先日あるきっかけでこの本の存在を知り、図書館で借りて読んでいます。
まだ、途中ですが、今までの中で知りえたことを少し書きたいと思います。
夏目漱石は文豪で誰もが知っていると思います。例えば『吾輩は猫である』(1905年のデビュー作)『坊っちゃん』(1906年)『こころ』(1914年)など。
でも、夏目漱石が英語教師だったことはあまり知られていないかと思います。(実は漱石は1895年に松山で英語教師となり月給80円で校長先生より高給で待遇されたとのことです)
夏目漱石は1867年1月生まれで、本名は夏目金之助といいます。
かなり有名な作品を多数世に出されていますが、1916年に49歳でなくなっています。
その人生についてはウィキペディア等でお調べいただくとして、
私がこの本を読んで考えさせられた点を少し書かせていただくと、
1 漱石が学生の頃は、今と違って日本語で書かれた書物はたいした内容ではなく、世界レベルのことを勉強しようと思えば、英語ができないと読むことができなかった。また、授業も英語の時間以外も英語でされていて、中学でも英語だけでなく第二外国語(ドイツ語かフランス語)を勉強していた。
だから、当然英語の能力が高かった。
2 しかし、読解力はあっても、会話力は低く、漱石は日本ではかなりできる方だったがイギリスのロンドンでは通じなかったという。(それは「コックニー」というロンドンなまりが原因?)
3 であるので、漱石は「読む」だけでなく「書く」「聞く」「話す」の4拍子が揃った英語教育を目指したという。
4 1のような英語教育の事情が時の文部大臣によって1893年に変更され、第二外国語はなくなり、漢文が復活し体育に力を入れるようになったらしい。
この本では、漱石のような考え方を「正則英語」、読解力や文法重視なのを「変則英語」と呼んでいた。
そして、どうも私が教育を受けたころまでこの「変則英語」の傾向が続くことになったようである。
それから、会話重視が言われ、大学入試にヒアリングが取り入れられ、来年からの入試改革でもっとリスニングとスピーキング重視になりそうだったが、「待った」がかかったような状況と思われる。
さて、これからの日本どうあるべきか?
会話重視なのはもう明治時代から漱石が考えていたとのこと。(そうでないと、外国からばかにされると。)
でも、私を含めていっこうに進歩しない。
そして、現在言われているのは、私が受験生だった頃より「読解力」が低下していると言われているらしい。
あちらを立てればこちらが立たず状態から、どう改善すればいいのか。
漱石が言うように難しい単語ばかり覚えずに、簡単な単語で書かれた本などを多読して身に着けるのが王道か?
どこまで、何で英語が必要かということとも大きく関わってくるので、
これには人それぞれ答えは違ってくるだろう。
私は、死ねまでに英会話ができるようになりたいものだと思う。
なお、著者の川島幸希さんは現在秀明大学の学長をされておられるようで、偶然さきほどのNHKニュースにも『坊っちゃん』の漱石自筆の原稿が見つからないということで登場されていました。