耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

「厭離穢土、欣求浄土」のドラマ~『観無量寿経』の世界

2008-01-28 10:56:47 | Weblog
 『般若心経』は、車の運転時や散歩の時などいつも称じているが、呼吸・拍動に同調し、気分が安定してくる。西洋の「心身」とは逆に仏教では「身心」(道元禅師の「身心脱落」など)と「体}が先で、「行(ぎょう)」に伴って「心」の安定を求めているといえるだろう。お経(声明一般)もその例外ではないのかも知れない。そんなことを考えていたら、『観無量寿経』のドラマを想い出したので書き止めて置きたい。

 
 阿弥陀如来のはたらきと阿弥陀様がおられる極楽浄土の様子を説いたのが『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』で、これを『浄土三部経』という。よく知られていることだが、具体的な出来事・人物が登場し、悲劇のドラマを描いているのが『観無量寿経』である。“法然上人”や弟子の“親鸞”の教義にもたびたび登場する悲劇の主人公「韋提希(いだいけ=バイデーヒ)夫人」に、釈尊が浄土往生の方法を説く場面が描かれている。

 霊鷲山(りょうじゅせん)のふもとのマガタ国の王舎城で、父親の頻婆娑羅(びんばしゃら)王を子の阿[じゃ]世太子(以下“アジャセ”と書く)が牢獄に幽閉し、王位を奪うという反逆事件が起きる。この事件を挑発したのは太子の悪友で釈尊の従兄“提婆達多(だいばだった=デーヴァダッタ)”だった。実は、この反逆事件には隠された背景があった。その背景は『涅槃経』に詳しく述べられている。(注:[じゃ]は門がまえに者)

 頻婆娑羅(以下“ビンバシャラ”と書く)王には世継ぎの子がいなかった。そのために悩み、占い師に見てもらったところ、「今、ヒマラヤの山中で修行している一人の仙人が、あと三年すると寿命が尽きる。そうすれば輪廻転生してあなたの子が生まれる」と予言する。王はすぐにも子が欲しかったので、どうせ王子として生まれかわるのなら本望だろうから死んでもらおうと掛け合ったが、「あと三年の命を大切に生きたい」と拒絶される。世継ぎがほしい王はそれを待ちきれず、人を遣わして仙人を殺してしまう。すると予言どおり、皇后の韋提希(以下“イダイケ”と書く)は懐妊する。

 さて、懐妊はしたものの生まれる日が近づくにつれ“イダイケ”夫人は、王が仙人を殺した悪行の結果が現れはしないかと恐れ、恐れが高じて、夫人は子どもを産むとすぐに高殿から突き落とすが、子は奇跡的に助かって、指一本傷つけただけだった。

 ここで注釈しておくと、“アジャセ”のサンスクリット名はアジャータシャトゥルで、アは否定の意、ジャータは「生まれる」、シャトゥルは「怨み」という意味。つまり、「未生怨(みしょうおん)」(未だ生まれざる前の怨み)という名まえだったのである。

 悪友の“ダイバダッタ”は、「両親はあなたを殺そうとしたのだ。それが証拠に君の指は一本欠けているだろう」と、親の秘密を“アジャセ”に暴露して謀叛をそそのかし、父を牢獄に幽閉して食べ物を与えず餓死させる計画だったと『涅槃経』に書かれている。『観無量寿経』はこの幽閉した場面から始まるわけだ。


 夫の“ビンバシャラ”王を敬愛する“イダイケ”夫人は、沐浴して体を清め、小麦粉のようなものを蜜でねって体に塗り、胸飾りの玉の中には葡萄酒を入れ、番人の目を盗んでひそかに牢獄の王に与えていた。餓死をまぬかれた王は、釈尊のおられる霊鷲山に向かって「あなたの弟子の目連尊者は私の親友です。どうかお慈悲をもって目連尊者を私のもとに遣わして、八戒を授けてください」と願う。願いを聞いた釈尊はさっそく王のもとに目連を遣わし、戒を授け、王は釈尊に帰依する。(ここは「超人説話」で目連は空中を飛翔して王のもとを訪れることになっている)


 あるとき“アジャセ”が牢獄を見回り、門番に尋ねた。「父王はまだ健在か」と。すると門番は「皇后様が食べ物や飲み物をひそかに運んで父王に与え、さらに釈尊の弟子が毎日やってきて説法をしており、とても元気です」と答える。これを聞いた“アジャセ”は怒り狂い、母を呼びつけ斬りつけようとした。

 これを止めたのが二人の大臣、聡明な“月光”と侍医の“ギバ”だった。“月光”大臣は言う。「ヴェーダ聖典によれば、父王を殺害した王は1万8千人いたが、母親を殺害した王はいない。もし母を殺せば王族階級の名を汚すことになる。そんなことをすれば宮殿にいるわけにはいかない」と諌める。“アジャセ”は“ギバ”に「お前はおれの味方になってくれないのか」と迫るが、“ギバ”も「お母さんを傷つけてはなりません」と諫言したので、やむなく“アジャセ”は剣を捨てて母殺害を思いとどまる。しかし、殺害のかわりに母親も奥深い部屋に幽閉してしまう。


