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「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

初代ペンギン

2009-02-11 00:08:37 | 古生物

南極に住むコウテイペンギンはその体長の大きさに似つかわない愛嬌のある仕草が人気で、水族館などでもペンギンが観察できるエリアはいつも親子連れでいっぱいですね。
しかし現在なにかと問題になる温暖化から派生して彼らの絶滅の日が近いという記事がありました。
それと関連してかつてペンギンと呼ばれたのは別の鳥であったことも書かれています。

かつてペンギンと呼ばれた鳥がいた…
 かつてペンギンと呼ばれた鳥がいた。今もいるよと突っ込まれそうだが、あれは先代を襲名した2代目ペンギンだ。初代は1844年6月3日か4日に絶滅した。ペンギンとはこの鳥、オオウミガラスの特徴である頭の白斑を指した古代ケルト語だった▲なぜ絶滅の日まで分かるかといえば、最後のつがいを人が殺したからだ。生息地のアイスランド沖岩礁で抱卵中の2羽が人に見つかり、1羽は殴り殺され、1羽は絞め殺された。最後の卵は割れていた(今泉忠明著「絶滅野生動物の事典」)▲全長約80センチ、体重5キロに達したこの海鳥は腹は白く、背は暗褐色だった。翼は20センチほどに退化して空は飛べない。その代わりに潜水は巧みで魚類やイカを食べ、陸上では直立してヨチヨチ歩きをした。要するに今のペンギンそっくりである▲かつては北大西洋に数百万羽は生息していたオオウミガラスである。それを絶滅に追い込んだのは、羽毛と卵を求める人間の乱獲だった。そして絶滅寸前には、標本を高額で買い取るという博物館が欲深い人間を最後の捕殺に駆り立てた▲人間は南極にもオオウミガラスに似た鳥がいるのをみつけ、ペンギンと呼ぶことになる。最新の米仏の研究チームの報告によると、その南極のコウテイペンギンが今世紀末には絶滅の可能性があるというのだ。こちらは地球温暖化による海氷の減少で、繁殖が難しくなるためだ▲まさかといいたいが、2代目同様人を恐れず船を見るとヨチヨチ寄ってきた初代を平気で殺りくした人間のことだ。目先の欲や無関心がまたもペンギンを悲劇の鳥の名にしかねない。もう地球上に3代目を襲名できる鳥はいない。
毎日新聞

この記事は「人間がペンギンと呼んだ生き物」という前提で書かれていますが、私に言わせれば現生のペンギンは三代目です。
第三紀の漸新世の地層から化石が見つかる「プロトプテルム Plotopteridae(通称ペンギンモドキ)」という古代の鳥が初代です。漸新世と言いますと約3,370万年前から約2,380万年前ですから恐竜はとうに絶滅していますが、人間も影も形も無い時代です。

カリフォルニアでごく一部の化石が発見され新種の鳥として「プロトプテルム」と命名されました。実はこのペンギンモドキは北米で発見される5年前の1964年に、日本の福岡で最初の化石が発見されていました。しかし当時はこれが新種の鳥とはわからずにいたのです。また1969年に命名されたものも化石が一部しか発見されていないことから全体の姿の復元はできていませんでした。
初発見から13年後の1977年に今度は日本の北九州で胴体、翼の化石が発見され「ペンギン」そっくりの姿が明らかになったのでした。
現生のペンギン同様に翼は退化して飛べないかわりに、流線型の体型で泳ぎが達者であったと考えられています。その後も日本で多くの化石が発見されておりプロトプテルムの重要産地となっています。1996年には推定体長3メートル近い化石も発見されており、実際に現在にこんなでかいペンギンがうろちょろしていたらパニックですね。
結局この古代の巨鳥は海洋における食物連鎖の中で、小型なものから大型なものまで多様化が進んだアシカやトドなどの海生哺乳類に淘汰されて絶滅します。
コウテイペンギンは温暖化の影響で住む場所が減少して絶滅の危機に瀕しているわけですが、それとともにその体の大きさにも要因があるように思います。あの大きさだとアザラシなどと競合することになり、環境変化への対応力が無ければすぐに衰退してしまうことでしょう。
温暖化の原因が人間によるものだ。と断定してしまえばそのとばっちりを受けたコウテイペンギンを守らねば。という気概も理解できますが、生き物が発生し進化し淘汰される先には、空間のできた生態系を別の生き物が占めるという摂理もあります。自然界の生き物が人間の自分勝手な行動で絶滅することは決して許してはならないことですが、万が一コウテイペンギンが本当に衰退し絶滅したときにそこのポジションを勝ち取るのはどんな生き物なんでしょう?

