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どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

秋の雨です

2017-10-08 00:55:07 | 日記

 

今日はほぼ1日雨だった。ただ気温は13度から17度台で推移して、安定した気温だった。

 

 

JBPressにアメリカの農業の話が載っている。これがすこぶる面白い。まずアメリカの農家の8割が兼業農家だ。ものすごく広い農地を持っていても農業だけでは食べてゆけないのだ。逆説的にリスクヘッジとも言えるわけで、なんでアメリカ人が効率を求めるのかといえばここにありそうだ。だが話はもっと違う。

ウェント・ファームの農地面積は6100エーカー(約2470ha)で、農地数は100個ほど。農地間の最長距離は50マイル(80Km)にもなるのである。」

つまりだ、単純に大規模化を進めようとしても農園の買収という形を取るので必ずしも近隣の農園を買収できるわけではない。そしてできれば土壌や水の使える農場を選んでゆくと、どうしても分散してしまうと言うのだ。たとえ近所でも条件の悪いところだと、収量や品位が下がるから使えない。もしかすると税金の問題もあるのかもしれない。ただ日本より恐ろしく距離があるので、あんまり離れていると大型機械を離れた農地に置かなければいけない。だからアメリカは省力化が進むことになる。この記事では不耕起栽培の方が土壌の団粒性を維持できるので、その研究をして、結果遺伝子組み換え作物と除草剤の組み合わせになったと言う例がある。ただこれだけ聞けば日本人だと手抜きだと感じるが、不耕起栽培の研究から始まった、と言うのがポイントだ。耕す手間を省くだけで結果が良ければいいのだ。ただ日本だと面積が狭いので不耕起栽培の研究はあっという間に終わるが、彼らはめちゃくちゃ広いし、分散もしているとなれば一筋縄ではいかないと言うことなのだ。

日本の先端的な農場がやっていることは、すでに彼らはやっている。ただ農業のIoT技術、気象情報会社からのデーター提供サービスとかが必要な理由がよくわかる。

 

 

ベニシダレの木が、季節外れの花を咲かせていました。

BBCが日本の村上春樹ファンの、またしてもノーベル文学賞を取り損ねた嘆きを書いた記事が秀逸。視点が面白すぎる。

この嘆きごえはもう世界的なのだろう。フェイスブックにも書き込みされてしまった。

ノーベル賞選考委員会のフェイスブック・ページには、村上ファンをからかう書き込みもあった。ヘルナン・M・サナブリアさんは、「ノーベル賞委員会は、村上ファンと(村上本人に)最大限に嫌がらせをしてるな」と書いた。スダルシャン・ラジブハンダリさんは「カズオ・イシグロ、おめでとう! でも村上もいつかは受賞しないと……来年とか……その次の年とか」と書いた。」

そしてアンチハルキストたちへの日本人の厳しい声も。

「村上春樹がノーベル文学賞を逃して、全国のハルキストたちが崩れるように悔しがるのを見ると秋の訪れを感じる。#村上春樹 #季語」というツイートはその一例だ。」

BBCはさらに優しく言う。

でもハルキストの皆さんは決してあきらめてはいけない。あのレオナルド・ディカプリオでさえ、23年待たされた挙句、昨年ついにアカデミー賞を受賞したのだから。」

僕はスピルバーグも入れたいな。

だが突き放すのがBBCイギリス流ですねぇ。

しかし、イシグロさんが日本生まれだという部分に注目するこの風潮に対しては、批判もある。ソーシャルメディアでは、たとえば父親が台湾出身の政治家・蓮舫さんなど両親の出身国が異なる人に関する論争を念頭に、海外で育ち成功した日本人を「自分たちの仲間」と歓迎するのは二重基準(ダブルスタンダード)だという指摘も相次いだ。」

私は村上春樹の作品は結構読んでいるが、「大人の寓話」だと思う。とても面白いし文体の感覚、特に小説ごとの統一とか隙のなさもいい。だが通底に流れるテーマが若干時代とずれてきたような気がする。最初にノミネートされた幸福な時代はこの数年で「新たな中世」とも言われる時代に突入した。個人も漂流する個人から、つながりすぎるゆえに孤立する個人に変わってしまった。

