今、研修でタイの工場に来ています。
現地の作業者の方々に混じって、コミニケーションをとりながら、
作業のやり方を教えてもらい、製品の作り方・工程を覚えています。
ただの邪魔にしかなってないけど笑
うちの会社はまだまだ未発達?の会社で、研究開発部門で研修をうけている中で
より機械化することでもっと効率的して、もっと利益があげられるんじゃないかと常々思ってました。
ただ、こっちにきてその考え方が揺らいでいます。
まず一つ目に感じたことは、人には機械にはない柔軟性があるってこと。
微妙な力加減や細かい作業ができ、仕様の変更に対して素早く対応することができます。
これが顧客の要望に対して素早く対応できる体制の一因になっているんじゃないかなと思います。
値段とともに早く納めることができるというのも非常に重要な事項であると研修で言われました。
二つ目に感じたことは、たくさんの人を雇っているということはそれだけその国の人達の生活に貢献しているということ。
タイの工場だけで数千人の人たちを雇っています。
工場で働く人の賃金というのは直接労務費となり、その分原価が上がることになります。
しかし、現在は20%近い営業利益を上げており、儲けとしては十分ではないかと思う。
もちろん、投資家や経営者の視点からしたら、より効率的な経営というのは真だから、自動化して直接労務費を削るというのは当然の選択だと思う。
これからもタイ等の新興国の賃金が上がっていくだろうし。
ただ、実際に現地でワーカーの人たちと一緒に働いて感じたのは、
その段階に至るのはまだ早いんじゃないかなと思ったこと。
工程の機械化・オートメーション化よりも、人の手はかかっても、よりたくさん売れる商品、より利益をもたらす製品開発にその資源を注ぐべきなんじゃないかと思った。
多くの人が、今の仕事で生活を営んでいるという現実がある。
工場のオートメーション化というのは製品が成熟して、会社の成長が止まった段階。
消極的な手段として捉えたほうがいいんじゃないかなというぺーぺーの意見。
だからこそ研究開発の責任は重いと思った。
売れる製品、利益を高くする製品を作る。
売れる製品を作るってことは、より多くの人に使ってもらうことで社会貢献できるし、
さらに雇用を増やすって意味でも社会貢献になる。
株主視点だと、会社の効率化というのが正義だけれども、
より大きな視点。社会という視点から見ると、それは違っていて、
非効率でも多くの人を雇っているというのはそれが正義と認められることもあるのかもしれない。
ただ、その考え方が行き過ぎると産業の非効率化が進む要因となるのか。
うーん、もしかして今の日本はそれを体現しているのかもしれない。
タイのホテルの一室より。