ところで2004年に「ディスカバリー・チャンネル」で放映されて評判になった「Future is wild」をご紹介いたします。

500万年後の地球でトドやゾウアザラシが絶滅して空きになった食物連鎖上のポジションに、カツオドリが進化した「ガネットホエール」という生き物が入っている。という空想の物語を見ることができます。敵に襲われると胃の中の未消化物を「ゲッ」と吐き出して臭いで撃退する場面があります。食事中に見ると思わずすっぱいものがこみあがって来ますが、実際にペリカンやペンギンは親がたらふく食った餌をもどして、「さあどうぞ」と雛に与えるのでこのあたりの描写はよく考えられていると思います。

アザラシや人間などの哺乳類に淘汰された鳥類が、その追われた地位を奪還しているようでおもしろいと思いました。DVDはもう店頭には在庫が無いかもしれませんがひょっとしてまた衛星で再放送するかもしれません。機会があれば是非ご覧ください。太古同様に人間には伺うことのできない未来の時代をまじめに想像することも楽しいもんです。


恐竜は卵をあたため子育てをする・・・?

2008-12-20 00:23:19 | 古生物
恐竜に関する新たな考え方が記事になっていました。
以下に転載いたします。

 白亜紀後期(9500万~6500万年前)の肉食恐竜のオビラプトルやトロオドンは、オスが卵を抱いて温めていた可能性が高いことを、米モンタナ州立大などのチームが突き止め、19日付の米科学誌「サイエンス」に発表した。チームは「鳥類も9割の種でオスが抱卵に協力しており、その起源は祖先にあたる恐竜にある」と説明している。
 鳥類のメスは産卵前、後ろ脚の骨の内部に「骨髄骨」という組織を作り、殻の材料のカルシウムなどを蓄える。同様の組織はティラノサウルスなどでも確認され、性別を確認する方法として注目されている。
 研究チームは、卵を抱いた状態で発掘されたオビラプトルやトロオドンの化石の性別を調べた。いずれもティラノサウルスに近く、後ろ脚に骨髄骨の形跡がなかったことから、卵を抱いていたのはオスの可能性が高いと推測した。
 巣に残された卵は22~30個。鳥類ではオスがメスよりもたくさんの卵を抱くことが知られているが、今回調べた恐竜も、鳥類のオスに匹敵する量の卵を抱いていた。
 国立科学博物館の真鍋真・研究主幹は「恐竜の生殖器は柔らかいため化石に残らず、性別の判定が難しかった。また恐竜が飛行を始める前からすでに鳥類の特色を備えていたことは、鳥への進化を考えるうえで興味深い」と話す。【永山悦子】
毎日新聞 2008年12月19日 東京朝刊

鳥は走鳥類などは別として殆どが空を飛びます。これは食餌をするためや身を守るためですが、当然、生まれた子供=雛もできる限り早い段階で飛行能力が必要です。しかし飛行と言う能力は技術もさることながら多くのエネルギーを消費しますので、草原に住む鹿の赤ちゃんや鳥に近縁の爬虫類の幼体のように生まれてすぐ歩くようにはいきません。ですから親鳥は雛に餌を与えて巣立ちができるまで育児をするケースが多く見られます。
育児にある程度の時間を要するのは前述の理由で避けられないとなると、その前段階の危険をできる限り避けるために産んだ卵を少しでも早く孵化させる必要があります。そのための手段として「卵を抱いて胚の成長を促す=抱卵」が鳥の行動として見られます。これは外敵から卵を隠す目的もあると思われます。

今回の発表は「オスが抱卵をしたケースが多い」という新たな説ですが、そもそも恐竜が抱卵をしたということ自体が何故?という根本的な疑問は解決されていないように思います。

鳥が抱卵をするのは先ほど述べたとおり
・孵化を早めて卵でいるという危険な時間を短縮するため
・外敵から卵を隠すため
であると考えられますが恐竜の場合にはどうなんでしょう。爬虫類は殆どが卵をあたためたりせず産みっぱなしです。孵化しても育児したりも当然しません。孵化したトカゲやカメなどの幼体はつたないながらも親と同様にちょこまかと歩き回ります。恐竜は鳥のように飛行したり魚のように水中で泳いだり。といったエネルギーを要する行動は基本はしないと考えられています。であれば生まれた子供は歩く程度の能力があれば良いわけですから爬虫類同様に卵も産みっぱなしでも良いように思います。
ところが引用した記事のように鳥類に近いとは言っても、空を飛んだわけでは無かった獣脚類恐竜は鳥のように抱卵をした化石証拠が発見されています。鳥に近いわけでは無いマイアサウラのような草食の鳥脚類恐竜は育児をしたであろう化石証拠もあります。

何故抱卵や育児のような行動をしたのか?謎はいつか解明されるのでしょうか?そう考えると楽しくなりませんか?