ノーベル文学賞は少し遠くなったのではないのだろうか。だがノーベル文学賞は毎年ある。その意味では村上春樹は長生きすれば可能性がある。そしてあと何本今以上のレベルの作品を書けるかだ。

なおハルキストが大袈裟なので、村上春樹の小説を読んだといえないのが、今の日本だ。

 

 

今日の後は、卵の特売をゲットしたことかな。


ぼんやりする

2017-10-06 21:57:12 | 日記

 

ぼんやりした天気だった。だからぼんやりする。

ぼんやりとした頭の中でも、ぼんやりとしかわからないのが今度の選挙だ。何がぼんやりしているのかといえば、やっぱり希望の党だ。おかげでぼんやりしてしまっている。

政策的にどうかとか、というかついにマニュフェストという言葉を使わずに、政策綱領というぼんやりとした言葉に変わったのも大きい。中身が同じとかそう言ったことではない。政策目標という言葉はもう無理だという、諦めのような言葉になった。

そう諦めというのはぼんやりしているものなのだ。不安があるからぼんやりするのであって、目標も設定できないくらいに、正確にいえば具体的なことに拘泥するあまり実現不可能なマニュフェストはやめて、綱領という自分たちだけのアイディアの発表会にしか感じられない。まあそれはいい。以前のマニュフェストが本当に党内で議論しあってできたものかどうかあまりにも怪しい。ボトムアップ型のシステムの自民党は、本来議論調整型だったが、小選挙区対応で党主導になってしまった。そのギャップが未だ埋められていない。民進党は、民主党時代にそのギャップを閣僚の自由な発言で徹底的に変えようとしたのだが、官僚との齟齬とか、政治家って結局のところ譲り合わない人たちなのかということで、何もかもギクシャクしてしまった。野党になってから中道から左翼に転じたのも、勝ち負けの理論だけで党内があったのだろうと思う。民進党になってからも足の引っ張り合いが続いて今日に至ったのも、人ってこう言ったもんだという見本になってしまった。

 

 

消極的安倍内閣支持者だが、自民党岩手県連合会は支持していない。全く支持していない。いい候補者を出しても負ける。正確にいえば全くやる気を感じないインナーサークルの気分を感じる。確かに小沢氏と階猛氏がいるのでそうなるのだろう。だが異常だ。

希望の党の設立に小沢氏が関わっていたという話がある。小池氏の都民ファーストを全国区政党にして、民進党と合併、勢いに乗って自民党過半数の状況を壊す。そして自民党と大連立を組んで、しかも石破首相で小池副首相という組み合わせというものだ。小池氏が出馬しないということで、この絵は存在しないが、小沢氏がまた出馬するのだ。

もしも政治家だったら、自分がどんなに日陰でも、自分の書いた絵図を議会で見てみたいと思わないか。多分この噂は本当なのだろう。

引退すると思っていた。亀井静香ですら引退するのに。

 

 

階猛氏が希望の党から出馬するのだが、これは如何かと思う。本人は中道でプラグマティストだ。だから希望の党というのは正しいのだろう。だが都民ファーストが希望の党になったというのは事実で、即席の全国区の政党は、どのような綱領があろうが全く信用できない。

そしてなのだが、現在何が手詰まりなのかという認識を感じられないのだ。これは自民党もそうだ。彼らの道具としての選挙であって、それはそれで正しいのかもしれないが、主権者というのはどこにあるんだという疑いはある。

国家は国民の庇護者になり得ない時代になっている。政治家にはその危機感が足りないように感じる。

 

 

現代に生きるのに、中世の思考様式が蘇っている時代だ。スペインのカタルーニャ独立運動もプラス自分たちの経済活動が貧しい他県に流れるのを嫌がっているところが大きい。ルクセンブルグのように小さくても豊かな国がある。だがカタルーニャから企業離脱が始まっている。

