さて、困った。大阪の親戚の家の前で伯父と一緒に撮った写真の日付は「7月24日」になっている。親戚の家や大阪の八尾にあり、その八尾から敦賀まではおよそ150kmほどなので、1日で走ることは可能である。もし、当時のフェリーの出航時間も現在と同じように夜中であれば、そんなに朝早く出発しなくても余裕を持って走ることができる。
よって、日付が変わった25日の便に乗れば、その日の夜には小樽に入っているはずである。それで26日の朝から北海道を走ることは可能だ。北海道で最初に撮ったのは宗谷岬のようで、その日付は「7月29日」である。その間の記憶がほとんどない。
フェリーで小樽に到着して北上しているわけだが、どのようなルートを通ったのか全く思い出せない。まあ、「遠回り」などはするようには思えないので、ずっと海岸線を走ったか、その一つ内陸にあるルートを走っているに違いない。最短距離の日本海の海岸線だと350kmなので、3日あれば、北海道の走りやすい道だと余裕を持っていくことができる。
「最北端の地」の宗谷岬の後は、オホーツク海の海岸線に沿い、網走を経由して知床半島を目指している。知床半島を横断した後も、ほぼ海岸線に沿うように根室、釧路と走り、釧路からは北上して北見に向かった。そして、北見からは、「国内バイク・ツーリング」でも訪れた層雲峡を通って内陸部を目指した。
残念ながらラベンダーの時期を外してしまった富良野を訪れ、帯広を経由して太平洋側の海岸線に出ている。その後、再び海岸線に沿って苫小牧を目指して走っている。
そこから北上しているが、札幌まで走ったかどうかは定かでない。アルバムの中には「サッポロビール園」で撮った写真があるので、恵庭市(えにわし)までは確実に走っている。そして、駅で寝泊まりした写真もあり、「もしかしたら、これは札幌駅なのでは?」という気持ちと、「そんな大きな駅に寝泊まりできたであろうか?」という気持ちが交錯している次第である。
いずれにしても、そこから再び海岸線にでて、本州にフェリーで渡るために函館まで下っている。ルート的には不明な部分も多少はあるが、写真には全て日付がついているので、巡っている観光地などの順番には狂いはないはずだ。ただし、「これ、どこで撮ったのだろう?」というものは結構あったりするが…。