T-rexはやっぱり掃除屋か・・・?(2)

2008-11-11 00:26:09 | 古生物
肉食恐竜ティラノサウルスは他の肉食恐竜より鼻が利くことが10月29日、北海道大総合博物館の小林快次助教とカナダの研究チームの合同研究で分かりました。
このことから最強肉食恐竜の代名詞である「T-rex」は実は死体をあさる「掃除屋」では?と前回は検証してみました。

しかし実はハンターであったとする説のほうが根強いのです。
まず今回の発見で裏付けられた「強い嗅覚」は何もスカベンジャーで無くハンターであっても必要な能力には違いありません。ですから「鼻が利く」即「掃除屋」という図式は当てはまりません。狩をするオオカミなども非常に強い嗅覚を持っています。
貧弱な前肢についてはよくよく考えればわかるのですが、ティラノサウルスの最大の武器はその巨大な頭部と太い牙であり、その頑丈な頭でタックルをしたり顎で咥えてしまえば十分に戦えたはずです。むしろ腕は必要無いので体を大型化していく過程で退化してしまったと考えることもできます。
またティラノサウルスの頭骨から判断できることですが、上から見た頭骨の形状が他の恐竜に比べTの字型をしており、目が前方に向かっている。つまり馬などのように左右に離れた視野を広く取るための目では無く前を見るための目なのです。これは視野はせまいのですがいわゆる測量の要領で対象までの距離を測ることができますので「狩」に適応したと考えられるわけです。
あの巨大な体で俊敏に動けるわけが無いという意見もありますが、ティラノサウルスの後肢がアルクトメタターサル状態になっていることから俊敏であったのでは?という説があります。
アルクトメタターサル状態とは第三中足骨の両側の第二、第四中足骨が第三中足骨を挟み込むようになり、その上端が押しつぶされている状態です。
第三指骨および中足骨にかかる負荷を靭帯が第二、第四中足骨の中央にまとめ、かかった負荷の方向を一直線にすることで俊敏に動くことができ、更に靭帯も守られたのではないかと推測されています。ダチョウに似た姿で速く走れたと考えられているオルニトミムスにも同じ特徴があります。
余談ですが最近の研究ではこれをもってティラノサウルスとオルニトミムスが近縁とは言えないという結論が出ています。
同時代のエドモントサウルスやトリケラトプスの化石には、ティラノサウルスの太い歯でかじられた跡が残っているものがあり、それが治癒していることから生きているときにティラノサウルスに襲われて、怪我はしたけれど逃げ延びることができた証拠だと言われています。つまりティラノサウルスが草食恐竜を襲って狩をした証拠であるということです。
また根本的なことですがそもそも爬虫類の仲間のティラノサウルスを哺乳類のハイエナと比較することがおかしいと言えばおかしいです。ここは恐竜の仲間である鳥類と比較するのが適当であるのでは?となると鳥類の「ハゲワシ」の登場です。
ハゲワシは死体の腹部を鋭い嘴で突き破り頭部を体内に潜り込ませて内臓などを食べます。そのため腐肉や腐った内臓に触れて細菌に感染することを防ぐために、付着した血液などの体液が乾きにくくなる「羽毛」がハゲワシの頭部にはありません。ハゲワシと呼ばれる所以です。
比較的最近に発見された肉食恐竜の「ルゴプス」は頭骨の表面、特に口のあたりにしわがいっぱいありました。これは表面を鳥の嘴のようなケラチン質で覆って腐肉からの感染を防いでいたのでは?と考えられています。
しかしティラノサウルスの頭骨にはその特徴が無く腐肉食のみに対応した生物とは言い切れ無いと思います。

結論らしい結論がありませんが誰も目前でティラノサウルスを見た人間はいないわけであくまで推測の範囲にすぎませんが、あれだけパワフルな姿の生き物がまったく狩をしないで日がな一日死体をあさっていたとは考えにくいのでは無いでしょうか?食餌は狩をメインにしつつ死体があれば死体も食べ、空腹が頂点になっていれば強力な牙で骨も砕いて食べたことでしょう。