民族主義と資本主義は全く関係がないのだ。

最後になのだが、残念なことに安倍内閣を支持しなければいけないのは、アベノミクスの手仕舞いなのだ。この難しさは半端ない。アメリカとEUが金融緩和政策を行なっている中、えっとね金利自由化の時代なんですね、国家がやれることはどんどん減らしている経済政策で、貨幣供給量を国債や債務でコントロールしようというのですが、全世界に回っているお金が大きすぎて管理できないわけです。円だけじゃないですからね。そのあたりを信用というのですが、貨幣の信用。だから財務状況が問題なんだというのは当然なのですが、手仕舞いには条件が必要です。

アメリカとEUが手仕舞いすること。できれば日本と合わせて協調的手仕舞いをすること。協調的でない現在では、ちょっとでもミスすると円買いが世界から殺到するわけです。円高です。アメリカが手仕舞いをすると言い続けているから、今日があるわけです。日銀は政府から独立していますが、アベノミクスのべったり感で、これって簡単じゃないのと思われている政治家が多いのではないのか。本来なら鳩山さんが発動すべき政策だったんですけど、この程度すらわからん人だったというのは確かでしたね。

アベノミクスの金融緩和は日銀に任せる。と言う政治家がいないのはまあどう言ったことなのかね。ユリノミクスとか言う前に、アベノミクスのこの根幹は、直ちに解除できないものなのだ。

まあその前に、都民ファーストとこの前まで言っていた党首が、地方で反感を買っているのはわかっているのだろう。

だからさらにぼんやりしている。


秋です

2017-10-06 01:01:30 | 日記

 

今日は泳ぎにゆく。だが気合が全く入らない。まあその通りに泳ごう。

カメはいつ・どこで冬眠するのだろう。

この池は岸を石で固めている。アズマヒキガエル用の脱出ルートはあるがカメには小さい。やっぱり池の底かな。

 

 

岩手山が初冠雪だったという。昼過ぎだが確かに雪が少し山頂付近に残っていた。

イギリスのテリザ・メイ首相にドリフ並のコントが起きたようだ。保守党の党大会の最終日、首相の演説で締めくくられるのだが、コメディアンのサイモン・ブロドキン氏が「ボリス・ジョンソン外相がこれを渡せって」と解雇通知の書類P45を渡す。そのままボリス・ジョンソン外相のところにゆこうとしてシークレットサービスにご用。一体どうやって入ったのかは不明。「P45を渡したいのはジェレミー・コービンだけ」とそこまでは余裕。その後メイ首相は咳が止まらなくなり、フィリップ・ハモンド財務相がのど飴を渡してくれて、「財務相がタダでくれました」とジョークを飛ばすのだが、演説は散々。一応閣僚はキメ台詞でスタンディングオベーションしなければいけないのだが、内務相に促されてボリス・ジョンソン外相が立つところが目撃される。さらに後ろのチャンネル文字が一つ落ちる。そして終わりにはさらに一つ落ちた。チャンネル文字は綺麗な台形に見えるように並んでいたが、その底辺の角が取れた格好になってしまった。

まあこの話はメイ首相は当初のハードブレグジットから、より現実的なソフトブレグジットに移行している。それをハードブレグジット派のボリス・ジョンソン外相と軋轢を生んでいるという。それを確認させる結果になったわけだ。

大きな物語に回帰しようとしている彼らは、偶然に歴史あるコメディーを演じてしまったわけだ。

 

 

ということで2200メーター泳いだのだが、どうも今一歩パワーが出ない。アドレナリン不足という感じだ。スロースタートで始めてやる気をコントロールする予定だったのだが、体があったまってもやる気が上がらないという結果になってしまった。

売店にたまに出ている味付け卵2個100円で締めたが、殻が剥きにくかった。

 

 

田んぼにスズメ除けのLD。LDですね。まだあったんだ。

さて気になる北朝鮮情勢。なんとアメリカはお得意の精密爆撃ができそうにもないということだ。シリアやイラクでかなり使ってしまって在庫がかなり少なくなっているようだ。発注はしているようだが企業側がすんなり受けられない事情もある。今後もこの量が必要なのかどうかわからないからだ。いずれ1年はかかると言われている。

そうなれば戦略核になるのだが、北朝鮮に戦略核?というのもある。そしてここに核兵器を使用した場合、中国・ロシア・韓国・日本への核物質の飛散の問題が出てくる。プーチンが「北朝鮮には秘密の軍事施設がある可能性がある。攻撃が成功するかどうかは不明」と言っている。確かにそうだ。成功させるために戦略核をいっぱい使うのはそもそもナンセンスだが、そうしなければいけない可能性もある。

