耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

今は昔の“ストライキ”の話~その2

2007-08-19 10:53:19 | Weblog
 【四国ドック労働組合】のストライキ ~闘争資金の“工面(くめん)”に知恵

 香川県高松市にある「四国ドック」は三井造船系列の中規模造船所で、当時(1965年)、従業員はおよそ400人、ここには全造船(中立労連系)加盟の組合と造船総連(同盟系)加盟の組合が共存していた。私が所属する造船総連の加盟組合「四国ドック労働組合」は組合員約100名、佐々木喜三郎委員長の指導の下よくまとまった組合だった。佐々木は長崎造船短期大学(現長崎総合科学大学の前身)出身の技術者で、三井造船から派遣された東大出の社長も一目置く人物だった。

 ある時の労使交渉の席上、社長外数名の会社側委員を前に、進展しない交渉にいらだった佐々木はテーブルを叩いて吠えた。

 「ぐずぐずせんと、腹くくったらどうですか、社長! 全造船の方はどうでもええですが。世間並みのことしてくれりゃ、おれたちゃそれでいい言うとるんです。難しいこたなんもないでしょうが!」

 あとで知ったが、この時、社長は娘を亡くして一週間、喪に服している最中だった。佐々木はそれを承知で、情実にとらわれず厳しい交渉を続けたが、これを誠実に受け止めた社長もみごとだった。

 私は「四国ドック労組」の「オルグ」(注・参照)を担当し、「残業拒否」や「ストライキ」を実施したことがたびたびあった。この当時は夏・冬一時金闘争、春闘とも一企業内での解決は不可能で、社会的水準なり産業別ごとに設定した基準を見定めながら傘下組合は共闘していた。私たち中央執行委員は主に中小労組に手分けして張りつき、「中小共闘会議」で決定した方針に従って連携をとりながら「オルグ」をするのである。

 注〔オルグ〕:組合や政党の組織拡充などのため本部から派遣されて、労働者・大衆の中で宣伝、勧誘活動を行うこと。また、その人。〔オルガナイザー〕。(『大辞泉』)

 ほぼすべての労働組合は、組合費の中の一部を「闘争資金」として積み立てている。大きな「ストライキ」をしていない大手労組には数億円の「闘争資金」が留保されている例も珍しくないが、「四国ドック」みたいな小規模組合の「闘争資金」は帳簿上の単なる勘定科目に過ぎなかった。「ストライキ」に突入すると、「スト」に参加した組合員の賃金は貰えない。潤沢な「闘争資金」を持つ組合なら、その資金を不払い賃金に当てるが、中小労組ではそうはいかない。減収を覚悟で「ストライキ」を実行するのである。

 「四国ドック労組」の組合事務所は、会社の傍にある6畳、4畳半に台所のついた「社宅」の一棟にあった。執行委員会もぶち抜き十畳ほどの畳の間で開く。「ストライキ」中でも労使交渉は行なわれるから、執行部は通常、夜8時頃まで組合事務所に詰めている。もちろん、大手組合と違って食事は自前である。暇つぶしにやっている囲碁、将棋、花札の勝負で、負けた者が金を出し合い、材料を買ってきて勝った者が調理を担当する。実に合理的な組合運営ではないか。

 これが「賭博行為」に当たるかどうか知らないが、もし警察に捕まるとすれば仲間だった私も同罪で捕まっていただろう。それにしても、油まみれの座布団に坐って、その日の食い扶持を賭け真剣に囲碁、将棋、花札に取り組んだ「四国ドック労組」のオルグが懐かしい。種子島出身の魁偉な人物佐々木喜三郎と音信が途絶えて久しいが、彼の豪快な笑い声が今も耳底に鮮やかに残っている。


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