T-rexはやっぱり掃除屋か・・・?(1)

2008-11-02 00:21:03 | 古生物

少し前のニュースですがこんなのがありました。

以下 転載

ティラノサウルスは鼻が利く=頭骨の化石、CT解析-北大助教ら
10月29日12時25分配信 時事通信

 最大級の肉食恐竜ティラノサウルスは他の肉食恐竜より鼻が利くことが29日、北海道大総合博物館の小林快次助教とカナダの研究チームの合同研究で分かった。同日付の英国王立協会紀要(電子版)に掲載される。
 小林助教らは、カナダで見つかったティラノサウルスの頭骨の化石をコンピューター断層撮影装置(CT)で解析。においを感じる嗅球(きゅうきゅう)と呼ばれる脳の一部の大きさを調べた結果、アロサウルスなど他の肉食恐竜に比べ、ティラノサウルスは嗅球が大きく、嗅覚(きゅうかく)が発達していたことが分かった。 

以上 転載

言わずと知れた恐竜界のスーパースター「ティラノサウルス」です。
ティラノサウルスは1892年に最初の化石が発見され1900年に2つ目が、そして3つ目の化石は1902発見されています。実は最初と2つ目の化石は別の名前がつけられ「ティラノサウルス」と命名されたのは3つ目の化石でした。しかし1906年に「ティラノサウルス」に統一されました。このあたり生物の学名の命名に関するエピソードとしてはなかなかおもしろいのですが、長くなるのでまたの機会にします。

でこの恐竜時代の最後を飾る究極の大型肉食恐竜ですが、意外なことに自分で積極的に「狩」をしたハンターか?それとも一日中うろうろと歩き回り死体を見つけては腐肉をあさる「掃除屋=スカベンジャー」か?で長く議論が続いています。
今回の記事を読んでふと「やっぱ掃除屋かなぁ・・・」と思ったりしました。

現生の掃除屋と言えばまっさきに浮かぶのは哺乳類では「ハイエナ」、鳥類では「ハゲワシ」でしょう。ハイエナはブチハイエナなどは狩をしますがシマハイエナは殆どが腐肉食です。広い自然界の平原でいつ死ぬともわからない他の生き物の死体を一番最初に見つける必要があることから、何よりも「強い嗅覚」が必須です。またせっかく見つけたエサ=死体が死んでから時間が経過していれば、ハイエナが見つける前に昆虫を始めとする掃除屋集団においしいところは持っていかれている可能性もあります。そのためハイエナは肉や内臓だけで無く骨も噛み砕いて食べることができる頑丈な牙と顎を持っています。
これはまさに今回の発見に見られるティラノサウルスの「発達した嗅覚」と、そのぶっといバナナのような牙が合致する共通点です。
鳥類の掃除屋代表のハゲワシも嗅覚が強いことで知られており、上空を飛びながら数キロ先の腐肉を嗅ぎつけることができます。
またティラノサウルスのその小さく指が二本しか無い貧弱な前肢では、狩をして食餌をするために必要な「獲物を抑え付ける」力が疑問視されることも「掃除屋」の根拠です。例えば同じ肉食恐竜である「アロサウルス」や「ディノニクス」などは頑丈な前肢に鋭い爪があり、その恐ろしい爪を武器に狩をしたと推定されます。
ティラノサウルスのあの巨体で素早く動いて狩をしたと考えるのも無理があるのでは?といった意見もあります。

・・・長いのでつづく 次回は「掃除屋」説に対抗してティラノサウルスがハンターである根拠を紹介します


「豊橋総合動植物公園」第23回特別企画展について(5)

2008-10-31 00:01:05 | 古生物

ここ数回は愛知県の豊橋市にある「豊橋総合動植物公園」の中の自然史博物館のことを書かせていただいています。
自然史博物館は古生代、中生代、新生代の各展示ルームに分かれていますが、今回は前回に引き続き特別展「シーラカンス-ブラジルの化石と大陸移動の証人たち-」をご紹介します。

