どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

なにごともなく

2016-03-16 01:06:15 | 日記

 

オオイヌノフグリが咲き始めた。春が間近だ。

 

 

高松の池にコハクチョウが増えると、渡りの最後だ。

なぜコハクチョウが来ると渡りの最後かという理由はわからない。ただわかっているのはオオハクチョウはほかの水鳥からあまりよく思われていないということだ。とにかくデカイ、自己主張強い、攻撃力もハンパない。なので一芸に秀でた水鳥以外は容易にオオハクチョウに近づかないようだ。すばしっこいカルガモや多数で一気に来るオナガガモ、潜るのが得意なキンクロハジロくらいだろうか。あとはなんでも食べるオオバンくらいがオオハクチョウの目を盗んで活動している。ホシハジロは最近まで白鳥に近寄らなかった。ミコアイサとカワアイサは未だもってタッチアンド・ゴーで近くをうろつきながら隙があると餌を狙ってやってくる。

コハクチョウはその点中途半端な大きさなのだろう。オオハクチョウの数が少なくなる頃を見計らってやってきているのだと思う。

とはいえオオハクチョウとコハクチョウの区別は難しい。小さいオオハクチョウも居れば大きいコハクチョウもいるからだ。くちばしの黒の面積で区別するが、奥ゆかしいのがコハクチョウの特徴かもしれない。余る鳴かないように感じる。

 

 

カルガモが毛づくろいをしています。オヤくちばしから水がこぼれたようです。

 

 

キンクロハジロはくちばしが痒いようです。

 

 

マガモははしたないことはしません。

 

 

巨人がすごいことになってしまってる。清原の麻薬からはじまって他にも何人かいたという。そして野球賭博事件が再発。その上文春砲がまた炸裂!高校野球賭博もやっていたという。

 

ただこういったことは古い球団だったらどこでもあったと思う。でもなんでヤクルトとカープと中日から話が出てこないのかといえば、多分給料が安いから。阪神の円陣での金銭というのも古い話ではなさそうなので、誰かが持ち込んだのだろう。

 

どちらにしても巨人は札ビラ切って選手を集めていたところがある。世の中金次第というのを地で行っていた歴史がある。だから選手は実力派だらけだが、見合った給料かどうかは誰もわからないわけで、そういった中でどう金を使っていいのかわからない人たちは、まあ博打に走る。でも給料が安くて将来が不安で、結果を出すしかない人たちには、博打している余裕はない。その意味では、古い球団で昔金満経営でも今は見る影もないというところでは、問題は少ないかもしれない。

 

あとは、オーナーが替わった球団では一旦全部が新しくなっているので、下手な伝統は生き残らない。下馬評にオリックスとソフトバンクがあるが、ここは歴史があるとも言える。経営も安定している。そういったところで、悪しき伝統がまた出ていたとしてもおかしくはない。

 

ただ今現在、データー処理が徹底している野球の世界で八百長は相当ありえないと思う。データーを超えるレベルでの八百長ができるのならすごいことなのだが、原因不明の1打席の不調というのはすぐにあぶり出されてしまう。そういったのを今のファンは見逃さないわけで、その点は大丈夫だろうと思っている。だがもしも高校野球賭博に手を出していたら、それは問題なのだ。

 

プロにまで行く選手ならウスウスはわかっていたはずだ。わけのわからないオヤジがいると。あれは何をしているのかというのはわかっていたはずだ。

 

プロになってわけのわからないオヤジと一緒になっているという、その情けなさがどうしようもない。そこがわからないというのがプロとして一番ヤバイことだと思う。

 

 

巨人に関してはそろそろ読売新聞から離れたほうがいいかもしれない。もともと新聞の販促のためにできたところがある。そのための広告宣伝費という意味合いが大きすぎて、過大な期待を受け続けた歴史がある。だから勝たなければいけないし、品行方正でなければいけなかった。でも勝つためには有力な新人を集めて育成し、それでも有力な選手をトレードしてとってこなければいけなかったし、強さと話題作りには必要だった。それが育成の幅を狭めてしまっていた。

2軍でも有力な選手はいっぱいいる。でも出れない。天才を育成することに慣れたバックヤードは、人を育てる方法がわからなかった、とはよく言われているが巨人の予算でそれはないだろう。でもやっぱりチャンスのない選手をいっぱい抱えているというのは、しかも何十年と続いていたのは問題だった。

読売新聞にとっても、実は問題なのだが、多分彼らはわかっていない。読売新聞は日本のファインペーパーになれない。理由は巨人を使った販促ばっかりしているからだ。しかも強烈な、ドブ板販促なのだ。いや紙面はなかなかなのだ。昔のように極右の新聞ではない。いい記事は多い。だがどうしても昔のイメージが消えないのだ。それはあの販促のイメージなのだ。

巨人を背負う商法は、今では相当難しい。どんなにいい記事を書いても、巨人とセットで売られていると思っただけでアウトなのだ。中道ではないのだ。

その意味では文春砲以上に、読売砲を撃つべきなのだろう。だが彼らは全くできない。それがわかっているから、彼らは朝日より下と言われ続けているのだ。私から見れば、サンケイより下で、ゲンダイのほうがマシというオソロシイ話になっている。

巨人を甘やかしたのは歴代主筆というのは明快だ。とは言っても巨人を売りに出しても買える企業は、国内にはないだろう。

 

 

賭博に関しては、人ってこんなもんだという最高の例だ。だからおかしなことではないと考えている。なんでもバクチにしてしまうイギリス人もある。ただ原則としてインサイダーはやってはいけない。イギリスでのブックメーカーは、その点で奇想天外な賭けを用意する。理由はインサイダーがいないと保証できるからだ。

法的に禁止されているからとかは言いたくない。

自分に賭けろよ。

 

 

カワアイサが飛んで行った。

 

 

よしの原も、柔らかい光で輝いています。ヨシキリの巣があったのは当然ですか。

 

 

 

週間ベースボールの1959年1月14日の表紙は長嶋茂雄だった。ただそのコピーは「孤立のチーム巨人軍」だった。当時の言語感覚はわからないが、なんで「孤高」でないのか、はナゾだ。野球賭博とかには一切縁がないという意味ではないのだろう。強すぎて「孤立」というのはわからないわけでもないが、誤植だろう。

まあ中国の新華社通信が「中国最後の指導者習近平」と書いていたようだ。のちに「中国最高の指導者」と誤植だったと言っているのだが、こうなるとえらく難しいな。

北朝鮮最後の指導者という言葉より、最悪だからな。

 


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