祈るような思いでニューヨークに電話をかけると、Judyの弾んだ声が耳に飛び込んできた。
「Kiyoshi!調子はどう?まだ、日本にいるんですって?電話をかけたいと思ったけれど、裁判書類作りのどさくさでアドレスメモを失くしちゃったの。ごめんね」
書類や郵送物がびっしりと詰まった紙袋の重みを思い出す。
“これは私のオフィスだから、絶対にいじっちゃ駄目だよ。それに、あんまり愉快な話じゃないし・・・。あなたには、ニューヨークをエンジョイしてほしいの”
俺の手助けを拒む毅然としたワルキューレ(女性騎士)の眼差しと共に。
「電話してくれて、ありがとう。今日はアパートに誰もいないから、思い切り話せる。嬉しいな」
ニューヨークも、やけに熱いらしい。
今夜は、ニューヨークヤンキースとメッツによる「メトロシリーズ」。
メッツの拠点、シェイスタジアムで行われるダライ・ラマに関する講演会に出かけようと思ったのだけれど、激しい雨に振り込められて、アパートで書類作りをしていたのだという。
「私の複雑な人生と裁判について説明するのは、とても難しい」
それが彼女の口癖で、
「いや、人生なんてきわめてシンプルだ。Love & Peace & Death」
という俺の滅茶苦茶な主張とがいつもぶつかり合ってしまうのだが、今日のJudyは初めて聞く新事実も含めていろんな話をしてくれた。
だが、裁判についての話題では理解不能な単語や言い回しが多く、俺の英語力では話についていけない。
問い返せば、必ず言葉を換えて説明してくれるのだが、若い頃の勉強不足が嫌というほど突きつけられてしまう。
「Judy、細部まではよく理解できないけれど、ともかくキミはピンクベルトのファイターだ。マジソンスクエアガーデンで観た世界ヘビー級選手権みたいに、必ず相手をノックアウトするんだぞ。今度ニューヨークに行ったら、ラッセル・クロウの“シンデレラ・マン”を一緒に観て、攻め方を研究しよう」
“お勧めはニューチャンプが放った掟破りのスーパー・ロウ・ブロウだ”
そう付け加えると、Judyがさも愉快そうに笑った。
「Judy、キミは血の匂いが好きか?」
「Yes!だって、私はファイターだもの。完璧にノックアウトしてみせる!」
「オーーケイ!Kill and eat!」
失いかけた何かを確かめ合うように、お気に入りのジョークを交わし合う。
「Judy、今度会ったらキミのフルート演奏も聴きたいな」
「オーーケイ!あ、そういえばハーモニカは吹いてる?」
「あ、すっかり忘れてた!」
ノンストップのダンス・ミュージカル「ムービングアウト」がはねたあと、二人で行ったコロニー(CDショップ)で俺は手の平にすっぽりと収まるブルースハープを購ったのだった。
プロ奏者のスタッフに教わりながら店先で数分間練習すると、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が気分よく吹けるようになった。
練習に熱中する俺の背後で、モンキーズファンの長髪親爺が「キミたちは結婚してるの?」とJudyに尋ねている。
「It's dream」
心地よく響いたJudyの声を胸の奥底に沈めながら、なぜか俺は振り向きもせずハーモニカを吹き続けた。
「It's dream」
俺はなぜ、あのとき、後ろを振り向きJudyに駆け寄ることができなかったのだろう?
「Judy、ハーモニカのことはすっかり忘れていたよ」
「失くしたの?」
「いや、旅行バッグのどこかにあると思うけど、まだ何も整理していないんだ。俺は、駄目だ。キミの助けがないと何もできない」
Judyと出会った当初、俺は睡眠薬なしでは眠れない日々を送っていた。
薬の力を借りて数時間眠っても常に朦朧とした状態で、金、時計、名刺入れ、ジータの背番号入りユニフォームなどを続けざまに失くしていた。
そんな俺の行状を心配して、Judyは貴重品袋を用意してくれたのだが、にもかかわらず俺は笊のようにあらゆるものを至る所で失い続けたのだった。
しまいには、大切なJudyまでも・・・。
「Judy、俺は明日にでもニューヨークに飛んで戻りたいよ」
「オーーケイ、Kiyoshi!でも、あなたには日本と中国でやるべきことがたくさんあるはずよ。まずは、そのプロジェクトを片付けなくちゃ。それに、中国にはあなたを待ってる人たちがたくさんいる。そうでしょ?」
口ごもっていると、「Yes?」と語尾を上げて同意を求める。
それが、彼女の流儀だ。
まったく、どちらが年上で、どちらが心の病を抱えているのか、分かりゃあしない。
「Yes!Manma mia!」
それにしても、キミは強い。
本当に、強いなあ。
そうひとりごちると、
「I must be strong. I must・・・must」
Judyが何度も“must”を強調する。
“勝つためには、強くあり続けなければならない”
さもありなん。
俺は、Judyがめそめそする姿を一度も見たことがない。
父を、母を、そして後見人の叔父を続けざまに失い、さらには信じていた弁護士に莫大な金とアパートを奪われ・・・。
天涯孤独の身でありながら、果敢に闘い続けるワルキューレ。
「オーーケイ、Judy! I will try. I must be strong like you・・・Remember I love you」
「オーーケイ、Kiyoshi!I love you too」
・・・それじゃあ、電話代が大変だから、そろそろ受話器をおくね。お金は節約しなくちゃ、駄目だよ。
今日のところは、バイバイ、バイ・・・ほら、電話を切って、バイバイ、バイ・・・
何てこったい。
オー、マイ・ダライ・ラマ!