で今回の目玉は世界最大のシーラカンス化石の復元標本です。モロッコで発見されたものらしいのですが、現生のシーラカンスが大きいもので2mくらいですから、この標本の3.8mの体長は約2倍の大きさということになります。ここまで成長すれば当時の肉食の海生爬虫類や鮫などもうかつには襲わなかったでしょうね。
ただ3年くらい前の古生物関係の書籍を読むと、モロッコで発見されたこのシーラカンスの化石の推定体長は「2m」と書かれていました。復元するにつれてサイズが変わることはよくあることですが、倍近いのは少し驚きですね・・・?
実際に発見された化石は頭部の一部だけですが、近縁種のマウソニアで全身の化石が発掘されているものを参考に今回の復元をしたそうです。

展示場にも少しだけコメントが書かれているのですが、1990年代に発見されたことで非常に重要なことがあります。
魚は大きく肉鰭類(にくきるい)と条鰭類(じょうきるい)に分かれます。現在我々が食用にしたりしているサカナの多くは鰭(ひれ)に扇の骨のような「条」がある条鰭類ですが、シーラカンスは骨があり筋肉がついた肉質の鰭を持つ肉鰭類に属します。肉鰭類は鰓(えら)の他に一種の肺を持つものが多く、空気中でも呼吸ができます。
肉鰭類は更に肺魚類と総鰭類(そうきるい)に分類され、総鰭類はシーラカンス類と扇鰭類(せんきるい)に分類されます。そして扇鰭類のうち肺で呼吸できるものの鰓が無くなり現在の爬虫類や哺乳類などの四肢(手足ですな)を持つ陸の脊椎動物に進化したわけです。
そういう意味ではシーラカンスなどは魚類と言うよりも、水中で生活する進化前の四肢動物である。という解釈ができます。このことは前述のとおり簡単に展示場にも書かれていますのでご一読ください。

特別展は結構マニア向けですが中生代展示ルームには比較的人気のある恐竜の全身骨格標本がありますから、子供でもなかなか楽しめます。

「豊橋総合動植物公園」は出かけるならクルマで行く方が便利ですが、休日の場合は駐車場が10時ころには満車になりますので9時30分までには到着されるほうが無難です。


「豊橋総合動植物公園」第23回特別企画展について(4)

2008-10-29 00:45:21 | 古生物

ここ数回は愛知県の豊橋市にある「豊橋総合動植物公園」の中の自然史博物館のことを書かせていただいています。
自然史博物館は古生代、中生代、新生代の各展示ルームに分かれていますが、今回は引き続き特別展「シーラカンス-ブラジルの化石と大陸移動の証人たち-」をご紹介します。

自然史博物館は入園料で観られますが特別展は別途料金です。念のため・・・。

シーラカンスと言えば恐竜が絶滅したのと同時期に絶滅した。と考えられていたのですがアフリカ沖で1938年に生きた個体が捕獲され「生きている化石」としての代名詞的存在です。
余談ですが生きている化石の定義はよくわかりませんが、すでに衰退に入った「絶滅危惧種」的なイメージが強いと思います。実際は例えば街路樹などでよく目にする銀杏などは生きた化石ですし、ゴキブリもそうです。熱帯魚で人気のアロワナも中生代の生きた化石です。
で、その生きた化石のシーラカンスですが現生の個体はアフリカで発見される印象があります。最近、インドネシアで発見されて話題になりましたが、実は化石はアフリカだけで無くモロッコやブラジルでも発見されています。アフリカとブラジルなんて地球の反対側同士の場所にも関わらず同じ種類の化石が見つかるのは、かつて地球表面に超大陸の「パンゲア」が存在していたことと、それがウェーゲルンの提唱した「大陸移動説」のとおり分割移動し現在の姿になったことの一つの証拠である。と言う主旨の展示でした。
シーラカンスだけで無くガーやポリプテルスなどの、現在でも熱帯魚として水族館やペットショップでも見られる古代魚の化石がズラリと展示されています。ブラジルの魚類化石は鱗の印象だけでなく生きていたと同じ立体の状態で化石になっているものが多く、とてもリアルで生きていた姿が明確にイメージできる参考になる標本ばかりです。一見すると魚そのものの姿なので興味の無い人にはただの魚の模様のついた石にしか見えないのですが、古代魚特有のガイノン鱗がゴツゴツと化石に残り「何かアロワナ飼いたくなっちゃうなぁ」と思ってしまいます。

次回は引き続き特別展「シーラカンス-ブラジルの化石と大陸移動の証人たち-」を紹介いたします。


「豊橋総合動植物公園」第23回特別企画展について(3)

