結婚するとしても,罪を犯すことにはなりません。また,未婚の人が結婚するとしても,罪を犯すことにはなりません。しかし,結婚するなら,苦難を身に招きます。私は皆さんにそういう経験をさせたくないと思っています」,と述べました。
(コリント第一 7:28)

結婚生活には,ある種の心配事や,夫や妻や子供に対する気遣いが伴います。
「私は,皆さんに心配事がないことを願っています。結婚していない男性は,どうすれば主に喜ばれるかと,主の事柄に気を使います。 一方,結婚している男性は,どうすれば妻に喜ばれるかと,世の事柄に気を使い,2つに分断されます。また,結婚していない女性や処女は,体と精神の両面で聖なるものであろうとして,主の事柄に気を使います。一方,結婚している女性は,どうすれば夫に喜ばれるかと,世の事柄に気を使います。私がこうしたことを言うのは,皆さんのためであって,皆さんを抑え付けたいからではありません。適切な行動へと促し,気を散らさずに絶えず主に仕えるよう励ましたいのです」。
(コリント第一 7:32~35)

病気は家族に重荷や緊張をもたらす場合があります。

 

 

「大患難」


イエスがオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,
あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。
そこでイエスは答えて言われた,「だれにも惑わされないように気を付けなさい。多くの者がわたしの名によってやって来て,
『わたしがキリストだ』と言って多くの者を惑わすからです。
あなた方は戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。これらは必ず起きる事だからです。
しかし終わりはまだなのです。
「というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。これらすべては苦しみの劇痛の始まりです。
「その時,人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう。またあなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。「それゆえ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい)その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。屋上にいる人は,家から物を取り出そうとして下りてはならず,野にいる人は,外衣を拾おうとして家に帰ってはなりません。その日,妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! あなた方の逃げるのが冬期または安息日にならないように祈っていなさい。その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。実際,その日が短くされないとすれば,肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」。
聖書(マタイ 24:3~22)

 

これからますます生活しにくくなるとおもいます・・・・

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「死んだ者」を裁く~聖書

2021年01月18日 | 日記

 

「死んだ者」を裁く

聖書によれば,裁きの日の間に死者が「立ち上がり」ます。
「ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に復活し,この世代を断罪します。ニネベの人々はヨナの伝道によって悔い改めたからです。しかし見なさい,ヨナを上回る者がここにいます」。
(マタイ 12:41)

イエスは次のように述べました。
「記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」。
(ヨハネ 5:28,29)

死者の体を離れた魂のことを言っているのではありません。死んだ人には全く意識がなく,死後に魂が生き残ることはありません。
「生きている人は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ人は何も知らない。何かを得ることもない。思い出されず,忘れ去られる」。
(コヘレトの言葉・伝道の書 9:5)

『イエスはこれらのことを述べた後,さらにこう言った。「友のラザロは眠っていますが,私は起こしに行きます」。弟子たちは言った。「主よ,眠っているのであれば,良くなるでしょう」。
イエスは実際にはラザロの死について話していたが,弟子たちは,眠って休んでいることについて話していると思った。
それでイエスははっきり言った。「ラザロは死にました」』。
(ヨハネ 11:11~14)

『イエスは言った。「あなたの兄弟は生き返ります」。マルタは言った。「終わりの日の復活の時に彼が生き返ることは知っています」』。
(ヨハネ 11:23,24)

イエスは,死の眠りについている人たちを地上によみがえらせるのです。

復活する人は,死ぬ前の行ないに基づいて裁かれるのでしょうか。そうではありません。
聖書は,「死んだ者は自分の罪から放免されている」と教えています。
(ローマ 6:7)

ですから,地上に復活する人は,この体制の終わりを生き残る人と同じように,裁きの日の間の「行ないにしたがって」裁かれます。
「さらに見ると,死んだ人々が,大きな者も小さな者も,王座の前に立っており,数々の巻物が開かれた。別の巻物,すなわち命の巻物も開かれた。死んだ人々は,数々の巻物に書かれている事柄に基づき,各自の行いに応じて裁かれた。海はその中の死者を出し,死と墓もその中の死者を出し,その人々は各自の行いに応じて裁かれた」。
(黙示録・啓示 20:12,13)

その人の行動の最終的な結果次第で,永遠の命に至る復活ともなれば,滅びに至る復活ともなります。

よみがえらされた人の多くは,神について,また命を得るための神のご要求について,初めて知ることになります。

その人たちには,神のご意志と調和した生活を送って地上での永遠の命を受けるという機会が差し伸べられるのです。