【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【狂龍の舞い、再び】

2005年06月19日 | 紫陽花の季節に
 昨夜は、5時間弱眠った。

 早朝のうっとおしい曇天を仰ぎながら、ふと帰国後の不調の原因が“酸欠”にあったことに気づく。

 気鋭の作家・岸本志帆が指摘してくれたように(6月4日weblog参照)、俺は高速回遊魚・鰹のように決して泳ぎ回ることをやめてはならないのだった。

 さもなくば、高速用に特化した鰓から酸素を取り込むことができなくなり、息絶えてしまう。

 遠心力を失った独楽のように、バタリと倒れてしまうのである。

 想定外だったJudyとの出会いで急浮上してきたニューヨークと、新たなる家郷・麗江との距離感にたじろいでいたのかもしれない。

 2ヶ月という時間は、やはり長い。

 4月初旬に描いていたビジョンの一角が崩れ、俺は仕切り直しを迫られている。

 コミュニケーションに不自由はしていなかったはずの中国語も、かなり忘れてしまった。

 半端な英語と半端な中国語のままで、俺は果たして中国とニューヨーク間を高速回遊できるのだろうか。

 マンハッタンで知り合った仲間たちに触発されて、俺の視野には麗江に近接するチベット、ビルマ、ラオス、ヴェトナム、バングラデシュなど東南アジア諸国の“いま”も入ってきた。

 なに、たじろぐことはない。

 麗江を起点に、地球を逆回りすればいいだけの話だ。

 何の後ろ盾も無い老いたる“狂龍”として。

 鰹ほどのスピードはないが、まだまだのたうち暴れ狂うだけのエネルギーはある。

 なりふり構わぬ孤高の“龍頭”として中国経済を引っ張り続ける上海のように、力尽きるまで昇りつめるだけだ。

 インドをまたぎ、中東を超え、ヨーロッパ、アフリカを眼下にニューヨークに辿り着く頃には、3年後のオリンピックを目標に上海を追いかける北京のごとく、心強い“後追い龍”も育ってくることだろう。

 願わくば、ハドソン河に着水するまではなんとか生き延びて、Judyの胸に抱かれながらベートーヴェンの「第7」を聴きつつ永遠の眠りに就きたいものだ。

 さもなくば、最後の力を振り絞って麗江に取って返し、玉龍雪山からの雪解け水が暴れ逆巻く“虎跳峡hutiaoxia”に躍り込み、きれいさっぱりと金紗江および揚子江の蟹の餌となり果てよう。

 はて、さて。

 たるんだ蛇腹を引き締めて、再びの“狂龍舞い”に備えるときが来た。

 再見!

 
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