そうなれば、中国共産党大会の前にアメリカが攻撃するとしても限定的になるか、もしくはしないという可能性が大きい。ミサイルを次に打った場合、それに水爆が載っていると確信すればミサイルを撃ち落とす可能性はあるだろうが、成層圏を出たところを撃ち落とす技術は今の所ない。大気圏内で撃ち落としたらそれはそれで、核物質の飛散の問題が起きる。

まさかなのだが、高速飛翔体を使うのかなぁ。まだ実験段階だけどアメリカだったら多分すぐ作れる。そして古くなったICBMに搭載すればいい。宇宙から1トンくらいの制御できる飛行機を落っことすというだけの兵器だ。大気との摩擦熱の問題が大きく、1トンの物質をできるだけ1トンで地面にマッハ10で落としたいというだけなのだが、うまくゆけば核兵器並みの安全な兵器なのだが、実用化はされていない。

トランプさんのツイッター攻撃があんまりにもあんまりなので、北朝鮮の中でも不安が増大しているとも言われている。これで抑止力になればいいんだけど、国民のことを考えているとは、思えない国ではなぁ。

 

 

雫石川にナゾの罠が出現している。なんなのだろう。

 

 

網が見える。でも何を捕まえるのだろうか。不明。

 

 

鮭が通り過ぎた。まさか鮭の罠?少し違うような気がする。

 

 

今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロ氏に決まった。ハルキファンには残念だが、彼の経歴が微妙で面白い。日本人だったのが5歳でイギリス、日本語はほとんど喋れないという。28歳でイギリスに帰化。私にとってはその前に、彼は70年安保の洗礼を受けていないということだ。確かにあの時の運動は世界中で起きた話だが、日本の文脈とヨーロッパでの文脈はかなり違うと感じている。村上春樹の小説にはその頃の時代に対してアンチでありながら、そこにあった底層を常に考えてゆくというのがある。そこがドメスティックそのものなので、ノーベル文学賞には少し違うように、思う。

実はイシグロ氏の本は面白いという評判に、実はずっと前から聞いていたのだが読んでいない。単行本だったからね。おかげで文庫本で読めるようになるかもしれない。と思ったらハヤカワで出ていたのか!今アマゾンで調べたら、中古相場が新品と同額以上になっていた。

元日本人の作家というのがノーベル文学賞を取ったのだから、マスコミはどう扱うだろうか。それが楽しみだ。

そして十六夜なのに、まだ満月ではない。


十五夜

2017-10-05 00:57:28 | 日記

 

今日は午前中から曇りで、とても肌寒かった。2時頃から日差しが出てきても、最高気温14.6度までしか上がらなかった。

 

 

仕事柄様々な現象を観察し、それを結果に出すということをしている。写真というのはそうゆう仕事だ。単にいまあるのを切るだけのとは少し違う。空気やその力学を見極めておかないと、未来に残す意味がないわけだ。それはセンスなり感覚的なところもあるが、ある程度は理論化しておく必要がる。そこでコジェーヴのポストモダン理論の中回帰説が重要だ。そしてそれを解説した東の「動物化するポストモダン」だろう。ただこの理論が最近当てはまらなくなってきた。「大きな物語」の復活というべき、古層の復活だ。

延々と続くかもしれなかったポストモダン状況は、ある一点から明快に崩れ始めた。リーマンショックだった。世界の右傾向かというのはこの時から明快になっている。つまり世界のエリート達は世界を破滅させることはあっても、導くことはしないのだという、アメリカで未だ信じられているトリクルダウン効果も彼らは決してしないというのがわかったわけだ。我々は世界から搾取されている。そして共産主義に向かっても搾取される。この現実が古代国家とか民族主義や宗教過激派に人を向かわせている。

ただこういった思想が突然現れたものではない。例えばネトウヨは小林よしのりの漫画からの影響が大きいだろう。そしてネトウヨの多くが実は50代から40台という分布なのも、彼の漫画が最も影響力のあった時代に育った世代だと考えれば頷ける。実際に宗教過激派もかなり古くからその種は蒔かれており、民族主義は同じく古い。世界が人を救わないのなら、国家が国民を守るべきで、その国家とはどういった形なのかということで、古代国家にたどり着く。