 ここでまた、母親幽閉後の“アジャセ”がどうなったか、『観無量寿経』では欠落していて『涅槃経』を見るしかない。『涅槃経』によれば、“イダイケ”夫人が幽閉され食べ物の差し入れができなくなって、“ビンバシャラ”王は食を断たれ獄中で餓死する。父王を殺した“アジャセ”は次第に良心の呵責にさいなまれ、体中に吹き出物ができて悪臭を放つ病にかかる。病に取り付かれた“アジャセ”に「あなたに罪はない、父から帝位を奪った王は数え切れません」などと甘言を弄する家臣が多いなかで、侍医の“ギバ”だけは「身の病を治す名医はいくらでもいるが、あなたの病は心の病で釈尊以外に治す人はいません。釈尊に懺悔し教えを聞きなさい」と勧める。

 決心しかねる“アジャセ”の病はますます悪化し、七転八倒する苦しみに見舞われる。そこに天空からの声が“アジャセ”の耳に届く。「おれは父“ビンバシャラ”だ。法を聞けと言う“ギバ”の勧めに従い、今すぐ釈尊を訪ねよ」と。この声を耳にしながら“アジャセ”は気を失った。

 どん底に落ちた“アジャセ”に懺悔の心を芽生えさせたのはわが子を想う父と父の想いを受けとめた釈尊だった。父“ビンバシャラ”の願いに応え、釈尊は「月愛三昧(がつあいさんまい)」に入り、この「月愛三昧」の気が“アジャセ”の心にふれてかさぶただらけの重篤な身を癒してくれたのである。「月愛三昧」とは何かと問う“アジャセ”に“ギバ”が答える。

 <たとえば月の光よく一切の優鉢羅華(うはつらけ)~青い蓮華、ウットパラのこと~をして開敷(かいふ)し鮮明(せんみょう)ならしむるがごとし。月愛三昧もまたかくのごとし、よく衆生をして善心開敷せしむ、このゆえに名づけて「月愛三昧」とす>

 ちょうど月の光が青い蓮の華を開かせ、鮮やかな色を浮き出させるように、その三昧(精神集中が深まりきった状態)から発する心にふれた衆生は善の心がおのずから花開くというのだ。こうして“アジャセ”の深い病は癒されていく。ここから再び話は『観無量寿経』に移り、“イダイケ”夫人の苦悩の叫びが語られる。


 王舎城の奥深く幽閉された“イダイケ”夫人は、憔悴しきってやつれはて釈尊に助けを求める。「昔、いつも阿難を王舎城に遣わして法を説いて慰めて下さいました。どうか、目連と阿難を遣わして説法を聞かせて下さい」と、はるか霊鷲山へ向かって号泣しつつ礼拝した。釈尊はこれを聞いてただちに弟子を遣わしたばかりか、自ら王舎城の奥深い牢獄にいる“イダイケ”夫人の前に姿を現す。

 <時に韋提希、仏世尊を見たてまつりて、自ら瓔珞(きらびな装身具)を絶ち、身を挙げて地に投ぐ。号泣して仏に向かいて白(もう)して言(もう)さく、「世尊、我、宿(むかし)何の罪ありてか、この悪子を生ずる。世尊また何等の因縁ましましてか、提婆達多と共に眷属たる。…>

 「こんなつらい思いをする私がどんな悪いことをしたというのでしょう。そしてまた“アジャセ”の悪友である“ダイバダッタ”が釈尊の親戚とは一体どういうことですか」と訴えるのだ。こうして何もかもぶちまけたあと“イダイケ”夫人はあらたまって、「私のために苦しみ・悩みなどまったくない場所、境地をお説き下さい」と願う。つまり「厭離穢土、欣求浄土」を願うわけだ。このあと釈尊は「悟りへの道」を諄々と“イダイケ”夫人に説き聞かせるが、説法の終わりのころ有名な経文がでてくる。

 <光明、遍照十方世界、念仏衆生、摂取不捨>
 (一一の光明遍(あまね)く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず)

 古来、ここで言う「念仏衆生、摂取不捨」から「念仏を称しない者は捨てられるのか」という疑問が提起されてきた。“法然上人”は応えて詠っている。

 月かげのいたらぬ里はなけれども ながむる人の 心にぞすむ

 「月が出ていてもこれを見る心のない人には見えないものだ」、つまり仏の法は誰にでも平等に送られているが、受け取らない人には届かないというのである。

 さて最後の釈尊の言葉を聞いてみよう。

 <仏、阿難に告げてたまわく、「汝好くこの語(ことば)を持(たも)て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名(みな)を持てとなり」。仏この語を説きたまう時、尊者目連・阿難および韋提希等、仏の所説を聞きて、みな大きに歓喜す。>

 この「無量寿仏すなわち阿弥陀仏の名(みな)を持(たも)て」(すなわち「南無阿弥陀仏」の称号)というのが『観無量寿経』の結論とされている。
 (参照:坂東性純著『浄土三部経の真実』/NHK出版)


 浄土往生のために説かれた「十三観法」などはすべて省略したが、王舎城のドラマチックな悲劇から「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」を願う人間模様が鮮やかに読みとれるだろう。古代にこのような説話がどのようにして成立し、ありがたい「お経」としてわれわれに伝えられたかを想うと、歴史の深遠さに圧倒され、最近の俗世の出来事(大阪府知事に下劣輩当選!など)がいよいよ浅薄に感じられてきてならない。
 


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