耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

わたしは“君が代”を歌わない

2007-02-28 15:45:28 | Weblog
 入学式での“君が代”伴奏を拒否し、都教委から戒告処分を受けた女性教諭の訴えを最高裁は却下した。

 「教諭は、君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついており、伴奏したり、子どもに歌わせたりできないという思想をもっているが、伴奏を求める職務命令は教諭の歴史観を否定するものではない」と判断したのだ。四人の裁判官のなかで藤田宙靖(ときやす)裁判官(学者出身)だけが反対意見を出している。

 昨年9月21日、東京地裁は石原都教委による「日の丸」への起立強制と「君が代」斉唱強制が、憲法19条の思想・良心の自由に違反し、教育基本法10条1項の「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」にも違反すると判決した。今回の最高裁判決は、この当然の東京地裁判決に逆行する酷い判決と言うべきだろう。

 「日の丸」「君が代」問題の理解は、わが国の歴史をありのまま直視することから始まる。その手がかりとして次(あなたは「君が代」を歌いますか)を参照してほしい。

 http://www.okidentt.com/ichino/hinomaru.html
 
 私は、君=天皇である「君が代」を歌おうとは思わない。この陰陰滅滅たるメロディを好んで歌う者はよほどもの好きと言えるだろう。昨日の最高裁判決に対する談話を「毎日新聞」より引用しておく。

 <最低限の抵抗…>     
               成嶋隆・新潟大学大学院教授(憲法・教育法)

 伴奏の拒否は、君が代斉唱の強制に対する最低限の抵抗だ。多様な価値観が尊重されるなかで、子供の自由な人格形成を図りたいという教育者としての良心の発揮こそ「職務の公共性」に合致する。校長は、教諭の意思を知りながら職務命令で「踏み絵」を踏ませて懲戒処分にした。これほどの人権侵害を最高裁は追認したことになる。良心の自由の制約という重要な問題について、より緻密(ちみつ)な司法審査がされるべきだった。