ただそれらの言説も、例えばイスラムのようにコーランやハーディースからの恣意的な引用で強引な解釈をするように、ポストモダン的である。近代の否定というべき言説だ。近代が成し遂げた秩序を解体しようという作業に見える。本能的で暴力的でもある。これが私のいう、大きな物語の復活だ。

ちょっと逸脱するが、白人優位主義者がナチスを引用するが、ナチスは様々な悪を行なった。それが現代で否定されているから彼らはナチスを引用するのだが、ヒットラーは古代ゲルマンを引用しただけだ。実はかなりねじくれた構造にある。復古ドイツから引用された純粋ドイツ人思想が白人優位主義であり、それをアメリカ人が引用するのは本当はためらったほうがいい。

その意味では、ネトウヨも日本を礼賛するときの秩序や礼儀も、中国からの儒教思想が大きく影響していることを考慮すべきだろう。

 

 

大きな物語の復活は、書物ではない。SNSから起きている。SNSで起きる共感や賛同のムーブメントはまさしく中回帰説なのだが、その中にこの古層を掘り起こすような、言説が入るようになってから目立つようになった。

これは当然で、なんで私は貧しいのとか苦しいのとか、認められないのとか様々な欲求がある中で、相対化された国家の、スゥエーデンは税金高いけど高福祉で今の苦しみはスゥエーデン人だったら解決しているのに、とかアメリカ人だったらもう少し呼吸しやすいのかなとか、でもズブズブの日本人で日本から出ることは考えられないしできないし、なんで?という人たちにはとてもよく響く。

なおマイルドヤンキーというのはその古層を積極的に選択した層とも言える。ただこの層に入り直すのは大変な努力がいる。地域の歴史から人脈まで把握しないといけない。なので地元民になかなか認めてもらえない。そして、マイルドヤンキーの古層は、本質的に同族意識になるので、ネット系にはあまり左右されない。

SNSの世界では情報がものすごく増えた。その少し前のネットとブログの世界より半端でなく広がった。

実はここからがポストモダン的ではなくなるのだ。ポストモダンは選択の世界だった。だがここから先は選択ができないことになるのだ。情報量が多すぎて、展開が早くなりすぎたのだ。

SNSから人の考えを検索する世界が始まった。それは悪いことではない。現代のシステムの報道や政府に問題があるから口コミの方が正しい可能性はある。だがそれを選択するという行為で世界を狭める可能性がある。で、見えちゃったのがSNSでの誘導やステマだ。そして3.11のフェイクニュース。それだけではない。インスタグラムのキラキラした生活の人やすげーチャレンジっぽい人とかの裏側までSNS検索で出てしまう。

ネットの正しい利用方法ってなんでしょうかね。油断しちゃいけない。この時点でもうなんか嘘くさい。

時系列的にはおかしいがLINEが柔らかいネットワークとして広がったのだが、繋がり続ける煩わしさという問題が出てしまった。

で、社会というのから切り離された個というのが存在しつつある。ネットワークの社会も恐ろしく面倒なものになりギリギリの状況にある。そしてフェイクニュースやらなんやら玉石混合の世界で、いや実生活すらもSNS対応のキラキラした人たちの裏が見える状況では、繋がりが個を認識させるだけになる。だがSNSが増大すればするほど、実社会のリアルはどうでもよくなる。いや、SNSすらも対応しない。

個が孤立する社会、それは近代の啓蒙主義の理想だったのではないのか?実はその通りなのだ。ただし彼らは個が独立すると言ってはいたがね。そこまで社会が分断されるとは思ってもみなかったのだろう。

表面的に見えている量産系女子の問題は、実は大きい。孤立した個人の選択できることはかなり狭いのだ。

いやいやそれは近代主義の理想的状態なのだがね。個人の確立なのだ。だが現在では、個人の孤立であり大きな物語が求められる理由にもなっている。

 

 

今年の十五夜は、暦の都合で満月ではない。

世の中そう言ったもんだ。

 


