どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ツイッターのEM菌騒動

2012-07-03 20:38:01 | インポート
ツイッターでEM菌での環境浄化が話題になっている。もちろん否定的な意見が多い。
たいへんやっかいな話しだ。まずこのバックには世界救世教が関係している。この宗教は魂の浄化というのがテーゼになっている。その上で肉体の浄化と言うものも考えている。このため食に対する意識が高く、化学肥料や農薬を使用しない自然農法が推奨されている。
この中で、琉球大学の比嘉教授が発見した乳酸菌と酵母・光合成細菌のコロニーが注目された。どのような条件でも安定して存在するバイオシステムがこのコロニーにあると言う。そのコロニーで汚染物質の浄化が出来るのではないのかと教団が目をつけた。魂の浄化、肉体の浄化、国土の浄化と教団の活動範囲が広がってゆく。
ただこれとは逆に、比嘉教授の発見は散々な目に遭う。まず学会から否定される。そしてタイやオランダでの研究報告で、撒いても撒かなくても同じという結果になる。タイに至っては、酵母がない、という事実を言っている。つまりコロニーは存在しないのだ。EM菌ではない何かに変わっていたのだ。
そして比嘉教授はこの逆境にエスカレートしてゆく。「悪いことはすべて酸化作用で起こるんです。しかしEM野出す抗酸化物質で抗酸化状態になればすべてが解決するんです。だからがんもエイズも治る。鉄もさびなくなる」(1996,3,25アエラのインタビューで)こんな状態だからますます科学者としては信用されなくなった。
まあそうこうするうちに、EM菌の学会が出来たりしてそれなりの研究成果も出ているようですが、比嘉教授そのものが科学者として熱心なシンパ以外には、まったく信用されていない状態だ。
さてEMは株式会社EM研究所が販売している。サイトでトップページに(財)自然農法国際研究開発センターのバーナーが貼付けている。昔はもうちょっとベッタリだったが自然農法国際研究開発センターの研究からEMは後退しているようにみえる。しかし世界救世教とは両者ともリンクしていない。
さてそれでは世界救世教いずめの教団のサイトから見ると株式会社EM研究所と(財)自然農法国際研究開発センターのバーナーがトップページに見える。関係としてはこんな感じだ。普通なら互いに協力関係にあるのならリンクを張り合っているものだが、それが無い。株式会社EM研究所と(財)自然農法国際研究開発センターは独立している事を強調している。
ただこの3つの団体が同じ熱海市にあると言うのが、何とも言えない関係性だ。
さて今回の騒動だが、学校教育の現場にEM菌と言うエセ科学がはいって来たと言う事、そしてそれを朝日新聞が記事を載せたと言う事だ。
実は今回アエラの記事を出したが、実は1996年頃からEM菌を自治体が活用したいと言う動きがあった。しかしお金を使った割には効果がなかった事例が続出して問題になっていた。そこからEMは市民活動に移って行った。地域浄化活動だ。そこに小学校教育の総合活動の時間に環境教育がはじまった。そこでEM側はEMを使った地域環境浄化の実績とEM菌のシステムを解説した教材まで用意しました。総合学習の時間で環境教育ということでは、身近な活動家と実績、その内容、更には菌が汚いと言うあの小学生特有の思い込みを打ち消すためにはもってこいの内容です。
多忙な小学校教諭にとってはありがたい事です。しかも1996年ころの話しは誰もが忘れています。こういったことで話しが拡大しているのでしょう。
さて私の住む盛岡市では、4年前に総合学習の時間でこの教材が使われたのを見つけました。担当の先生曰く、他校でも使われている教材ですが何か問題があるのでしょうか、と言う事だった。
このとき様々調べた事が今回の記事になっている。なので現在は多少違うかもしれない。

さて最後に、EM菌の発見者である比嘉教授だが最近ではEMが放射能物質を浄化すると言っている。
もうやめてくれ。常温核融合をエネルギー源にしている細菌がいたら大発見だが、それはEMではない。EMが今まで生き延びて来ているのは人畜無害でまったく有効でないからだ。放射性物質を無害化できる生物がいたら、それは地球に存在しない生物なのだ。地球上の生物の絶滅が近い事を意味する。それを大量にバラ撒く事の意味は解っているのだろうか。


