耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“未病を治す”~伝統医療にあるもの~【東洋医学】考

2007-09-08 09:32:32 | Weblog
 東洋医学(以下「中医学」という)の「身体観」からみてみよう。

 <人体を各組織・臓器の集合体とみるのではなく、自然界の中に存在する一個の有機的統一体とみなす。宇宙・自然界の運行を有機的統一体としての「大宇宙」と捉えるのに対し、人間を「小宇宙」とみる。
 そのため、局所の機能や病症にはあまりこだわらず、総合的に人体の機能や症候をとらえ、さらに気候などの環境的因子が人体に与える影響にも注意をはらう。>

 中医学は、健康の本質を生体内部と生体外部環境との動的平衡にあると考え、この平衡が破れれば発病するという。つまり、あきらかに「心身一元論」(心身一如)である。

 “病気を治すのではなく病人を治す”
 “偏陰偏陽これを疾という” (『黄帝内経・素問』=中国最古の医学書)

 中医学を「体表医学」あるいは「農耕医学」「排泄医学」などという。「体表医学」とは、皮膚は心と体が「気」の流れを介して物質的な外界と接する独特な交渉の場であることを物語る。「気」は心理的であるとともに生理的な性質を示す生体に特有のエネルギーで、心と体の両方に関係している。「気」は意識の働きでも動くし、ハリなどの物理的刺激でも動く。このため中医学を「気の医学」ともいう。

 ちなみに「病は気から」というが、次は喜怒哀楽と「気」の関係を示す。

 ・怒れば → 気は上昇     ・悲しめば → 気は消える
 ・恐れれば → 気は下降    ・思わば → 気はかたまる
 ・喜べば → 気はゆるむ    ・憂えば → 気はちぢむ
 ・驚けば → 気は乱れる

 
 <已(い)病を治せず未病を治し、已乱を治せず未乱を治す…それ病既に成り、而して後これら治す。たとえば渇して井を穿し、闘いて錐を鋳するが如し。既に晩くならずや。> (『黄帝内経・素問』)

 “名医は未病を治し、凡医は既病を治す”という箴言があるが、中医学は「予防医学」と捉えることもできる。

 「予防医学」の一面を示すエピソードを記しておく。

 三千年余の昔、周の時代の医療関係者は4種に分けられていた。食医・疾医(内科医)・瘍医(外科医)・獣医で、最高位は食医だった。『周礼・天官』に“食医は王の六食・六飲・六膳を管理する”とあるように、皇帝の食事の管理が任務である。清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(宣統帝)の『回顧録』に、わずか3歳で即位した子どもの頃、いちばんつらかったのは、毎日おなかがすいて耐えられなかったことだと書かれている。それほど食の管理は厳しかった。「医食同源」「医は食にあり」という国らしい話である。


 さて、中医学の理論的根拠は『周易』にあるという。『周易と中医学』(楊力著/医道の日本社)で筆者は言う。

 <中医学は、「易を知らなければ、すぐれた医者とはいえない」「易は医の理を具(そな)え、医は易の用を得る」という格言が伝わる。中医学の思想体系および『内経』(注:『黄帝内経』のこと)中に多く取り入れられている『周易』の言葉や考え方は、中医学と『周易』の特殊な血縁関係を物語る。『周易』は中医学理論の淵源であり、中医学の基礎理論は『周易』に遡るといえる。中医学での陰陽五行説、蔵象学説、気化学説、運気学説、病機学説などは皆、『周易』に始まる。>

 
 1月30日の記事『易の世界』http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/m/200701でも若干ふれたが、「易理」はまことに奥深い。「二進法」の原理を『周易』から発見したライプニッツ(1646~1716)は、コンピュータ理論の“先駆者”といわれているが、八卦と二進法の対応は次の通りである。

・八卦   坤   艮   カン   巽   震  離  兌  乾
・二進法  000  001  010  011  100  101  110  111
・十進法   0   1   2   3   4   5   6   7
 二進法の0=陰 1=陽  (注:〔カン〕は土偏に欠)