今日も暇だ

2017-10-04 01:10:22 | 日記

 

朝から雨だったせいか今日の朝は寒くなかった。

 

 

ラスベガスの銃乱射事件は悲惨なことになった。距離からゆくとAK-47突撃銃は弾が威力をましたものに改造されているように言われている。ラジオで聞く音からしても、よくあるAK-47の音と少し違う。通常はもう少し乾いた音だが、重い音がした。

日本人やヨーロッパ人はこんな事件が起きるたびに銃規制を考えるが、アメリカ人はあの現場に銃を持っている奴がいたら、応戦してこんな被害にならないと信じている人たちがいっぱいいる。それではそんなイベント会場に銃持ち込み可としたら、本当のテロリストたちが喜んでやってくるのではないのだろうか?おまけに会場の人々は、イベントの花火だと思ったら、何かただならぬ状況になり、2度目の攻撃で血みどろの人が逃げ惑うのを見て気がついた。

「俺様だったら、あの音を聞いたらすぐにISの奴らだと気がつくね、花火?あれはカラシニコフさ、絶対わかるね俺には。音の方向を見切って俺様のMー16をぶっ放したぜ。そうすればあのホテルに直撃さ!あいつはすぐに黙っただろうぜ。銃は必要なんだ!」

そうなのだろうか。改造したとしか思えない弾で、ホテルの32階に照準器をつけて三脚に据えたカラシニコフに狙われるだけではないのか。ゴルゴ13でもない限りどうもホテルとの距離はかなりあり、しかも下から上に向けて打つわけだ。命中率は下がり、流れ弾が発生しまくりホテル周辺は流れ弾での被害が多数出るのではないのか。逃げ惑う人が体に当たって銃の照準はずれまくって、近くにいる人に向けて発砲してしまうだろう。

「だからだ、全員が銃を携帯しなければいけないんだ。危機の時は団結して的に向うんだ。それがアメリカだ。我々は強いんだ」

全員が強いわけではないし、全員が敵の位置をわかるわけではない。間違った方向に打つ人もいれば、狙われている恐怖に怯えて盲滅法打つ人も出現するだろう。流れ弾や跳弾でさらに被害が大きくなるだろう。軍隊経験者もいたが、それでも逃げられなかった。もしかするとパニックの中、退避誘導ををしようと試みたかもしれない。

訓練された軍隊だったとしても、この場合は一旦退避になる。その上で攻撃目標を特定して攻撃となる。一般人ばかりのイベント会場では、ゴルゴ13がいたとしてもこのテロ被害を最小限にするのは難しいだろう。

そしてアメリカの銃関連株が上昇している。大統領選の時にヒラリーが当選する確率が高かった。彼女が当選した暁には銃規制が厳しくなると誰もが考え、銃器が売れまくったのだ。だがトランプさんなので一気に売り上げが下がり、銃器メーカーはかなり苦戦していたところだ。アメリカは銃輸出規制を緩めようかとまで言いだしていた。この事件で、銃器メーカーの株があがるという、つまり銃がまた売れると株式は予想したのだが、これがアメリカなんだろうな。

そして問題なのは、アメリカでの銃のお値段なのだ。日本製の最高級のモデルガンよりは安いにしても、AK-47が8万円。レストア品だろうがそれにしてもこのお値段。ロシア産の純正カラシニコフが経済制裁でアメリカへの輸出ができなくなり、アメリカ産のカラシニコフの生産が始まったばっかりというのも実はおかしな話なのだ。アメリカではここまで銃が売れているのだ。

 

 

今日は仕事なのだが暇だったので営業とゴドックスのストロボで遊んでいた。仕事で使う道具だから真剣でもあるのだが、やっぱりワクワク感があるんですね。だって2000円のライトボックスとか、どうとでも使える機材とか、その前にプロ用機材を従来の20分の一のお値段でですから、遊ばないというのはありえないんですね。アメリカ製と比較した日にはもうどうしようもない価格落差です。

とはいえ一発で適当に遊んでいるのでプロとは思えないけど、このクラスの機材でこれができるということは、多分誰でもできるわけですな。ただありがたいことに、ここからの先をブレイクできる方々が少ないんで、なんとか食っています。

