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「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

モーツァルトの未発表曲と贋作

2009-01-24 00:02:43 | 音楽(クラシック)
こういうこともあるんだなぁ・・・。という記事でした。

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2009年1月22日 ロイター オーストリアの作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの未発表だった楽曲の一部が22日、仏西部のナント市で演奏された。同曲の楽譜は数年間にわたり同市立図書館に保管されていた。
 2分未満の曲を2つ組み合わせた曲は、バロック合奏団「ストラディバリア」の音楽監督であるダニエル・キュイエ氏が、バイオリンによる演奏で報道陣や友人に披露した。
 1ページだけの楽譜は、19世紀末に個人収集家によって同市立図書館に寄贈されたが、複写されたものだとみられていた。しかし、2008年にザルツブルクにあるモーツァルテウム音楽大学のウルリヒ・ライジンガー氏によって直筆のオリジナルであることが判明。同氏は、楽譜が競売にかけられた場合、20万ユーロ(約2310万円)の値が付く可能性があるとしていた。

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ちなみにこの楽曲が発見された際の記事は以下です。

2008年9月19日 AFP 仏西部ナント(Nantes)の市立図書館で保管されていた楽譜が、オーストリアの作曲家モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の直筆による未発表曲の楽譜だと確認された。同図書館が18日、発表した。

 この楽譜は19世紀の収集家がナント市に寄贈したもの。その存在は以前から知られていたが、この度、モーツァルトの生まれ故郷ザルツブルク(Salzburg)にあるモーツァルテウム財団(Mozarteum Foundation)専門家が鑑定し、本物だと確定した。

 1枚の紙に楽譜が2点書かれており、1点はニ長調のミサ曲、もう1点は楽譜の草稿のようで、判読不能な部分もあるという。

 モーツァルトは1756年にザルツブルクに生まれ、1781年にウィーン(Vienna)に移住。彼の作品の大半は、同地で書かれている。

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このように未公開や未発表であった曲が発見されたりするケースもあるのでしょうが、実はモーツァルトの作品には有名な「贋作」が存在します。

「ヴァイオリン協奏曲第7番 ニ長調」という作品で「K. Anh. 294a」というケッヘル番号まで付番されていたそうです。1933年にマリウス・カサドシュという作曲家で音楽出版者が校訂する形で初出版されました。このカサドシュという人物は兄のアンリも作曲家で音楽出版者で著名なヴィオラ奏者でありました。兄はかのサン=サーンスとも親交があり共に「古楽器協会」という団体を設立したりして、バロックや古典の忘れられた楽器や楽曲を発掘しては演奏、出版していた人物です。
当時のカサドシュの言によれば、このヴァイオリン・コンチェルトはモーツァルトが10歳のときに作った曲で、二段譜表に独奏部分とバス部分が書かれており、フランスのルイ15世の娘「アデライード」に献呈した旨が記載されていたそうです。
しかしながらこの曲が発表されたのが20世紀であり、しかも自筆譜から転記して出版したとのカサドシュの言い分に対して、音楽学者たちがその自筆譜の閲覧を願い出ても許可しなかったことなどから真偽に関する論争が起こりました。
結局、1977年と言いますから実に初出版から40年以上も経ってから、カサドシュ本人がこれが自作であることを公表したのでした。

実はこのカサドシュ兄弟は他にもヘンデル、大バッハの息子のヨハン・クリスティアンなどの作品と偽って贋作を多く作曲しています。中には20世紀の大指揮者であるクーセヴィッキやミヨーによって指揮されたり録音されたりした作品まであるそうです。

真意ははかりかねますがおそらくこの兄弟、当時の古楽復刻の第一人者であったのでしょうね。かと言ってそんなにレアな古典作品が次々と発見されるわけでも無いので、自作してウソついて公開しちゃえ!とやってしまったのでしょう。少し前にも自分で土器や石器をあらかじめ埋めておいて、あたかも発掘したかのように見せてた人がいましたよね。

しかし彼らの作品は未だに練習曲などで使われる機会もあるそうで、音楽や過去の巨匠たちに対する態度には真摯なものを感じられませんが、音楽創作力としてはある意味すごい才能ですよねぇ・・・。

楽しみにしてたのに・・・

2008-12-14 23:58:32 | 音楽(クラシック)
以前、2008年10月21日に浜松市立楽器博物館のレクチャーコンサート「 寺神戸亮さん演奏の「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」による「バッハ 無伴奏チェロ組曲」を本日、聴きに行くつもりだ。と書きました。
チケットも予約していたのですが次男が感冒性胃腸炎(いわゆる胃腸カゼですな)になってしまい、泣く泣くキャンセルしました・・・。
めちゃくちゃ楽しみでしたのに(涙。

浜松市楽器博物館12月14日レクチャーコンサート

2008-10-21 00:12:57 | 音楽(クラシック)
浜松市にある楽器博物館ですがリニューアルしてから一度だけ行ったことがあります。
とにかくマニアな博物館です。Rolandの音源拡張ボード「World Collection」も裸足で逃げ出しそうな凄さです。見ただけではどう弾くのか?どんな音がするのか?理解できない楽器がずらりと陳列されていますが、各展示の前面にはサンプルの演奏音源を聴ける装置もあり飽きさせません(好きな人にとっては)。
でこの博物館はレクチャーコンサートも企画されているので時々チェックするのですが2008年12月に興味あるコンサートが。 寺神戸亮さん演奏の「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」による「バッハ 無伴奏チェロ組曲」です。
過去にも同じプログラムは演奏されているのですがどれも即完売とかで、是非一度聴いてみたかったのですが今回はがんばってチケットを取りました。12月の半ばですからそろそろ寒い日々が続いていると思いますが夫婦連れ立って浜松まで出かけたいと思います。

