盛岡の八幡町は、江戸時代から続く盛岡最大の歓楽街だった所です。
江戸時代に八幡宮が出来て、門前町が出来て、そこからなのですが、昭和20年頃まで田んぼの中に細長く続く、独特の景観だったようです。
境内はさすがに立派です。それもそのはず、明らかに江戸時代の軍事目的があるからです。兵士の集合場所として広い面積が必要だったのでしょう。
お城は南側に川があるので、南側の防御は無くてよいと考えていたのでしょう。だが実際に城が出来てしまうと、やはり南側の弱さが気になります。このために八幡宮を作ると幕府から許可を取って作ったと言う経緯があります。
宗教施設で、幕府の恭順を示す意味で八幡にしたのでしょう。大きな施設を作るには言い訳がいっぱい必要でした。なお現在はほとんどが暗渠になっていますが、小川程度の掘り割りが周囲に張り巡らされていました。
どんと焼きの火がまだくすぶっています。
社殿です。盛岡で一番大きな神社です。
お参りを済ませて、八幡の通りに向かいます。
社の影がきれいです。
大鳥居を抜けて、最初の家です。昔はお茶屋だったのでしょうか。
昔はこういった家がいっぱいありましたし、裏通りには置屋風の家がいっぱいありました。
右側を見ると、ガラ~ンと駐車場です。
盛岡で知る人ぞ知る大工。宮大工です。
道路拡張計画はありません。最近電線土中化したばっかりです。
スプロールなんて生易しいもんです。一つの街が消えかかっています。
ぶちょうほうまんじゅうという、ザラメを使った茶色の牛皮に黒蜜を中に入れたお菓子で有名です。
この通り小さい店ですので製造量が少なく、行列ができるほどなのですが今はどうなのでしょうか。類似商品も増えましたし。
こうしてガランとした所だけみれば、いかにも寂れていると思われると思いますが、残っている所は残っています。ただ大きく一気に抜けてしまうのが特徴でしょうか。
居酒屋ですね。漆喰でこうやってレリーフを作ったと言う事は、この辺りがかなり賑やかだった証拠でもあります。
お好み焼き屋と、ラーメン屋です。この二つは古くからあります。飲み屋が無くなっても生き残りそうです。
とは言っても生き残るのを辞めた所も。
細い路地の中にも飲み屋が多かったのですが、かなり消えました。
盛岡劇場の方へ向かいます。この辺はまだ料亭とか割烹とかが生き残っています。
しじみは、シジミ汁が名物ですが、インスタントラーメンも名物です。いや手抜きだなんて、メチャクチャ安い店ですから、その程度はなんとでも。逆に深く納得してしまいます。
八幡の最大の欠点は、いい飲み屋や料理屋、安い店などもあるのですが、繁盛していた頃の記憶が忘れられないのか、サービスが悪くおまけに高い(ボッタクリあり)という評判が立ち続け、実際にそういった話しも聞きますし、それが原因で寂れてしまいました。
盛岡劇場そばの雑居ビル?です。ここには盛岡2大焼き鳥店の「菊水」があります。ブタ肉ですが、うらにくがおいしいです。もう一つは本町の「さい川」です。もっとおいしい店はあるのですが、老舗ですから、この二つは。
八幡では、こういった小さな店が生き残っていると感じています。逆にスナックなんか消えてゆくようです。
本当にこういった裏通りにも、看板が立ち並んでいたものです。どんどん消えて行っています。
八幡の消防団です。昔の建物に似せて立て直されました。この消防団や盛岡劇場より南大通りに近い方は、まだそれでもにぎわっています。
一番大きな雑居ビルですが、中はこんな感じ。スカスカです。
通りに面した店舗すら、このビルではこの有様。
このビル売りに出ているようですが、場所がいいので売り手と買い手の間でうまくいかないのでしょう。
南大通りとの交差点です。この辺りだけみていればかなり良さそうなのですが、中は昔の面影の全くない街になりました。
オマケ
この辺りを歩いていると、こんなシュールな画によくぶつかります。この辺も魅力の一つです。
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