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漫画家 ちばてつやさん しんぶん赤旗インタビュー

2012-12-11 | 各界インタビュー
あしたのジョー2 第23話のレストランのシーン(1/2)


漫画家 ちばてつや さん 

しんぶん赤旗インタビュー(日曜版2009年6月7日号)


「あしたのジョー」で圧倒的な人気を博した、ちばてつやさん。初めての絵本『ごあいさつ』(講談社)を出しました。

 カナダに住む3人の孫に語りかけるように描きました。
 今はお話したり、遊んでやることはできないけれど、どこで暮らそうと、みんなにちゃんとあいさつし、仲良くするんだよと。

 漫画はこま割り、絵本は見開き。初めての絵本を、大きい絵でのびのびと書きました。
一方ー。「色彩、世界観、メッセージ。子どもにわかりやすい表現というのは難しい。難しいことを分かりやすく。うちの生徒にも、そう言ってるんです」

  *

 「うち」とは、文星芸術大学(宇都宮市)。ちばさんは、マンガ専攻の教授です。ことし4年になります。
 今の若者たちは、初めから絵がうまいといいます。子どものときからマンガやアニメゲームなどの映像を見て育っているからと。

 だが、若いマンガ家も含め、少し気になることは、主人公たちの目が冷たいことです。世の中を恨んだり、自分の運命をのろったり。恨みがましい目が多い、と。

 「若い人は将来に不安があったり、希望がもてなかったり。そういう時代を映しているのだろうとは思います。でも、夢のある作品を描いてほしい」
 ちばさんが漫画を通して伝えるのは、夢に向かって生きるひたむきさ、人間賛歌です。

 * *

 1945年8月、ちばさん一家は「満州」(中国北東部)の奉天。8月、侵入してきたソ連軍におびえながら転々としました。一家が身を潜めたのは狭い屋根裏部屋。父の友人で中国人の徐集川さんの家でした。

 外には出られず、退屈な日々。6歳のてつや少年は、3人の弟たちのためにお話を考え紙芝居を作りました。

 「漫画家への原点です。弟たちがせかすので、色など塗っていられない。でも、線描だけのつたない絵でも人を喜ばせることができる、と気がついた」

 敗戦。地獄の旅を経て引き上げ船で帰国。高校の頃両親が相次いで入院。家計が長男てつやさんの肩にのしかかります。
いくつものアルバイトの末、漫画家になりました。

 敗戦から64年。今年『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。漫画家や作家101人の作品集です。8月には、その原画展が中国の南京虐殺記念館で開かれます。ちばさんも訪れます。

 「戦争は残酷なものです。憲法9条を変えようという動きもあります。改憲したら、戦後大切にしてきたものが、ガラガラと崩れてしまうのが怖いのです。戦争の『残酷な現実』をできる限り後世に伝えていきたい」

 玄間太郎記者 撮影・佐藤光信記者

 ちばてつや
 1939年、東京生まれ。56年、単行本作品でプロデビュー。58年『ママのバイオリン』で連載を始め、61年『ちかいの魔球』で週間少年誌デビュー。作品に『ハリスの旋風』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』など多数。講談社児童まんが賞、小学館まんが賞、紫綬褒章など受賞。日本漫画家協会常務理事。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年6月7日号)

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