もうすぐロンドンオリンピックなのだが

2012-07-03 02:39:07 | インポート
オリンピックについて、このところ変だなと思っている。話題にならないのだ。
アテネの時には金メダルが少なくなると言う下馬評もあったのだが、まあそれなりには話題になった。
それが冬期オリンピックのトリノでは、確かにメディアも静かだったが、それにしても私の周りでは話題にもならなかった。開催一ヶ月前あたりからメディアは応援していたが、それでも話題にならなかった。話題になったのは2週間前。みんなオリンピックがあるんだと寝ぼけたように言い出した。
実はこの年、夏頃にこのネタを振っていた。するとみんな一様に「あ!そうだ」。そこまでトリノオリンピックは忘れ去られているイベントだった。実はアテネの時もそうだった。
北京の時はさすがに隣なのである部分で盛り上がっていた。株の世界だ。むしろそっちの方ばっかりが話題になった。この時は中国の過熱した経済がどこでダウンするかだった。オリンピック説と万博説があったが実際は、今のギリシャ危機だった。
あとは開会式のクチパクだのCG使用、あとは、そう開会式のモニターの一部がウインドウズのブルースクリーンになっていた事。記憶に残る言葉は柔道で唯一の金メダリストの発言。「へのかっぱ」。この発言の直後に背後から監督が現れたのが印象的だった。これ以上のドラマはオリンピック史上滅多に無い。
それではその後の冬期オリンピックの開催場所を言える人はどの程度いるのだろうか。答えはバンクーバー。これもトリノ以上に直前に話題にならなかった。
それではロンドンオリンピックのこの盛り下がり方はなぜなのだろうか。
まず言えるのは、オリンピック以外の世界一位を決める場が増えた事だ。世界陸上、世界水泳そういった具合だ。これで相対化した。サッカーもワールドカップが上位に来る。この辺りの競技の人たちは、オリンピックは特殊すぎて選手の実力を発揮できないし4年に一度なので、ベストとは言えないコンディションで出ているので世界一と言う訳ではないと言い切る。
そして一番大きいのは日本のスポーツ観戦の層が、まだ浅いと言う事だ。オリンピックと言うイベントはあまりにも巨大すぎる。どれを見ても世界最高レベルなのですべてが楽しいはずなのだが、どれを見ていいのか誰もが解らないし、その楽しさが解らない。実はこの辺りに誰もが気がついてしまったのだろう。世界陸上のように単一競技だとそれなりに話題になる。しかしオリンピックだと複雑すぎるのだ。なんというか、教養が必要になる。単純には楽しめない。例えばサッカーでシリアがエントリーしていた(予選がどうなったかは把握していない)。まあこういった事が解って最高の舞台を楽しめられるかと言えば、そう楽しくはない。それでもまったくわからないスポーツをみて、スゲーコイツみたいなのが無いと、オリンピック観戦は本来面白いものではない。スゲー!がオリンピックなのだが、そこが解らないというのはスポーツ観戦が成熟していないと言う事だ。
実は以前から、オリンピックで感動をありがとうというフレーズに辟易していた。これも盛り上がらない原因だ。あの「へのかっぱ」発言の後に、がんばったその努力に感動とかは誰だって言えない。「笑いをありがとう」がただしい。それがどうした事か、あれが感動をありがとうになってしまう。(この件はマスコミ各社苦労したと思う)
人から押し付けられた感動ほどむなしいものは無い。こちらも多少は感動していても、あの「感動をありがとう」の連発では苦しいものがある。実際スタジオのアナウンサーたちに苦しそうな間が生じている瞬間もある。彼らだって感動していないのだ。

今年のロンドンオリンピックの盛り上がらなさで確信した。
放映権がとても高いのに、視聴率がイマイチなイベントなので、マスコミ、特にテレビがスポンサーに対して対面を繕うべくがんばっていると言う状況での言葉が、「感動をありがとう」なのだ。
そう考えてゆくと、とても悪循環に陥っているのが解る。たしか放映権料の高騰はロスアンゼルスオリンピックからはじまっているが、その頃はまだNHKで何とか出来た。なのでマイナー競技や、日本人が活躍していなくてもメジャーな競技は放送していたし、メダリストの試合は放送していた。
本当の感動が放送されていたのだ。
それが放送権の高騰でNHKでは支えられなくなり民放と分かち合う形になった。初期はNHKの様にオリンピック報道だったが、視聴率を稼ぐために日本人で、勝てそうな部門のみにフォーカスするようになった。もちろん陸上短距離のような花形は別だ。しかしこの傾向は放映権の絡みでどんどん強化されて行ってしまった。
オリンピック番組のスポンサーになるのにいくら金がかかっているんだ、と言う話しだ。この金でこの視聴率はあり得ないというレベルになって来ているのではないのだろうか。
その上で試合の結果次第ではあっという間に視聴率は下がってしまう。もうこの競技ではメダルはないなと視聴者が判断したら、もう終わり。そこで放送局側が事前取材で努力している姿を収録したのを流して、こんなにがんばったのにという、本人にとっては無意味な言い訳を用意して、「感動をありがとう」となる。
またその辺りの取材を事前に流しておいて、言い訳の脇を固めておいて、「感動をありがとう」。
これではオリンピックは話題にもならない。また嫌な季節がやって来た程度だ。
実は放送がオリンピックを盛り上げているように見えるが、実際は盛り下げている。この事実にもうそろそろ気がついてもらいたいものだ。

実際の所オリンピックは世界ビックリショーでもある。こういった視点もあれば実はオリンピックほどバラエティショーに向いたものはないのだ。例えばボブスレーだ。南米のどこかが参加しただけで話題だったのに、彼らは棄権せずにゴールしたというだけで、感動的な映画になった。日本のボブスレーはお金がなくってユニホームのどこでも会社ロゴを入れますと言って、お金を集めていた涙ぐましい話しがあった。棒高跳びの選手セルゲイ・ブブカはヘビースモーカというアスリートとは思えない人だったりする。もっと古い人だが、ザトペックはサーキットトレーニング法を開発した人でもあるが、あれは人では出来ない。あり得ない。
日本人が勝った負けたばかりで「感動をありがとう」では、オリンピックの本当の面白さを伝えていない。だからコンテンツとして飽きられている。
なでしこジャパンの選手が決定した報道があったが、私の周りでは話題にもなっていない。