確か1週間ほど前に、中居さんが司会を務める某番組に長嶋一茂さんが出演されているのを見た。
長嶋一茂さんと言えば、長嶋茂雄さんの長男で立教大学で活躍し、当然プロでも活躍すると期待が大きかったが、それを実現できずにプロ野球からは身をひき、タレントとして活躍されている。
一茂さんは期待の大きさとそれを実現できない状況から一時期パニック障害になられたそうである。
番組でそのときどう言われたのかは、はっきり覚えていないが、一時期「もう一人の自分」が出てきたということをおっしゃっていた。
私の想像では、それは、「強くならねばという理性的な努力する強い自分」と対局にいる「弱くても仕方がないという少しきつく言うなら甘えや堕落を許す弱い自分」ではなかったかと思う。
普通ほとんどの人の心にはそうした「2つの自分」が共存しているのではないかと思う。
そして、普段は、「強い自分」が「弱い自分」に打ち克っているのだが、時々その力が逆転することがあるということなのではないかと思う。
さて、今、「打ち克つ」と書いたが、この「克つ」という漢字には、「己に克つ」という意味が込められている。
それは、他の人に「勝つ」のとは違って、チームプレーで勝つのではなく、「弱い自分」との孤独な戦いなのだ。
(なお、私のブログの2015.1.18の記事にその時に気持ちが書いてあるので、よろしければご覧ください。)
「克己心」という言葉がそのことの重要性を示している。
ただ、「弱い自分」に負けることも必要な時もあると思う。
PS
最近、セクハラやら不倫とかのニュースが多いですが、「弱い自分」に負けた。(自分をコントロールできない。この場合は「自制心」の方が良いかな?)結果ではないでしょうか?
長嶋一茂さんと言えば、長嶋茂雄さんの長男で立教大学で活躍し、当然プロでも活躍すると期待が大きかったが、それを実現できずにプロ野球からは身をひき、タレントとして活躍されている。
一茂さんは期待の大きさとそれを実現できない状況から一時期パニック障害になられたそうである。
番組でそのときどう言われたのかは、はっきり覚えていないが、一時期「もう一人の自分」が出てきたということをおっしゃっていた。
私の想像では、それは、「強くならねばという理性的な努力する強い自分」と対局にいる「弱くても仕方がないという少しきつく言うなら甘えや堕落を許す弱い自分」ではなかったかと思う。
普通ほとんどの人の心にはそうした「2つの自分」が共存しているのではないかと思う。
そして、普段は、「強い自分」が「弱い自分」に打ち克っているのだが、時々その力が逆転することがあるということなのではないかと思う。
さて、今、「打ち克つ」と書いたが、この「克つ」という漢字には、「己に克つ」という意味が込められている。
それは、他の人に「勝つ」のとは違って、チームプレーで勝つのではなく、「弱い自分」との孤独な戦いなのだ。
(なお、私のブログの2015.1.18の記事にその時に気持ちが書いてあるので、よろしければご覧ください。)
「克己心」という言葉がそのことの重要性を示している。
ただ、「弱い自分」に負けることも必要な時もあると思う。
PS
最近、セクハラやら不倫とかのニュースが多いですが、「弱い自分」に負けた。(自分をコントロールできない。この場合は「自制心」の方が良いかな?)結果ではないでしょうか?