耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“仁者”は健在なり

2007-06-28 13:13:48 | Weblog
 ここ数日、皇帝ダリアの支柱作り、サツマイモの植え付け、ラッキョの漬け込み、カンパニュラ・金魚草の苗植え替え、生ゴミ肥料作りなどで、パソコンに向き合う時間が持てなかったが、梅雨の合間に盆栽の手入れやイノシシ防護ネット張りを完了しておかないといけないので、この記事も簡略化せざるを得ない。

 そこで、今どき珍しい(?)人物の発言を入手したので記録に留めて置きたいと思う。本ブログ2月13日「まるで節操がない御手洗(日経連)会長」でふれたが、わが国を代表する企業経営者たちの「倫理観」は見る影もないありさまである。それを反映したかのように“金の亡者”がいたるところで消費者を食い物にし跋扈している。

 「珍しい人物」とは、経済同友会終身幹事の品川正治氏のことである。

 『論語』に“知者は水を楽しみ仁者は山を楽しむ”(知者が物事を円滑に処理するようすを、水が一箇所にとどまることなく流れることにたとえ、仁者が欲に動かされず天命に安んずるようすを、不動の山にたとえていう)とあるが、品川正治氏は“仁者”というにふさわしいと言えまいか。次を参照して欲しい。


 http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/bbs3/sinagawa-masazi2006/sinagawa-bangai.html
 
 http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/20070619/

 http://blog360.jp/%C9%CA%C0%EE%C0%B5%BC%A3
 
 戦争体験を語る人は決して少なくはないが、自らの体験と信念をもとに、「改憲」路線を突っ走る安部政権を真正面から痛烈に批判する財界人はこの人以外見当たらない。誠に敬服の他ない。

 長谷川如是閑は“戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり”と風刺したが、あえて「憤怒」を掻きたてるようなこんにちの政情に品川正治氏は警鐘を打ち鳴らしていると言えよう。