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どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

カメラマンと写真10

2013-01-05 03:13:01 | 写真の話し
世界にはいっぱい被写体になるものがあります。何でも出来ます。フツーには難しいものに顕微鏡写真がありますが、かなり特殊な例です。なおこの顕微鏡写真で世界コンクールがあるようです。細胞の染色からはじまって様々なテクニックを駆使して実用的でなおかつ美しさが求められる世界です。

前の項目の時に、被写体選びがキツイと言いました。実は画になら無いものは、ありません。画に出来ます。ただ結果それが流通するかどうかです。他人から賛同を得られるかどうかです。

一番厄介なのが、ここです。

例えばですが、東松照明はアスファルトに埋め込まれたネジとかそんなばっかり撮影したシリーズがあります。たしか「日本」に収録されていたものだと思います。
文明批判をしたのです。基本的には。でも撮影された当時の状況があって解るもので、今だったら純粋に東松照明の美学を感じる作品になっています。マジックマッシュルームというシリーズで、おなじ美学が確認できます。
ミクロコスモスが大好きなのかと、いまフト思いました。

時代を超えると文脈が変わるのですよ。

もう一つ重要なのは、記録に残らない作品は作品でなくなる、と言う事です。例えば私がやって来た写真展はギリギリ記録の残るかもしれませんが、それでも人の記憶に残らないものになる可能性があります。
変な話しですが、報道とかメディアに載るとなぜか覚えてくれます。昨年、大昔にやった「下北」の写真展を好評してくださる方がいました。

彼は見ていないはずです。

そんなものです。



被写体は無数にあるのに、なぜ全部撮れないのでしょうか。
時間がないからです。フツーは。それをやっているから森山大道が凄すぎるのだ。人生写真。
次が、好き嫌いがあるからです。これは当たり前。
その次は、興味が持てないからです。
その次の次は、意味を感じないから。


さて写真を撮ると言うのは、逆説で意味を求めてと言う事になりそうです。


被写体を選ぶと言う事は、自分の意志があると言う事です。


もの凄い飛躍をしています。


実は被写体がいらない可能性があります。作っちゃえばいいのです。しかしコスト的に難しいですよね。映画ですよ。それは。でも全部自分の意のままに、コンパクトになるのだったら、可能性があります。
これの最高峰が商品撮影、特に宝飾品や時計の撮影の世界です。

実はあまり表現が変わっていない世界でもあります。人の価値観が安定している領域なのでしょう。




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