徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

「自分の感受性くらい」(茨木のり子さん作の詩集)について若松英輔さんが書かれた100分で名著の別冊を読んで「コトバ」を考える

2019-05-25 14:31:45 | 
朗読練習■自分の感受性くらい
(youtubeでご覧下さい)
マイブログは5月26日で12周年を迎えます。
その12年前の最初の記事が「30分ウォーク」でした。(そのことについては前々回に書きました)

そして、その次(5月27日)に書いた記事が「自分の感受性くらい」というタイトルでした。
この記事をバックナンバーで見ていただくとわかるのですが、当時私が1998年3月3日に掲載された毎日新聞の社説の切り抜きをたまたま発見して感動したことによる思いを綴っています。
その記事に書かれていた詩はこの動画の内容です。
その時の社説では
「人に合わせるだけの人生ではなく、自前の「浮力」と「イカリ」を身につけて歩もうではないか。自分にもっと水やりを」と確か書かれていたはずです。(もう社説は残っていません)

そして、それから12年。
振り返れば、はるかに遠い過去の記憶があります。
仕事が忙しくて残業をかなりしていた日々。
それから、どれほどの「水やり」をしたのかと思います。
でも、こうして、12年間、このブログを書き続けてきたことこそが自分の「水やり」だったのではないかと思っています。(数えてみると30カテゴリー1424もありました)

さて、本題に戻って、この本の存在をたまたま知りました。
何かの縁と思い購入しました。(864円)

この本によると、この詩を作られた茨木のり子さんは大正15年生まれで、あの谷川俊太郎さんらと「櫂(かい)」という同人誌でライバルだったらしいです。

その茨木のり子さんの作品の中でも(最も?)有名なものがこの詩のようです。
この詩のもつ意味をどう感じるかは各々でしょう。
年齢や性別によって、また、同じ人でも時々によって変わってくると思います。

ただ、読んだ後に何らかの反省が生じのではと思います。
それは、「弱い甘い自分」を厳しく問い直すことになるでしょう。


私は若松英輔さんという人のことを全く知りませんが、この本は2018年7月に東京のある中学校を訪れた時の講演がベースになっていて、非常に読みやすいです。

普段使っている「言葉」の周囲にある声にならない「コトバ」の存在を教えてくれます。
「生活の言葉」と「人生の言葉」についても教えてくれます。
それこそが「己を知る」という大事なことです。

そして、自分で「読む」だけでなく「書く」ことの大切さも教えてくれます。

いくつかの詩や詩人の紹介もあります。

例えば、
茨城のり子さんの遺稿となった「歳月」という詩集に出てくる「稲妻のような真実」という言葉に惹かれました。
前にマイブログに書いた国木田独歩の「牛肉と馬鈴薯」に出てくる「びっくりしたい」ともどこかで共通している気がしました。

自分の内なる「言葉」や「コトバ」を表現した詩を自分もこれから書いてみたいと思います。



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