2008-10-27 00:18:16 | 古生物

愛知県の豊橋市にある「豊橋総合動植物公園」の中の自然史博物館のことを書かせていただいています。
自然史博物館は古生代、中生代、新生代の各展示ルームに分かれていますが、今回は引き続き2008年4月にリニューアルされたばかりの中生代展示ルームの隣にある展示標本をご紹介します。

展示ルームにある階段を上がると全体を見渡すことができます。観光地にある「望遠鏡」みたいなのが置いてあるので覗いたら、翼竜や魚竜の化石が生態復元されて動くCGが見られました。微妙に凝ってるなぁ(笑。

隣はここも以前から展示されていますが、この博物館のシンボル的な標本であるエドモントサウルスの「実物化石」の全身骨格標本があります。この博物館がこの標本を購入した当時は「アナトサウルス」と命名されていたものです。その後この種は何度も見直され「アナトティタン」になったりしてとりあえず「実はエドモントサウルスと同じ種類だ」と落ち着いても、かたくなに博物館側は「アナトサウルス」として展示していました。どういった心境の変化かは知りませんがリニューアルされた今はエドモントサウルスで展示されています。
注目はその隣のエドモントサウルスのミイラ化石のレプリカです。3年くらい前にすでに購入され特別展示もされたそうですが今回のリニューアルで常設されています。エドモントサウルスがトラコドンと呼ばれ手や足にみずかきがついた復元を子供のころは目にしましたが、この化石のおかげで実はひずめのような形の肉質のパッドで覆われていたことがわかります。世界でもあまり展示されている例は無いと思いますのでこれも必見です。ちなみに福井県立恐竜博物館でも観察できることだけ追記しておきます。

次回は特別展「シーラカンス-ブラジルの化石と大陸移動の証人たち-」を紹介いたします。


エピデクシプテリクスはミッシングリンクとなりえるか?

2008-10-24 00:52:29 | 古生物

今日のニュースでこんなのがありました。

以下 転載

尾先に4本の飾り羽、肉食恐竜の化石を中国北部で発見(10月23日3時8分配信 読売新聞)

 中国北部・内モンゴル自治区で、短い尾の先に4本の飾り羽を持った非常に珍しい姿の肉食恐竜の化石が発見された。約1億6800万~1億5200万年前(ジュラ紀中~後期)の化石とみられ、これまで見つかった鳥や羽毛を持つ恐竜の中では最古。23日付の英ネイチャー誌に掲載される。

 発見したのは、中国科学院古脊椎動物古人類研究所のチーム。化石はハトくらいの大きさで、頭から尾までほぼ全身が保存されている。学名は「エピデクシプテリクス(ギリシャ語で飾り羽)」とつけられた。推定体重は164グラムで、成体になる少し前の若い個体とみられている。

 尾羽はリボン状で約19センチ。異性を誘う装飾の役目を果たした可能性がある。

 尾の骨は鳥のように短く、胴にも短い羽毛が生えるなど、鳥の祖先とされる始祖鳥(約1億5000万年前)に非常に近い。翼が発達していないため、飛行はできず、鳥に進化する一歩手前の段階と考えられている。 

