Book revue
ディ・クインシー『阿片常用者の告白』(岩波書店)
アンリ・ミショー『みじめな奇蹟』(国文社)
ジャン・コクトー『阿片』(求龍堂)
オルダス・ハクスリー『知覚の扉』(平凡社)
考えたくない。
考えたくない。
考えたくない。
考えたくないときは、読むか。
<われわれは言語やその他の記号体系なしに済ますことはできない。なぜなら、われわれを獣より上の人間の次元にあげてくれているのはまさしく言語であり、それ以外にないからである。しかしわれわれは言葉や記号体系の恩恵を蒙ると同時にまたたやすくその犠牲者ともなりうる。言葉を効果的に扱う術(すべ)を学ばなければならない。と同時にわれわれは所与の事実すべてに品種のレッテルを貼ったり解説的抽象を施してまったくの陳腐な見せかけへと歪曲してしまう概念という半透明の媒体を通さずに世界を直かに眺める能力を保持し、必要とあればそれを強化することもしなければならない。
文学であろうと科学であろうと、一般教育であろうと専門教育であろうと、われわれの教育は圧倒的に言葉によるものであり、それ故にまた目標として考えられていることを達成しそこなっている。子供を完全に成長した大人に変えるかわりに、根元的な経験上の事実としての自然に対する認識をまったく欠いた自然科学の学徒を生み出し、人間性について自分たちのそれも他人のそれもまったく無知な人文科学の学徒を世間に押し付けているのである。
サミュエル・レンショーのようなゲシュタルト心理学者は、人間の知覚の幅を広げ感度を増す方法を考案した。だが果たして教育者はそれを応用したであろうか。答は否である。
視力からテニス、綱渡りから祈りにいたる精神物理学的技術のあらゆる分野の教師は、試行錯誤によってそれぞれの分野で有効な最適条件を発見している。だがこれらの経験的発見を集大成して、より高度な創造性の理論と実践を生み出すための研究計画を財政援助した大財団が一つでもあったであろうか。これもまた、私の知るかぎりでは、答は否である。
あらゆる種類の信者や一風変った人々が心の健康、満足そして安らぎを得るあらゆる種類のテクニックを教えている。そして彼らに耳を傾ける人々の多くにとって、これらのテクニックの多くがまごうことない効力を持っている。だが、〈真理〉が哀れにもあまりにしばしば断罪され底に坐して外へ出てくるなと閉じ込められるあの奇妙な、ときに悪臭を放つ井戸へ大胆に降りて行く立派な心理学者や哲学者が、そして牧師があるであろうか。答は、しかし、またもや否である。
(ハクスリー『知覚の扉』)>
<さらにもう一言。一面的な予測を立てる芸術愛好家(ママトール)たちは、今後、わたしの書くもの全部を、麻薬常用者の作品と判断しようとする誘惑にかられるかもしれない。残念なことだ。わたしはむしろ完全な禁酒家のタイプであって、絶対に酒飲みでも、興奮剤の常用者でもない。
(ミショー『みじめな奇蹟』)>
<人間の心のうちには、定着用のゴム糊みたいなものが存在する。つまりそれは理性より強い虚妄な感情であって、それが彼に、あのようにして遊んでいる子供たちは、一寸法師の後裔であって、やがて大人を追い出して取って代ろうとしている、明日の大人ではないと思いこませたりする。
それなのに、生きることは実に水平的墜落だ。
だから、この定着用のゴム糊がない場合、完全に、またたえず自分の速度を意識し続ける生活は、耐え難いものになるはずだ。幸いにこれがあるので、死刑囚も眠ることが出来る。
ところが、この定着用のゴム糊が僕には欠如している。多分、ある腺が病気なのだと思う。ただ医学は僕のこの疾患を良心があり過ぎる結果だと見たり、精神上の優越性だと見たりする。
(コクトー『阿片』)>
<もしも私が私自身を引起すことが出来たら、私はそれを意の如くにしうる力量を持ち得たのであつたが、併し大西洋を二十も集めた程の重み、若しくは償ひ得ない罪の圧迫が、自分の上にもたれかかつてゐた為に、尚もその力量を持ち得なかつた。「かつて測鉛の測り得たる深海よりも深く」私は無為のまま横はつてゐた。次に熱情は合唱のやうに、一段と深くなつた。嘗て剣によつて護られ、喇叭によつて宣告された如何なるものよりも重大な或る利害関係、もつと偉大な或る主義が、危機に瀕してゐた。次に不意の警報があり、あちこちへの急行、数限りない逃亡者の狼狽が始まつた。併し私はそれが善い原因のためだか、悪い原因のためだか知らなかつた。次に暗黒と光明、嵐と人面とが現はれた。そして遂に万事休すと云ふ気持ちと共に、女の姿と自分に取つて全世界にも値ひする程の顔とが現はれたが、併しそれを見ることも只一瞬間しか私には許されなかつた。――それから堅く握り交された手と手、悲しい離別、そしてそれから———永遠の告別が見られた。そしてかの破倫の母親が嫌な死の名を呼んだ時に、地獄の洞窟がついたやうな溜息と共に、別離の言葉や嘆声が響き渡つた。――永遠の告別! そして幾度も幾度も別離の辞は響き渡つた。――永遠の告別!
そこで私はもだえ苦しんで眼を覚まし、声高く斯う叫んだ———「私はもう眠らない。」
(ディ・クインシー『阿片常用者の告白』)>
読んだら考える。いや、散歩しよう、君と二人で。
GOTO 〔1551 「貴方も淋しい人間じゃないですか」〕
GOTO 〔5341 副次的自我〕
(終)