ということで営業が持ってきた岩手大学学食名物焼きカレーです。要はカレードリアです。1)皿にご飯を盛ってカレーをかけてオーブンで焼く。2)くぼみをつけて生卵を落としチーズをかけてまた焼く。高カロリーですね。中で1100キロカロリーでしょうか。でも美味しい。そうカロリーは美味しさの単位です。高カロリーほど美味しいのですな。

 

 

ということで、効率的なダイエット方法がニューズウイークに載っていた。

基本的にはカロリーコントロールのダイエット法であって、つまり真面目なものだ。ただ一つだけ違うのは体を飢餓状態にしないということだ。カロリーコントロールのダイエット法は、2週間経つと体はその状態に慣れてしまって基礎代謝を落としてしまう。なのでそこで少しカロリー摂取量を2週間増やす。すると基礎代謝量が維持されるというのだ。糖質制限ダイエットの問題は代謝系のバランスを無視したところがあって、長期間にわたるとわからないところがある。グルテンフリーダイエットはもともと小麦アルレギーの人への処方が元になっているので、健常人には糖質制限と同じ考えになる。そして糖質制限も基本的には糖尿病患者への処方でもある。

ただ糖質制限ダイエットは、日本人がややもすれば担保悪質摂取量が足りなくなるのを意識させるという意味では、いい啓蒙だったと思う。

このカロリーコントロール法は難しくないし、スポーツの世界ではあった。なので安全だ。かなりオススメできる。

「まず、自分の体重をキープするために必要な1日の摂取カロリーを計算する。その数字を3分の2にしたものが、食事制限週間のあなたの1日の摂取カロリーとなる。栄養のバランスを考えながら、この摂取カロリーを守った食事を2週間、心がけよう。

2週間後、通常の食事に戻るのだが、ここで大切なのは、前述の「自分の体重をキープするために必要な摂取カロリー」から100キロカロリー減らした数字を、通常の食事週間で摂取すべきカロリーとすることだ。これを合計で8回行うと、16週間となる。」

ただ問題になるのは、自分の基礎代謝と活動量の測定なのだ。そこは大雑把に計算はできる。このサイトはスポンサードリンクが多すぎてあまり信用していないけど、とてもわかりやすいのでリンクを貼っておく。ボックスに数字を入れてゆけば簡単に計算できる。ただ一括計算しないので、計算結果をコピペして入力の手間がある。よくできているけどスポンサーリンクが多すぎて、ちょっと。

ここで計算すると私の基礎代謝は1720キロカロリーになる。我が家の体重計よりは100キロカロリー少ない数字になるがダイエットとしてはあるあるの、筋肉多いだからとかそういった言い訳をやめておく。そして標準的な活動量としてデスクワーク等の中程度を選択すると、3010キロカロリーになる。

実はみなさま計算を間違うのは基礎代謝と活動量を合わせた計算結果がここでの活動量なのですね。ここを間違うと悲惨な結果になります。なのでこのサイトは計算式をしつこく書いています。基礎代謝が1720キロカロリーで活動量が1290キロカロリーです。よくあるミスはこの計算に対して基礎代謝を足してしまうことです。私の場合は4730キロカロリーです。3食として一食あたり1577キロカロリーです。先の焼きカレーにサイドメニューを入れたらあっという間の数字です。これやったら太りますな。

この活動量なのですが、ほぼ食べ物を食べるために使われています。カロリーを摂取するためにカロリーを消費しているのですね。そして哺乳類最高傑作の人体というのは、見事なまでに筋肉のエネルギー効率が高いんですね。野球のピッチャーが1試合で消費するカロリーは400キロカロリー。ウオーキングで1万歩歩いたのと大して変わりません。運動したからというのは言い訳でしかありません。

ということで私の場合は、2週間1食650キロカロリーの食事を続け、次に一食970キロカロリーを目指せばいいわけです。

かなり合理的ですね。でも私の場合どうなのかな。最近おやつが増えたのはあるな。

スポーツやダイエットの理論は基本的にイワシの頭です。信心だけが大切です。ですが信仰を深めるための合理性というものを失わないようにしなければいけません。実はここが一番難しいところです。