そう計画している矢先にE-Windでお世話になっている56さんのブログで、「最近「バッハ 無伴奏チェロ組曲」にはまっている。」と書かれていました。
「バッハ 無伴奏チェロ組曲」はバッハ(J.Sバッハまたは大バッハと書くべきですが煩雑なので以後バッハと書きます)の65年の人生の中で、宮廷のお抱え楽長であった時代、いわゆる「ケーテン時代」の作品だろう。と言われています。バッハが40歳前後のころですね。そのため宮廷の楽士であるチェリストのために書かれたのでは?という説がもっともらしく語られています。
ところでバッハは今でこそ「音楽の父」扱いですが、実際はルネサンスも含めてバロック期音楽の終焉に活動した人で、彼の死後はその音楽は「一時代前の技法に固執した職人芸音楽」と考えられていたようです。先妻と後妻の間にたくさんの子供がいて彼らはバッハより幼少期から英才教育を受けたため、特にエマニュエルとクリスティアンの二人は当時「父親を越えた音楽家」と評価されていました。バッハの葬儀での鎮魂の言葉に「貴方の偉大な息子が貴方の功績を引き継ぎ」と書かれているそうで、完全に時代遅れの老人に対して「息子は立派に先進的に活躍していて良かったね」といったニュアンスです。
息子たちは当時の音楽最先端国であったイタリアの技法や曲調を自作に取り入れ、時代に合った明るい曲を作曲してその後のモーツァルトやハイドンなどに大きな影響を与えたことは有名です。クリスティアンはロンドンで活躍し最後は借金まみれで亡くなったのですがモーツァルトはその死を「音楽の損失」と悲しんだという逸話があります。
少し逸れましたがかようにバッハの音楽は長く忘れられていたのですが、バッハ一族が音楽一家であったことから作品は一族が代々管理していました。そして後期ロマンの天才作曲家にして大金持ちのぼっちゃんであったメンデルスゾーンにより再評価され復活したのは有名な話です。それでもこの「チェロ組曲」に関しては単なる技巧的な練習曲と解釈されていたため演奏される機会は無かったようです。
理由はいろいろあると思うのですがやはり低音楽器である「チェロ」で演奏されることからくる「先入観」では無いかと思います。現代でも軽音楽におけるベーシストは基本は低音担当の伴奏者というイメージで、ジャコ・パストリアスや少し古いところではスコット・ラファロみたいな饒舌なベーシストは特異な存在にされる傾向があります。
つまり「チェロで独奏をするだけ」の音楽のアイディアが理解できなかったのでは無いでしょうか?しかも現代のチェロでこの曲を演奏した場合は特に6番組曲などは物凄く難曲になるそうです。実際高音が多くてむせび泣くような音がよく聴かれるのでポジション取るの大変そうだな・・・。と思います。比較的最近の録音では6番組曲のみ5弦のピッコロ・チェロを使用する例が多いようですが、名盤と言われている「ピエール・フルニエ」や「ミーシャ・マイスキー」などの録音は現代チェロを使用しその卓越した技術で弾きこなしています。

最近の研究では、自身がヴァイオリンの名人であったバッハが、ヴァイオリンのように構えて弾く5弦のチェロを想定して作曲したのでは?と推測されているようです。
そこで先に述べた「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」という楽器の登場です。
滑舌が悪いと名前すら発音できないこの楽器、意味は「腕(肩)のチェロ」というような意味。ちなみに比較的よく聴かれる同時代の「ヴィオラ・ダ・ガンバ」は「足(膝の前、脛)のチェロ」と言う意味。要は弾き方を示しています。バロック期には広く使われたものの現代では忘れられた楽器であったものを、ロシア人のヴァイオリン奏者であり楽器作者のディミトリー・バディアロフさんが研究の上で復刻させたもので、ヴィオラをもう少し大きくしたような5弦のチェロであり、首からストラップで下げてヴァイオリンと同じように演奏できます。
浜松でのコンサートはレクチャー・コンサートなので演奏だけで無く、この楽器の歴史的な位置づけや存在意義なども聞くことができると思います。コンサートに行きましたらまたこの場で感想など書けたらと思います。

チェロ独奏のものがもちろん一番良いのですが、この曲は実はいろいろな楽器に編曲して演奏されてもいます。その中でも日本のジャズ、フュージョン界で活躍している清水靖晃さんがテナー・サックスで録音したものをご紹介しておきます。フラジオ、重音を駆使し見事にサックスで吹ききっています。重音の部分は何か「ホゲェー!」と言った音色でびっくりしますが・・・。でもハスキーな男性のスキャットを思わせるテナーの音色はこの曲の「祈り」のようなフレーズ全体にしみわたります。

CELLO SUITES - YASUAKI SHIMIZU & SAXOPHONETTES