以上 転載

恐竜が鳥に進化したことはほぼ確実なものと言うのが定説となっているわけですが、鳥類研究の歴史は19世紀半ばの1861年にドイツ、ババリアのジュラ紀後期の地層での始祖鳥の発見まで遡ります。しかし始祖鳥が鳥と同じ翼と羽根を持ちながら、獣脚類恐竜のような長い骨のある尾と歯のある顎を持っていたにもかかわらず、当時の科学者たちは鳥類の祖先が恐竜である可能性があるとは考えもしませんでした。
1860年代の末にトマス・ヘンリー・ハックスリーが最初に恐竜と鳥類を結びつけたのですがほとんどの科学者に反論されています。
1860年代と言えばすでにダーウィンが進化論のバイブル「種の起源」を1859年に発表していますが、この考えは当時の学術界に強い影響力を持っていたキリスト教会の「創造説」を真正面から否定する論理です。生物は神が一度に創造し人間は生物界の頂点にいるという考えは、今なら「プッ!」ですみますが当時は絶対的なもので、言及すれば1920年代になってもアメリカの一部州などは「進化論」を学校で指導することが法律で禁じられていたほどです。
そんな時代に「鳥は獣脚類恐竜の進化したものです」と言うことは、進化論そのものが冷遇されていた時代にあって、しかもハックスリーは「ダーウィンのブルドッグ」とあだ名されるほどのダーウィン信者でしたので、当時の学者たちには根本で受け入れ難いものであったと思います。
結局、ディノニクス、コンプソグナトゥス、鳥の共通点を比較したジョン・オストロムの「鳥=獣脚類恐竜説」がきっかけとなり、その後1986年にジャック・ゴーティエが分岐論を使って「鳥=獣脚類恐竜説」を証明し多くの学者はこの説に賛同しました。
しかし肝心の化石証拠が見つからない中では「アンティ鳥=獣脚類恐竜説」学者を完全に論破はできません。
ところが1996年に中国遼寧省で小型の獣脚類恐竜Sinosauropteryx prima(シノサウロプテリクス・プリマ)が発見されたと報告されます。
3本指の手と長い骨のある尾を持ち、なんと短い繊維状の物が体全体を覆っていたのです。羽根なのか毛なのか議論は残っているのですが、どちらにしてもこれは羽根の相同物であると考えられました。その後も次々と羽毛を持つ恐竜化石が発見されて「鳥=獣脚類恐竜説」がほぼ定説になりました。
しかし恐竜と鳥を橋渡しするような生物の化石は発見されていません。所謂「ミッシングリンク」なのです。
この「エピデクシプテリクス(ギリシャ語で飾り羽)」と命名された生物は1億6000万年前くらいの地層で発見されたわけですからジュラ紀の生物ということです。その後の白亜紀の地層で発見された「ミクロラプトル・グイ」は明らかに恐竜なのですが、空中を滑空したと考えられています。対して「エピデクシプテリクス」は骨格は始祖鳥に似ていて羽毛もあるのに飛行できた可能性は低いわけです。
鳥の特徴を多く持ちながら飛行できない生物。恐竜なのに飛行できる生物。この両方が存在していたことから、「エピデクシプテリクス」が生きていた時点で恐竜と鳥の枝分かれがされたのでは無いか?と言う期待は大きいと思います。


「豊橋総合動植物公園」第23回特別企画展について(2)

2008-10-19 00:11:45 | 古生物

前回、愛知県の豊橋市にある「豊橋総合動植物公園」の中の自然史博物館のことを書かせていただきました。
自然史博物館は古生代、中生代、新生代の各展示ルームに分かれていますが、今回はまず2008年4月にリニューアルされたばかりの中生代展示ルームからご紹介します。

自然史博物館のエントランスは特別に大きくリニューアルされた部分はありません。入り口すぐに以前はティラノサウルスの復元模型が置いてあり、ときどき怪獣のように動いたり吼えたりしていましたが、いわゆる恐竜ルネサンスより前の直立した「ゴジラ型」の復元でかなり失笑物でした。今はその場所にはプッシタコサウルスの母親が抱卵している模型があり、時々卵が孵化する場面が見られます。「母親恐竜」と言うと映画「ジュラシック・パーク」で一部マニアには有名なジャク・ホナーが命名した「マイアサウラ(良き母親トカゲの意味)」が定番ですが、幼体のプッシタコサウルスが犬の赤ちゃんみたいに
おしくらまんじゅう状態になって化石になったものが発見され、これはプッシタコサウルスが子育てをした明確な証拠だ。とされプッシタコサウルスは新たな「母親恐竜」となった感があります。姿も鸚鵡のような顔で(プッシタコサウルスは鸚鵡トカゲの意味)なんか穏やかで優しげなのも好印象なんでしょうね。マイアサウラはでかいし・・・。

展示ルーム入り口には以前から展示されているのですが「ティラノサウルス」と「トリケラトプス」の全身骨格標本が「どうだぁ!」とばかりに置かれています。非常に明るいエントランスなので福井県立恐竜博物館のように薄暗い夜の繁華街みたいな中で観察するのと違い、2体の人気恐竜の化石がじっくり観察できます。ちなみにこちらに展示されているティラノは標本番号が「MOR-555」と付けられたもので、初めて明確な腕の化石が発見されたことで有名です。福井や東京の国立博物館に展示されているものは「BHI-3033(通称スタン)」という標本です。豊橋の標本は比較的珍しいものでそういう意味でも必見かもしれません。

