立花隆の「メディアソシオーポリティクス」2月21日号に「政権の命取りになるか 安部首相の健康問題」と題する記事がある。最近、安部首相が検査入院したことを取り上げ、「首筋に著しい老化現象がみられる」と指摘し、父方の家系が短命だから健康問題に要注意と言っている。
立花隆氏の記事は、彼なりに「科学的」裏づけがあってのことであろうが、一体、人の“寿命”を予測できるのだろうか。
年末になると、どこの本屋でも来年の『運勢暦』が山積みされている。それらのちょっと厚めの本なら巻末あたりに「人相の見方」、「手相の見方」が載っている。それは人の「吉凶」だけでなく「命を占う」ものでもあるが、わが国の人相、手相占いの元祖は、江戸中期の観相学の大家・〔水野南北〕といわれ、その著『現代訳・南北相法』では図解入りの詳しい観相がみられる。
「水野南北」:http://light.kakiko.com/sionta/MizuNH.htm
南北の相法は「血色気色流年法」といい、宿命論的なものではなく、神仏を崇敬し、終身努力すれば宿命は転換できると説いた。とくに、「食は命なり」として、食が運命を左右することを力説している。しかし、そうは言っても、ここにある「流年法」とは何歳で運気が尽きるか(死)を論じたもので、明らかに人の「命」が測られている。
私の手元に『中国算命術』(ホン・ピーモー、チァン・ユイチェン共著=東方書店・1992年刊)がある。「訳者あとがき」によれば、<本書最後の章に「算命術批判」の項をことさらに設けなければならないことも、今は過去の歴史観となった唯物史観による世界でも珍しい社会主義国、中国に生きる人々の現在の置かれた立場や研究態度をも如実に示すものであろう。…にもかかわらず、この『中国古代算命術』の書は多くの人々に歓迎され、競って買い求められて、幾たびか版を重ねている>という。台湾でも同じ状況らしい。読んで字の如く「算命」とは「寿命を測る」ことである。
著者によれば、「運命」の考え方の源流は夏・殷・周時代にさかのぼるといい、「中国の算命術は、おおむね漢代にその源があ」り、「唐代(618~907)に初めて確立を遂げた」とする。「算命術が生じてより後、人々は、婚姻縁組み・商売利殖・入試・就職、ないしは戦争・施政方針に対して、帝王貴族から一般民衆に至るまで、算命術の助けを求めて、吉凶の予測を図らない者はいない。千年余りこの方、この考えはますます盛んで絶えることなく、しかも激しさを増している」と書く。
ごく簡略に言えば、算命術は人の生年月日時を「十干十二支」(干支暦)でみて、これを「陰陽五行」説を手がかりに命運を読み解くものである。算命術は「四柱推命」(四柱とは年・月・日・時を指す)ともいい、わが国ではこちらが一般的で、どこの書店でも専門書が並んでいる。
わが国独自に神道、道教、仏教などの影響を受けて発展したのが「陰陽道」である。七世紀後半には陰陽師が現れ、八世紀はじめの律令制で陰陽寮が設置、組織化された。陰陽寮は配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成に当たらせた。陰陽道は占術と呪術をもって災異を回避する方法を示し、天皇や公家の私的生活に影響を与えた。陰陽師としては十世紀の安部晴明が有名である。この陰陽道も一種の「算命術」であろう。
「陰陽道」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E9%81%93
わが国でよく知られているのは、弘法大師空海が請来した占星術書『宿曜経』である。お経とはいえ、仏教の教理とは全く関係がなく古代インドの占星術書だという。空海のあと入唐した天台宗の円仁(『入唐求法巡礼行記』の著者)、空海の甥円珍もこの経を請来し、それぞれ高野山、比叡山、三井寺の三ヶ所で宿曜経による占いが行われ、平安時代中期にはそれまでの陰陽道に対抗する勢いだったらしい。
このほか「気学方位術」、「風水」などがあるが、いずれも人の吉凶を占うもので、その究極の目的が自らの運命を予測する、つまり「寿命を測る」ことに通じるものと言えるだろう。『中国算命術』の著者は<後記>で「天命観の上に建てられている迷信である算命術は、早晩徹底的に排除しなければならない」と書いているが、一方で「算命術を人民大衆の心の中から完全に拭い去ろうとするには、まだ明らかに時が早すぎる。遮ることは導くに及ばず、さらにいわんや、一種の文化現象や学術現象としても、おのずからその存在と作用を研究する必要がある」とも述べているが、この見解は妥当だろう。