Manma mia!
「Kiyoshi!調子はどう?まだ、日本にいるんですって?電話をかけたいと思ったけれど、裁判書類作りのどさくさでアドレスメモを失くしちゃったの。ごめんね」
書類や郵送物がびっしりと詰まった紙袋の重みを思い出す。
“これは私のオフィスだから、絶対にいじっちゃ駄目だよ。それに、あんまり愉快な話じゃないし・・・。あなたには、ニューヨークをエンジョイしてほしいの”
俺の手助けを拒む毅然としたワルキューレ(女性騎士)の眼差しと共に。
「電話してくれて、ありがとう。今日はアパートに誰もいないから、思い切り話せる。嬉しいな」
ニューヨークも、やけに熱いらしい。
今夜は、ニューヨークヤンキースとメッツによる「メトロシリーズ」。
メッツの拠点、シェイスタジアムで行われるダライ・ラマに関する講演会に出かけようと思ったのだけれど、激しい雨に振り込められて、アパートで書類作りをしていたのだという。
「私の複雑な人生と裁判について説明するのは、とても難しい」
それが彼女の口癖で、
「いや、人生なんてきわめてシンプルだ。Love & Peace & Death」
という俺の滅茶苦茶な主張とがいつもぶつかり合ってしまうのだが、今日のJudyは初めて聞く新事実も含めていろんな話をしてくれた。
だが、裁判についての話題では理解不能な単語や言い回しが多く、俺の英語力では話についていけない。
問い返せば、必ず言葉を換えて説明してくれるのだが、若い頃の勉強不足が嫌というほど突きつけられてしまう。
「Judy、細部まではよく理解できないけれど、ともかくキミはピンクベルトのファイターだ。マジソンスクエアガーデンで観た世界ヘビー級選手権みたいに、必ず相手をノックアウトするんだぞ。今度ニューヨークに行ったら、ラッセル・クロウの“シンデレラ・マン”を一緒に観て、攻め方を研究しよう」
“お勧めはニューチャンプが放った掟破りのスーパー・ロウ・ブロウだ”
そう付け加えると、Judyがさも愉快そうに笑った。
「Judy、キミは血の匂いが好きか?」
「Yes!だって、私はファイターだもの。完璧にノックアウトしてみせる!」
「オーーケイ!Kill and eat!」
失いかけた何かを確かめ合うように、お気に入りのジョークを交わし合う。
「Judy、今度会ったらキミのフルート演奏も聴きたいな」
「オーーケイ!あ、そういえばハーモニカは吹いてる?」
「あ、すっかり忘れてた!」
ノンストップのダンス・ミュージカル「ムービングアウト」がはねたあと、二人で行ったコロニー(CDショップ)で俺は手の平にすっぽりと収まるブルースハープを購ったのだった。
プロ奏者のスタッフに教わりながら店先で数分間練習すると、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が気分よく吹けるようになった。
練習に熱中する俺の背後で、モンキーズファンの長髪親爺が「キミたちは結婚してるの?」とJudyに尋ねている。
「It's dream」
心地よく響いたJudyの声を胸の奥底に沈めながら、なぜか俺は振り向きもせずハーモニカを吹き続けた。
「It's dream」
俺はなぜ、あのとき、後ろを振り向きJudyに駆け寄ることができなかったのだろう?
「Judy、ハーモニカのことはすっかり忘れていたよ」
「失くしたの?」
「いや、旅行バッグのどこかにあると思うけど、まだ何も整理していないんだ。俺は、駄目だ。キミの助けがないと何もできない」
Judyと出会った当初、俺は睡眠薬なしでは眠れない日々を送っていた。
薬の力を借りて数時間眠っても常に朦朧とした状態で、金、時計、名刺入れ、ジータの背番号入りユニフォームなどを続けざまに失くしていた。
そんな俺の行状を心配して、Judyは貴重品袋を用意してくれたのだが、にもかかわらず俺は笊のようにあらゆるものを至る所で失い続けたのだった。
しまいには、大切なJudyまでも・・・。
「Judy、俺は明日にでもニューヨークに飛んで戻りたいよ」
「オーーケイ、Kiyoshi!でも、あなたには日本と中国でやるべきことがたくさんあるはずよ。まずは、そのプロジェクトを片付けなくちゃ。それに、中国にはあなたを待ってる人たちがたくさんいる。そうでしょ?」
口ごもっていると、「Yes?」と語尾を上げて同意を求める。
それが、彼女の流儀だ。
まったく、どちらが年上で、どちらが心の病を抱えているのか、分かりゃあしない。
「Yes!Manma mia!」
それにしても、キミは強い。
本当に、強いなあ。
そうひとりごちると、
「I must be strong. I must・・・must」
Judyが何度も“must”を強調する。
“勝つためには、強くあり続けなければならない”
さもありなん。
俺は、Judyがめそめそする姿を一度も見たことがない。
父を、母を、そして後見人の叔父を続けざまに失い、さらには信じていた弁護士に莫大な金とアパートを奪われ・・・。
天涯孤独の身でありながら、果敢に闘い続けるワルキューレ。
「オーーケイ、Judy! I will try. I must be strong like you・・・Remember I love you」
「オーーケイ、Kiyoshi!I love you too」
・・・それじゃあ、電話代が大変だから、そろそろ受話器をおくね。お金は節約しなくちゃ、駄目だよ。
今日のところは、バイバイ、バイ・・・ほら、電話を切って、バイバイ、バイ・・・
何てこったい。
オー、マイ・ダライ・ラマ!
Manma mia!