必要があって、5年前の過去記事を読み直してみた。
ニューヨークに何度も行ったり、ハーレムに部屋を借りたりしていたころで、もうずいぶんと昔のことなのに、記事を読んでいると当時の記憶がありありとよみがえってくる。
紆余曲折があり、ニューヨークを離れたのが2006年の7月。
それから、数ヶ月の空白があり、いきなりチェンマイの記事になっている。
*
実は、タイに初めてやってきたのは、タクシン元首相が失脚した例の無血クーデターの真っ最中だった。
バンコクの王宮広場を戦車が走り回り、それが停まると人々がそれを取り囲んで兵士に花を贈り、一緒に記念撮影をしている様を見て、
「なんというバランス感覚なのだろう」
と驚嘆した覚えがある。
もちろん、バンコクにはタクシン氏に批判的な市民が多かったとはいえ、日本では考えられないような反応を示したタイの人々の大らかな「処世術」には、心底うならせられたものだ。
それから、4年。
いま、バンコクでは出口の見えない騒乱が続いている。
思えば、あの無血クーデターこそが今の騒乱の出発点だったわけだ。
いかに不正があったとしても、タクシン政権は選挙で選ばれた政権だったのだから、それを軍事力でひっくり返すというところには、かなりの無理がある。
それでも、タクシン元首相が国外に逃れたあともタクシン派は政権を維持してきたのだけれど、じわじわと外堀を埋められ、ついには裁判所の解党命令を受けて、いわば“談合”による現政権が生まれた、というのが私が理解しているこれまでの流れである。
だから、“赤シャツ”と呼ばれるタクシン支持派の無念もよく分かるし、かつて「タクシン善政」の恩恵を受けたオムコイで2年半暮らした体験から、タクシン元首相の復帰を望む北部や東北部における貧困層の願いも素直にうなづけるのだ。
しかし、首都バンコクの中心部が占拠され続け、多数の死者や負傷者が出る、なおかつ日常の暮らしや経済活動、医療活動にも深刻な影響を及ぼすという事態は、やはり尋常ではない。
あの無血クーデターの際に感じた“バランス感覚”は、いったいどこへ行ったのだろう。
*
「ソンクラーンの水掛で何かが水に流され、風向きが変わるかもしれない」
そんな能天気な予測と期待が粉々に打ち砕かれたいま、バンコクから遠く離れたチェンマイにいてできることは
「バランス感覚、バランス感覚」
と呟きながら、あるかなきかの念力を送ることだけである。
そして、もう二度と流血の事態だけは起きないようにと願うばかりだ。
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ニューヨークに何度も行ったり、ハーレムに部屋を借りたりしていたころで、もうずいぶんと昔のことなのに、記事を読んでいると当時の記憶がありありとよみがえってくる。
紆余曲折があり、ニューヨークを離れたのが2006年の7月。
それから、数ヶ月の空白があり、いきなりチェンマイの記事になっている。
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実は、タイに初めてやってきたのは、タクシン元首相が失脚した例の無血クーデターの真っ最中だった。
バンコクの王宮広場を戦車が走り回り、それが停まると人々がそれを取り囲んで兵士に花を贈り、一緒に記念撮影をしている様を見て、
「なんというバランス感覚なのだろう」
と驚嘆した覚えがある。
もちろん、バンコクにはタクシン氏に批判的な市民が多かったとはいえ、日本では考えられないような反応を示したタイの人々の大らかな「処世術」には、心底うならせられたものだ。
それから、4年。
いま、バンコクでは出口の見えない騒乱が続いている。
思えば、あの無血クーデターこそが今の騒乱の出発点だったわけだ。
いかに不正があったとしても、タクシン政権は選挙で選ばれた政権だったのだから、それを軍事力でひっくり返すというところには、かなりの無理がある。
それでも、タクシン元首相が国外に逃れたあともタクシン派は政権を維持してきたのだけれど、じわじわと外堀を埋められ、ついには裁判所の解党命令を受けて、いわば“談合”による現政権が生まれた、というのが私が理解しているこれまでの流れである。
だから、“赤シャツ”と呼ばれるタクシン支持派の無念もよく分かるし、かつて「タクシン善政」の恩恵を受けたオムコイで2年半暮らした体験から、タクシン元首相の復帰を望む北部や東北部における貧困層の願いも素直にうなづけるのだ。
しかし、首都バンコクの中心部が占拠され続け、多数の死者や負傷者が出る、なおかつ日常の暮らしや経済活動、医療活動にも深刻な影響を及ぼすという事態は、やはり尋常ではない。
あの無血クーデターの際に感じた“バランス感覚”は、いったいどこへ行ったのだろう。
*
「ソンクラーンの水掛で何かが水に流され、風向きが変わるかもしれない」
そんな能天気な予測と期待が粉々に打ち砕かれたいま、バンコクから遠く離れたチェンマイにいてできることは
「バランス感覚、バランス感覚」
と呟きながら、あるかなきかの念力を送ることだけである。
そして、もう二度と流血の事態だけは起きないようにと願うばかりだ。
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同業者でいらっしゃいましたか。ベランダの蘭は、もう咲きましたか?文筆のこと、頭では分かっていてもこちらが一日中パソコンに向かっていると、「構ってくれない」という気持ちになるようですね。コメントをいただいて、今朝はついふらふらと電話をかけてしまいました。
あのクーデターの発生時刻に私はバンコクを飛び立っていました。
発生を知ったのは日本に到着してから。
空港から家内に電話したら、「大丈夫だった?」と聞かれ、「へっ?何が?」で知りました。
クーデターの際に、行きと帰りが交錯していたとは驚きました。それにしても、あれから4年。長い長い軋轢です。
(床屋が120バーツ!髪の切り方も違うのでしょうか?)
どうなんでしょうか?
カットして2回頭洗って乾かして、仕上げにちょっと鋏入れてくれます。