二十年ほど前、上海の<上海中医学院>を訪れたことがある。そこの歴史展示館には、古代の文物から中国医療の現状までを時の流れに沿って展示されており、興味深く見学した。展示館に付設して中医専門の医療器材や薬剤などを即売する一室があって、新しく考案された鍼灸器材や中医薬あるいは健康用品などが紹介されていた。その中に私は奇妙な物を発見した。〔薬の腹巻〕である。
古くから中国には〔衣冠療法〕というのがあるらしい。薬を体に〔佩(お)び〕て治療するのである。(〔衣冠療法〕をグーグルで検索すると中文の項目が列挙されている)薬を服用する、内服、頓服などの〔服〕は「着物もしくは着物を着る」意味であり、今日の〔服用〕が「飲む」に限定して使われるのは必ずしも正しいとは言えないようで、中国最古の地理学書『山海経』には、薬に関し「之を服する」と「之を食する」に分けている。
昔、赤ちゃんが生まれると、男の子には黄色い産着を、女の子には赤い産着を贈った。黄色は梔子(くちなし)の実で染めたもので、生まれて間もなく赤ちゃんに黄疸が出るので、黄疸に効く梔子が使われた。女の子の産着は紅花で染められ、紅花は婦人薬だからである。ちなみに大人の赤い腰巻も紅花染め。これらは明らかに薬を〔服〕する例である。
〔服〕する例には<膏薬>もある。香具師(やし)が売っていたアヤシゲな「万金膏ガマの油」もその一つ。私の少年期は太平洋戦争開戦前後だが、いつ眠っているのかと思うほど早朝から夜中まで働きづめだった母の手足の<皸(あかぎれ)>に、貝殻容器に入った黒い膏薬を、熱した火箸で取り出し患部に付ける、これが子供たちのせめてもの孝行だったことを思い出す。また、膝に水が溜まると、彼岸花の球根を下ろし金で摺って少量の小麦粉を加え、油紙などに延べて足の裏に貼り、貼った足には靴下を履いて寝る。これは今でも行われていると聞く。
貼るといえば、8年前、乖離性大動脈瘤を発症して入院した折、ニトログリセリンは舌下錠だとばかり思っていたら貼付薬があることをはじめて知った。薬剤の多くが〔服〕する薬になれば、〔食〕する薬に比べ副作用も少なくなるだろう。
勝田正泰著『気をめぐる冒険』(柏樹社)には、〔握薬〕のことが書いてある。
在京時、勝田先生の講習に参加したことがあるが、好奇心旺盛な先生に見受けられた。著書には江戸時代の堕胎法に〔握薬ノ方〕があったと紹介されている。「アロエを手に握っていると車酔いしない」「朝鮮人参を握っていると元気が出る」話などがあり、〔握薬〕も〔服〕する療法に入るだろう。この本には先生自身のさまざまな「握薬実験」が掲載されている。
上海中医学院でみかけた〔薬の腹巻〕は、新考案品ではなく伝統医療用品を改良したものだったと思われる。ひと頃、中国で評判だった<はだしの医者>の話も今では聞かないが、鍼灸・薬方・手技療法などとともに〔衣冠療法〕も中国医学の重要な柱の一つで、民衆の中に生き続けているのだろう。先人の知恵は大切にしたいものである。
古くから中国には〔衣冠療法〕というのがあるらしい。薬を体に〔佩(お)び〕て治療するのである。(〔衣冠療法〕をグーグルで検索すると中文の項目が列挙されている)薬を服用する、内服、頓服などの〔服〕は「着物もしくは着物を着る」意味であり、今日の〔服用〕が「飲む」に限定して使われるのは必ずしも正しいとは言えないようで、中国最古の地理学書『山海経』には、薬に関し「之を服する」と「之を食する」に分けている。
昔、赤ちゃんが生まれると、男の子には黄色い産着を、女の子には赤い産着を贈った。黄色は梔子(くちなし)の実で染めたもので、生まれて間もなく赤ちゃんに黄疸が出るので、黄疸に効く梔子が使われた。女の子の産着は紅花で染められ、紅花は婦人薬だからである。ちなみに大人の赤い腰巻も紅花染め。これらは明らかに薬を〔服〕する例である。
〔服〕する例には<膏薬>もある。香具師(やし)が売っていたアヤシゲな「万金膏ガマの油」もその一つ。私の少年期は太平洋戦争開戦前後だが、いつ眠っているのかと思うほど早朝から夜中まで働きづめだった母の手足の<皸(あかぎれ)>に、貝殻容器に入った黒い膏薬を、熱した火箸で取り出し患部に付ける、これが子供たちのせめてもの孝行だったことを思い出す。また、膝に水が溜まると、彼岸花の球根を下ろし金で摺って少量の小麦粉を加え、油紙などに延べて足の裏に貼り、貼った足には靴下を履いて寝る。これは今でも行われていると聞く。
貼るといえば、8年前、乖離性大動脈瘤を発症して入院した折、ニトログリセリンは舌下錠だとばかり思っていたら貼付薬があることをはじめて知った。薬剤の多くが〔服〕する薬になれば、〔食〕する薬に比べ副作用も少なくなるだろう。
勝田正泰著『気をめぐる冒険』(柏樹社)には、〔握薬〕のことが書いてある。
在京時、勝田先生の講習に参加したことがあるが、好奇心旺盛な先生に見受けられた。著書には江戸時代の堕胎法に〔握薬ノ方〕があったと紹介されている。「アロエを手に握っていると車酔いしない」「朝鮮人参を握っていると元気が出る」話などがあり、〔握薬〕も〔服〕する療法に入るだろう。この本には先生自身のさまざまな「握薬実験」が掲載されている。
上海中医学院でみかけた〔薬の腹巻〕は、新考案品ではなく伝統医療用品を改良したものだったと思われる。ひと頃、中国で評判だった<はだしの医者>の話も今では聞かないが、鍼灸・薬方・手技療法などとともに〔衣冠療法〕も中国医学の重要な柱の一つで、民衆の中に生き続けているのだろう。先人の知恵は大切にしたいものである。