近代科学は寿命をどうみるのだろう。周知のことだが、『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著/中公新書=1992年刊)が参考になろう。いろいろの哺乳類で体重と時間とを測ってみると、「時間は体重の四分の一に比例する」ことがわかった。話はここから始まるが詳細は省く。寿命を心臓の鼓動時間で割ってみると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は二十億回打つ計算になる。物理的時間で測れば、ネズミは数年しか生きないが、ゾウは百年近い寿命をもつ。しかし、もし心臓の拍動を時計(生理的時間)として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになる。
これは哺乳類の大小を比較したもので、人間個体それぞれの大小、寿命の長短を論じたものでないのはいうまでもない。だが、哺乳類の生理的時間の考え方は人間の「生き方(もしくは性格)」に敷衍して適応できないだろうか。人には「忙(せわ)しない人」と「のんびりした人」がいる。どちらが長生きだろう。座禅、ヨーガ、気功は、いずれも「調身・調息・調心」を眼目におき、これが生理作用として「心拍、血圧の低下」をもたらす。ストレスに晒された生活は逆に「心拍、血圧の亢進」という生理作用を招く。寂静の時間を生活に取り入れる人とそうでない人を比較して、果してどちらが長生きだろう。
水野南北は「食は命なり」と言ったが、これは普遍的、科学的に卓見と言えるだろう。立花隆氏も安部首相の健康を科学的見地から心配しているようだが、私に思い当たることは、安部首相の「話し言葉」である。彼の国会答弁などを聞いていると、「忙しない人」でしかも「気短な人」だというのがよく分かる。立花氏がいう「家系(つまり血族としての遺伝子)」以外に、こうした「人の属性」が寿命と関係があるかどうか、立花氏に聞いてみたいものである。
立花隆氏の記事は、彼なりに「科学的」裏づけがあってのことであろうが、一体、人の“寿命”を予測できるのだろうか。
年末になると、どこの本屋でも来年の『運勢暦』が山積みされている。それらのちょっと厚めの本なら巻末あたりに「人相の見方」、「手相の見方」が載っている。それは人の「吉凶」だけでなく「命を占う」ものでもあるが、わが国の人相、手相占いの元祖は、江戸中期の観相学の大家・〔水野南北〕といわれ、その著『現代訳・南北相法』では図解入りの詳しい観相がみられる。
「水野南北」:http://light.kakiko.com/sionta/MizuNH.htm
南北の相法は「血色気色流年法」といい、宿命論的なものではなく、神仏を崇敬し、終身努力すれば宿命は転換できると説いた。とくに、「食は命なり」として、食が運命を左右することを力説している。しかし、そうは言っても、ここにある「流年法」とは何歳で運気が尽きるか(死)を論じたもので、明らかに人の「命」が測られている。
私の手元に『中国算命術』(ホン・ピーモー、チァン・ユイチェン共著=東方書店・1992年刊)がある。「訳者あとがき」によれば、<本書最後の章に「算命術批判」の項をことさらに設けなければならないことも、今は過去の歴史観となった唯物史観による世界でも珍しい社会主義国、中国に生きる人々の現在の置かれた立場や研究態度をも如実に示すものであろう。…にもかかわらず、この『中国古代算命術』の書は多くの人々に歓迎され、競って買い求められて、幾たびか版を重ねている>という。台湾でも同じ状況らしい。読んで字の如く「算命」とは「寿命を測る」ことである。
著者によれば、「運命」の考え方の源流は夏・殷・周時代にさかのぼるといい、「中国の算命術は、おおむね漢代にその源があ」り、「唐代(618~907)に初めて確立を遂げた」とする。「算命術が生じてより後、人々は、婚姻縁組み・商売利殖・入試・就職、ないしは戦争・施政方針に対して、帝王貴族から一般民衆に至るまで、算命術の助けを求めて、吉凶の予測を図らない者はいない。千年余りこの方、この考えはますます盛んで絶えることなく、しかも激しさを増している」と書く。
