【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【唯だ、行かん哉】

2005年06月25日 | 紫陽花の季節に
 言葉が、湧いてこない。

 人に会い、友人・知人に電話をかける。

 ご無沙汰していた中国の留学生たちと、近況を語り合う。

 そんな「日本での日常」が回復するにつれ、漂泊への思いは募るばかりである。

 だが皮肉なことに、新たなる家郷・麗江とニューヨークとの狭間に落ち込み、旅のスタンスが決まらない。

 そんな自らを鼓舞せんと、20歳の頃に耽溺した先達の書を読み返す。

         *
 “ただ行かんがために行かんとするものこそ、真個(まこと)の旅人なれ。

 心は気球の如くに軽く、身は悪運の手より逃れ得ず、如何なる故とも知らずして常に唯だ、

 行かん哉、行かん哉と叫ぶ。”
          *

 若き永井荷風が『あめりか物語』の巻頭に掲げたボードレールの詩編である。

 明治36年の秋、太平洋を渡りシアトルに上陸した荷風の旅は、大陸を横切りニューヨークを経て、パリへと至った。

 その結実が、『あめりか物語』『ふらんす物語』の海外2連作である。

 ニューヨークで出会ったJudyがかつてフランス語を学び、パリに旅したことを知ったとき、俺はその不思議な符号に心打たれた。

 残念ながら、Judyと共にパリを訪れるという計画は頓挫したが、ニューヨークでの荷風の暮らしぶりを読み返すと、居ても立ってもいられぬ焦燥感に足元があぶられるのだ。

 思い惑うことなかれ。

 ただ、行かんがために行かん・・・。

 重く淀んだしがらみを放り捨て、心を気球のごとく軽くして。

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【狂龍の舞い、再び】 | トップ | 【I must be strong】 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

紫陽花の季節に」カテゴリの最新記事