耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“出産難民”~何のための行政か

2007-09-04 16:43:07 | Weblog
 去る8月29日、奈良県橿原市の妊娠6ヶ月の女性が腹痛を訴え救急車を呼んだ。救急車は搬送先を探したが9病院から断られ、通報から1時間35分後に大阪高槻病院に搬送が決まり搬送途中に女性が破水、さらに不運にも破水後救急車が交通事故を起こし、別の救急車に乗り換えたあと救急車内で流産、病院に到着したのは3時間後だったという。

 丁度一年前の8月9日、奈良県大淀町大淀病院でも同じような事件があった。大淀病院に入院中の32歳の女性が容態急変後、搬送先探しに手間取り、大阪府内の転送先で男児を出産後、脳内出血のため亡くなったのだ。

 報道によると、こうした状況は奈良県に限った話ではなく、大都市圏を除く全国的な現象で、“出産難民”という言葉があるらしい。

 参考:「出産難民」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E7%94%A3%E9%9B%A3%E6%B0%91

 この現象を生んだそもそもの要因は、「医療崩壊」と呼ばれるわが国厚生労働行政のお粗末さにあるというのが大方の見方のようである。

 参考:「医療崩壊」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E5%B4%A9%E5%A3%8A

 2月11日の記事“女とはえらきものなり”(http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070211)で「お産」についてふれたが、その中に20年ほど前に書かれた吉村典子さんの記事「お産、その伝統にあるもの」(『思想の科学』№121.1989.10)を紹介した。吉村さんは言う。

 <産む人自身が、すっぽりと近代医学の幻想を棄てて出産の実態を認め、…伝統的な出産習俗に目を向け、その中から、その昔“お産の主体者として生んだ”産婦たちが、見つけ伝えた“産みやすさ”の知恵を、十分に吸収したい。>

 吉村さんが言わんとすることを実践している例があるので覗いてみてほしい。

 「にっぽんの助産婦の仕事」:http://www.web-reborn.com/nippon/nipponindex.html

 「出産難民」などと聞くたびに、「お産」を医師まかせにせず、どうしてもっと助産師を活用しないのだろうと不思議に思っていた。だが、事態はそう単純ではないらしい。千葉県衛生研究所の千葉恵子氏は「女性のための漢方」で述べている。

 <器質的疾患が解決されていく一方で、競争原理が突出してきた社会の中で精神的ストレスと、必要以上に効きすぎている職場の冷房など人工的な環境がもたらす女性の機能的疾患が加速度的に増加している。便利なようで、自分で調整できない不便な環境、大人から子どもにいたるまで心のゆとりを失い、気持ちが揺らぎ、「忙しい、忙しい」と言いながら、自分を見失い体調を崩しているのが現実である。>(『科学』2005年7月号/岩波書店)

 アメリカ発のグローバリゼーション、市場原理主義による「競争社会」が、<日本最古の医学書である『医心方』によれば「女の病は男に比して十倍治し難し」>(天野氏)という女性をめぐる職場環境の激変、労働基準法に定める最低基準の「女性保護」さえ無視する企業・経営者たち。「お産」はこんな社会環境の中で萎え果てていく。だが、天野恵子氏は注目すべきことを記している。

 <漢方医学では「心身一如」(心の変化は身体に現れ、身体の異常は心に影響する)や「随証治」(人それぞれの体質や抵抗性の違いより治療法を決める)が診療の基本である。これは、心身医学における「心身相関」(心と身体は常に関係をもちながら生命活動をする)と同意語で、漢方医学は心身医学と同じく、病気の人を全人的に捉えて治療を施す。…
 QOL(quality of life の略。生活の質がどの程度保たれているかを問題としている)からみて明らかに東洋医学に軍杯が上がる多くの病態があることに気づく。産婦人科分野では、従来より、漢方薬が効力をもつことが認識されており、…女性外来でも、生理にまつわる体調不良・更年期障害を主訴として受診する患者は多い。漢方の知識なしでは患者を助けることができないことを実感し、2002年12月より女性外来担当医のための漢方系統講義が開始され、多くの女性外来で漢方が使われ始めている。>

 西洋医学一辺倒のわが国医療に漢方処方が保険適用されてから30年が経った。その後、東洋医学が実態医療面でどれほど生かされ、普及したか、まことに覚束ない限りである。医療技術の進化は目覚しいばかりだが、ややもするとその技術に人びとは「神の手」を見る。しかし、伝染性疾患の撲滅には“薬”より“環境改善”の効果が大きいことは歴史的事実だし、東洋医学などの伝統療法を蘇生させることは「競争社会」との決別に一石を投じるのではないかと思う。

 天野恵子氏が東洋医学を見直し、その普及に努められていることは喜ばしい限りだが、こうした動きは首都圏および大都市に限られている。“出産難民”“医療崩壊”の現実は容赦なく国民を襲っているが、行政まかせにしていても始まらない。たとえば、先にあげた「にっぽんの助産婦の仕事」にある古老たちの声にもっと耳を傾けてみてはどうだろうか。