ごく簡略に言えば、算命術は人の生年月日時を「十干十二支」(干支暦)でみて、これを「陰陽五行」説を手がかりに命運を読み解くものである。算命術は「四柱推命」(四柱とは年・月・日・時を指す)ともいい、わが国ではこちらが一般的で、どこの書店でも専門書が並んでいる。
わが国独自に神道、道教、仏教などの影響を受けて発展したのが「陰陽道」である。七世紀後半には陰陽師が現れ、八世紀はじめの律令制で陰陽寮が設置、組織化された。陰陽寮は配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成に当たらせた。陰陽道は占術と呪術をもって災異を回避する方法を示し、天皇や公家の私的生活に影響を与えた。陰陽師としては十世紀の安部晴明が有名である。この陰陽道も一種の「算命術」であろう。
「陰陽道」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E9%81%93
わが国でよく知られているのは、弘法大師空海が請来した占星術書『宿曜経』である。お経とはいえ、仏教の教理とは全く関係がなく古代インドの占星術書だという。空海のあと入唐した天台宗の円仁(『入唐求法巡礼行記』の著者)、空海の甥円珍もこの経を請来し、それぞれ高野山、比叡山、三井寺の三ヶ所で宿曜経による占いが行われ、平安時代中期にはそれまでの陰陽道に対抗する勢いだったらしい。
このほか「気学方位術」、「風水」などがあるが、いずれも人の吉凶を占うもので、その究極の目的が自らの運命を予測する、つまり「寿命を測る」ことに通じるものと言えるだろう。『中国算命術』の著者は<後記>で「天命観の上に建てられている迷信である算命術は、早晩徹底的に排除しなければならない」と書いているが、一方で「算命術を人民大衆の心の中から完全に拭い去ろうとするには、まだ明らかに時が早すぎる。遮ることは導くに及ばず、さらにいわんや、一種の文化現象や学術現象としても、おのずからその存在と作用を研究する必要がある」とも述べているが、この見解は妥当だろう。
近代科学は寿命をどうみるのだろう。周知のことだが、『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著/中公新書=1992年刊)が参考になろう。いろいろの哺乳類で体重と時間とを測ってみると、「時間は体重の四分の一に比例する」ことがわかった。話はここから始まるが詳細は省く。寿命を心臓の鼓動時間で割ってみると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は二十億回打つ計算になる。物理的時間で測れば、ネズミは数年しか生きないが、ゾウは百年近い寿命をもつ。しかし、もし心臓の拍動を時計(生理的時間)として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになる。
これは哺乳類の大小を比較したもので、人間個体それぞれの大小、寿命の長短を論じたものでないのはいうまでもない。だが、哺乳類の生理的時間の考え方は人間の「生き方(もしくは性格)」に敷衍して適応できないだろうか。人には「忙(せわ)しない人」と「のんびりした人」がいる。どちらが長生きだろう。座禅、ヨーガ、気功は、いずれも「調身・調息・調心」を眼目におき、これが生理作用として「心拍、血圧の低下」をもたらす。ストレスに晒された生活は逆に「心拍、血圧の亢進」という生理作用を招く。寂静の時間を生活に取り入れる人とそうでない人を比較して、果してどちらが長生きだろう。
水野南北は「食は命なり」と言ったが、これは普遍的、科学的に卓見と言えるだろう。立花隆氏も安部首相の健康を科学的見地から心配しているようだが、私に思い当たることは、安部首相の「話し言葉」である。彼の国会答弁などを聞いていると、「忙しない人」でしかも「気短な人」だというのがよく分かる。立花氏がいう「家系(つまり血族としての遺伝子)」以外に、こうした「人の属性」が寿命と関係があるかどうか、立花氏に聞いてみたいものである。