 遺伝子DNAの「遺伝暗号表」と易の「六十四卦図」の類似については前にふれた。易と中医理論が『黄帝内経』ではどう示されているか、二、三例あげよう。

・“人の生じ形有り、陰陽を離れず”(「素問・宝命全形論」)
・“陰平(おさ)まり陽泌(ひそ)めば、精神すなわち治まる”(「素問・生気通天論」)
・“動復すれば静となり、陽極まれば陰に反す”(「素問・六元正紀大論」)

 陰=人体前面 ・ 皮毛、六腑 ・ 興奮、亢進 ・ 表証、実証、熱証
 陽=人体背面 ・ 筋骨、血、五臓 ・ 抑制、衰退 ・ 裏証、虚証、寒証

 「陰陽学説」はおよそ次のように説明される。

 <すべての事物の運動変化の現象および法則は、いずれも陰陽により総括できる。陰陽は自然界の根本的な法則で、あらゆる事物の生長と発展、変化と衰亡の根源である。人体の生・長・壮・老・死という生命の全過程も、生体の陽気と陰精との共同作用の結果である。
 古人は自然界と宇宙間とのすべての事物の発展変化は、錯綜し複雑であるにもかかわらず、その根源を究めてみれば、陰陽の相互対立、相互闘争の結果にほかならないことをすでに認識していた。つまり、陰陽はすべての事物の発生・発展の全過程を決定しており、陰陽の法則は宇宙、自然界における事物の運動変化の固有の法則である。>

 「陰陽」のわかりやすい「処方」の一例。(「お湯足す水でも漢方薬」)

 <沸騰した熱湯と冷たい水を混ぜ合わせたものを“陰陽水”という。急性食中毒で吐くほうが多い患者には、冷水よりも熱湯を多く混ぜ、下痢が多い患者には冷水を多く混ぜて与える。これを飲むとますます吐いたり、下痢をする。>


 さて、先日の記事中「“ホメオスターシス”の論理は“易”の理に類似している」と述べたが、その根拠を『繋辞上伝』にみてみよう。この書は『周易』を翼(たす)ける十篇の書物の一つだが、内容は「対立と統一の原理」「易の弁証法」「易の根元」「対立なければ運動なし」など、「易」の原理を解説する。ここで「道・器・変・通」としてこう述べている。

 <この故に形よりして上なるもの、これを道と謂い、形よりして下なるもの、これを器と謂い、化してこれを裁する、これを変と謂い、推してこれを行なう、これを通と謂い、挙げてこれを天下の民に錯(お)く、これを事業と謂う。…>
 
 [訳]:眼に見えぬ実在(形而上)が「道」、それが形となって表われた現象(形而下)が「器」である。現象が相互に作用してさまざまに変化することが「変」であり、変化することによって新たに発展することが「通」である。そして、この「通」の理によって民を導くこと、これが「事業」である。(『中国の思想 易経』/徳間書店)


 こうした「易理」から導かれた東洋医学(中医学)の健康観は【平秘陰陽】に要約される。
 【平秘陰陽】とは「陰と陽は常に変化し、常に運動しているからこそバランスを保つことができる。生命の本質とは、その運動にあるのであり、この運動がもっともダイナミックで高い調和を見せるのが、この陰陽が平秘(動態バランス)となった状態」をいう。

 キャノンがいう「動的平衡」こそ、この「平秘」にほかならない。こうみると洋の東西を問わず、人体の機序の把握に相違はなくなっているが、西洋医学における「狩猟の医学」としての側面はいまだに消えてはいない。一例を挙げてみよう。

 「風邪の食療法」
・西洋医学=抗生物質による治療が主流。ウイルスを殺すのが目的だが、他の細胞もとばっちりを受ける。栄養をつけさせる。
・東洋医学=大根のスープや生姜の煮たものを食べさせ、排泄を促進し、ウイルスを早く体外へ追い出すようにする。肉や卵は食べさせない。


 医学の進歩はめざましい。だが、進歩した医療がすべての人びとに公平に享受されているだろうか。地球上の大多数の人びとにとって、高度医療は無縁のものであろう。そればかりか、40年前になげかけたイリイチの現代医療への直言は、アメリカの医療費の4分の1は薬害などの「医原病」に費やされているという現状に生き続けている。

 これからの医療はどうあるべきか。この際、「代替医療」として世界中に存在する「伝統医療」にもっと目を向けるべきではなかろうか。