言葉が、湧いてこない。
人に会い、友人・知人に電話をかける。
ご無沙汰していた中国の留学生たちと、近況を語り合う。
そんな「日本での日常」が回復するにつれ、漂泊への思いは募るばかりである。
だが皮肉なことに、新たなる家郷・麗江とニューヨークとの狭間に落ち込み、旅のスタンスが決まらない。
そんな自らを鼓舞せんと、20歳の頃に耽溺した先達の書を読み返す。
*
“ただ行かんがために行かんとするものこそ、真個(まこと)の旅人なれ。
心は気球の如くに軽く、身は悪運の手より逃れ得ず、如何なる故とも知らずして常に唯だ、
行かん哉、行かん哉と叫ぶ。”
*
若き永井荷風が『あめりか物語』の巻頭に掲げたボードレールの詩編である。
明治36年の秋、太平洋を渡りシアトルに上陸した荷風の旅は、大陸を横切りニューヨークを経て、パリへと至った。
その結実が、『あめりか物語』『ふらんす物語』の海外2連作である。
ニューヨークで出会ったJudyがかつてフランス語を学び、パリに旅したことを知ったとき、俺はその不思議な符号に心打たれた。
残念ながら、Judyと共にパリを訪れるという計画は頓挫したが、ニューヨークでの荷風の暮らしぶりを読み返すと、居ても立ってもいられぬ焦燥感に足元があぶられるのだ。
思い惑うことなかれ。
ただ、行かんがために行かん・・・。
重く淀んだしがらみを放り捨て、心を気球のごとく軽くして。
人に会い、友人・知人に電話をかける。
ご無沙汰していた中国の留学生たちと、近況を語り合う。
そんな「日本での日常」が回復するにつれ、漂泊への思いは募るばかりである。
だが皮肉なことに、新たなる家郷・麗江とニューヨークとの狭間に落ち込み、旅のスタンスが決まらない。
そんな自らを鼓舞せんと、20歳の頃に耽溺した先達の書を読み返す。
*
“ただ行かんがために行かんとするものこそ、真個(まこと)の旅人なれ。
心は気球の如くに軽く、身は悪運の手より逃れ得ず、如何なる故とも知らずして常に唯だ、
行かん哉、行かん哉と叫ぶ。”
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若き永井荷風が『あめりか物語』の巻頭に掲げたボードレールの詩編である。
明治36年の秋、太平洋を渡りシアトルに上陸した荷風の旅は、大陸を横切りニューヨークを経て、パリへと至った。
その結実が、『あめりか物語』『ふらんす物語』の海外2連作である。
ニューヨークで出会ったJudyがかつてフランス語を学び、パリに旅したことを知ったとき、俺はその不思議な符号に心打たれた。
残念ながら、Judyと共にパリを訪れるという計画は頓挫したが、ニューヨークでの荷風の暮らしぶりを読み返すと、居ても立ってもいられぬ焦燥感に足元があぶられるのだ。
思い惑うことなかれ。
ただ、行かんがために行かん・・・。
重く淀んだしがらみを放り捨て、心を気球のごとく軽くして。