耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“平和”を……

2008-01-02 13:44:04 | Weblog
 結合双生児の“べトちゃんドクちゃん”兄弟の兄“べトちゃん”が、昨年10月亡くなった。享年27歳。あらためて戦争への憎しみを覚えたが、“べトちゃんドクちゃん”の悲劇はいま、イラクで再現されている。

 “平和”は永遠に望めないのか。溜め息をつきたくなるが、ベトナム詩集『人間と人間』に詩人・佐藤ひでをは、カスカナかすかな“希(ねが)い”をこめて書いている。


“ねがい”

そーだ
やはり歌う明るい集団であることだな
水田をたどる畔が村に入ったら
その群れの中で良く話そう
児どもの教育のこと
どんなささいな
愚痴っぽい相談事だっていいやな
貧しいことなら真剣に聞いてやることだ
泥田へすすんで入ったら
農民と一緒にずぶ濡れて笑いながら
<寒い夏>でも
活きている掌になる
移動隊のようなものだな

魚場に寝起きしてもよし
網を曳くもよし
それだけではない
女達とも浜へ出て泣く
貧しさを聞く
貧しさを論議する
それもそうだが
どんな生活の欠陥の指摘にも
漁民の心をとらえる漁民の
それが
まず素晴らしい君の能力を生む筈だ

もっとでっかい奴さ
柔軟で機敏に闘う細胞なら
農の
漁の
貧しさに入って
生活の
いたみやかなしみのそこから共に芽生える
ほんものの人民にみずからが目覚めることだ
農民の
漁民の
労働者の
ハダカの両足で立つのさ

だから まず
問題が山積する
貧困の底辺に下りることだ
病人を
児どもたちを
愛する温かさに
みずからが目覚め
人間らしい明るさや笑いを創造する
闘いを推進する
地道だが
縁の下の力もちのような
工作隊を
ぼくは
君に描いてみるのだが

               ~1965年・<佐藤ひでを詩集Ⅱ>


 新年に“平和”を希ってここに記す。


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