2017.8.23(水)~28(月)
野幌運動公園で北海道ベテラン JOPグレードC 75才シングルス32ドロー、なんとかシードを守り優勝。札幌の宿がとれず岩見沢に泊まり、開拓の村を見て帰る。
70回の歴史あるテニス大会 コート周辺に咲き遅れたハマナス
野幌森林公園の自然あふれる森に囲まれたオムニコート18面
野幌運動公園は、初秋の気配が漂い、早朝の気温15℃
岩見沢
1878年明治11年、開拓使が道路開削の際、官営休泊所が岩見沢に設置され、函館本線、室蘭本線、幌内線、万字線が通る鉄道の町
モダンな新複合駅舎 2009.3 完成 ホームにある木製「ばんば像」
石炭で栄えた道内の基幹都市岩見沢、夕張炭鉱事故がターニングポイント 岩見沢レールセンター(旧・北海道炭礦汽船鉄道岩見沢工場)
岩見沢付近の車窓から広大な地が望める 早朝の岩見沢駅から、虹が見えた
野幌森林公園
野幌とはアイヌ語の「ヌプポロ」大いなる平野が語源と言われている。明治4年伊達支藩から24戸が対雁(ツイイシカリ)に入植した
野幌の原生林に聳える「北海道百年記念塔」昭和43年(1971)公開 高さ100m鉄骨構造で表面が赤さびて、老朽化で立ち入り禁止
昭和53年(1978)開設 「北海道開拓村」 明治から昭和初期の建物が移築、復元した野外博物館
開拓の村 案内板 村内を走る馬車鉄道
有島武郎の住宅 明治37年(1904)
大正8年(1919) にしん御殿 青山家住宅 出稼ぎ漁師の番屋 一人一畳
大正期後半 伐木・造材飯場 40人ほどが生活。漁師に比べ粗末な飯場
明治36年(1903) 旧札幌農学校 寄宿舎 「都ぞ弥生」の寮歌 机を備え広々とした4人部屋
屯田兵家明治28年(1895)4.5畳と6畳の2間と台所、土間で18坪 開墾、農具、台所用具、夜具など官給 奥の間に銃が置かれ北の守備に就く
★久しぶりの野幌、草木のなびきで風が見える、さわやかに過ぎて行く風に心が癒される。
★試合を終え帰るつもりが、日曜と札幌マラソンが重なり航空券がとれないと聞き、宿をのばし開拓村を見学して空港に着くが(月曜13時)空席なし、やむなく新幹線で深夜に帰る。
★夏の北海道は、中国の旅行者が多く、宿、飛行機など事前予約が必要、今までのように安易に使えない。
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