中生代展示ルームは全体の広さはあまり変わりませんが、まず展示されている全身骨格標本が大幅に増えています。
以前は恐竜がアロサウルス、ステゴサウルス、全身ではありませんがティラノサウルスの頭骨。他に海生爬虫類の全身骨格標本が展示されていました。
その他に中生代の海や陸を再現したこじんまりとしたジオラマが置いてありましたが、復元も古くそもそも色もくすんで正直うら寂しい物でありました。
アロサウルス、ステゴサウルスの復元も尾を引きずった古いものでした。
これがリニューアルによりアロサウルスは獲物を威嚇するようなポーズに変更され、ステゴサウルスは新しい解釈である腰を高く上げて尾をピンと伸ばした姿になりました。また2006年にこの博物館で初公開されたユアンモウサウルスが追加で展示され、しかもその体の下をくぐれるように展示場所の床が地下に降りられる形になっています。見上げるとユアンモウサウルスの肋骨や頚骨の裏側が観察できます。
これは静岡にある東海大学自然史博物館のディプロドクスの展示と同じだと感じました。参考にされたのかは不明ですが悪く無いアイディアです。惜しいのはユアンモウサウルスが竜脚類としては小型な部類であることでしょうか・・・。オメイサウルスぐらいだとど迫力だと思うのですがまぁ珍しい標本なので良しとします。
他にもプッシタコサウルスやアーケオセラトプスも展示されていて、ユアンモウサウルスと抱き合わせで中国から購入したんでしょう。ティラノの歯のレプリカ化石も展示されていますが明らかにブラックヒルズ地質学研究所から通販で買える「スタン」のもの。エントランスには「MOR-555」を展示しているのですからそこは是非そろえて欲しかった気がします。実は「MOR-555」の歯のレプリカ化石のほうが入手しやすいんですがね・・・。
展示ルームの奥にちょっとした劇場があってそこで子供向けの劇と言うか映画と言うか、とにかく映像作品が観られます。この博物館には展示されていないパキケファロサウルスの子供3匹が案内役で登場します(パッキー、ピッキー、プッキーと自己紹介します(笑)。何故パキケファロサウルス?姿に愛嬌があるからでしょうかねぇ。

中生代展示ルームの隣にはこの博物館のシンボル的存在の標本が展示されています。次回はこちらを紹介いたします。

 


「豊橋総合動植物公園」第23回特別企画展について(1)

2008-10-17 00:31:46 | 古生物

竹輪で有名な愛知県の豊橋市に「豊橋総合動植物公園」という大きな公園があります。

動物園と植物園そして自然史博物館が一つの敷地に存在し、ちょっとした散策気分で動物たちを観察したり、なかなか観る機会の無い古生物の化石標本などを観察することができます。

愛知県には「豊橋総合動植物公園」のほかに名古屋市内に「東山動植物園」があります。こちらはごく最近まで東京の「上野動物園」に次ぐ入場者数を誇っていましたが、今では北海道の「旭山動物園」に抜かれてしまいました。現在の「東山動植物園」は2位奪回にむけていろいろ計画しているようですが、その「旭山動物園」がシロクマ(ホッキョクグマ)の展示方法で参考にした。と言われているのが「豊橋総合動植物公園」です。いつつぶれてもおかしくなかった「旭山動物園」の再生ドラマはTVなどでも取り上げられていましたが、巨大なシロクマの行動をガラスごしに観察できる展示を見たときは「これ豊橋の真似じゃん」と思ったもんです。
つまり「豊橋総合動植物公園」は従来は動物の姿を観察することが一般的だった動物園の中で、いち早く動物の「行動」が観察できる展示を実現した動物園なのです。すごいんです。今じゃシロクマの行動観察ができる時間は満員です。昔はゆっくり見られたのに・・・。

ところで今回は動物園の紹介では無く同じ敷地にある自然史博物館のことを書かせていただきます。
自然史博物館は2004年4月に古生代の展示をリニューアルしましたが、更に2008年4月に中生代(つまり恐竜時代ですな)の展示をリニューアルしたばかりです。それにあわせてブラジルの魚化石を中心とした第23回特別企画展「シーラカンス-ブラジルの化石と大陸移動の証人たち-」を開催しています。

2006年には豊橋市政100周年と言うことで愛知万博(愛・地球博)の目玉展示の一つであった冷凍マンモスや、中国で発見されたばかりであったユアンモウサウルスの全身骨格などを特別展で展示したこともあります。

今回はリニュ-アルした中生代展示ルームを観ることもあわせて行って参りました。いろいろと興味のある展示もありましたがいくつか取り上げてご紹介いたします。特別展は2008年11月16日まで開催されていますのでご興味があれば是非どうぞ。

次回はリニューアルされた中生代展示ルームをご紹介します。
豊橋総合動植物公園