徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

西行、長明、兼好(墓の場所も含めて)について

2016-01-27 16:37:46 | 学問
昨日I市の公民館の講座を聞きに行った。
タイトルは「隠者文学の世界~西行・長明・兼好~」である。
その話の中で、私の心に残ったところだけ、書き留めておく。

0 中世について
  中世とは平安末期から鎌倉初めをスタートする時代。
  今までの貴族が没落し、武士が台頭する激動の時代。
  民俗学者 折口信夫によると中世は「隠者の時代」。無常観が強い。
  
1 西行(1118~1190)
・平清盛が産まれた年に産まれ、最初は武士だったが、23歳で出家。
・出家後は都から近いところに住んだ。
・69歳の時に、東大寺の大仏を再建するために岩手の平泉へ行き、砂金をくれるように依頼。
・「願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの望月の頃
 という解釈は、「できれば(お釈迦様がなくなられた)2月15日に桜の下で死にたい」とのことだが、
 花は世俗の象徴。月は悟りの象徴。両方を同時に手に入れたいという気持ちらしい。

2 鴨長明(1155~1216)

・上賀茂とか下鴨とかの鴨神社の神官として産まれ、宮司になりたかったが、なれなくて50歳で出家して大原へ。
・大原で狭い方丈の庵で生活し、名文を残すことを夢見る。
・完成したのがあの有名な「方丈記」
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし」で始まるこの名文。
「○○記」というのは、ちゃんとしたまとまりのあるもので、随筆とは違う。師匠と仰ぐ慶滋保胤の「池亭記」を参考にしている。
・最後に近いところで「隠居の身をあわれんでいるが、魚も鳥も喜んでいる。住まないで誰がわかろうか」と書いているが、ここで、この話が終わったのではあれほどの名文とは言えない。
・最後に、そのように書いた自分(まだ、執着しているということ)がイヤになったことを書いているのが素晴らしい。

3 吉田兼好(1283?~1362?)

・卜部家の神官の子供。はっきりしたことはわからない人。
・ある程度出世するが、31歳で出家。京都、関東、伊勢などへ赴く。
・「徒然草」には主張の矛盾が見られる。
 しかし、兼好のすごい所は、「今まで都には無常がくるが、山奥には来ないと言われていたが、どちらにも来ることを明らかにした」(第137段)
・第40段で栗ばかり食べる女の人をなぜ書いたのかは、そうした人は「自由な精神」を持っているとして肯定したから。
・第93段にこう書いてある。
生ける間 生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず」

4 余録

なお、吉田兼好の墓と言われているものは2つあり、1つは京都に(ネットで調べる)もう一つは伊賀市(旧青山町)種生の草蒿寺跡にある。
確固とした裏付けはない(根拠となる「園太暦」の享年が68歳というのがおかしいとか)が、完全に否定することもできないとか。
その墓の近くの常楽寺には兼好の絵画もある。
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