佐々木俊尚の「ITジャーナル」

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ひろゆきとライブドア社長の共通項って?

2004-10-01 | Weblog
 ライブドアの堀江貴文社長は、何とも不思議な魅力をたたえた人物である。実のところとっつきはきわめて悪く、性格には温厚さがかけらもない。以前私がある月刊誌で編集者をしていたころ、若い女性ライターに創業間もないオン・ザ・エッヂ(現ライブドア)の取材を頼んだことがある。その彼女は堀江社長への取材を終えて、編集部に戻ってくると、半泣きになってこう言った。

 「もうあんなところ、二度と取材に行きたくありません!」

 聞いてみると、どうも堀江社長にさんざん無知を馬鹿にされ、なかば逃げ返るようにして取材を終えたらしい。彼女の気持ちは分かる。堀江社長は相手がモノを知らなかったり、自分よりもバカだと思うと、露骨に白けきった顔になり、態度も変わってしまうのだ。
 その一方で、自分にないものを持っている人間に対しては、かなりていねいに遇する。尊敬の念もきちんとあるし、決して冷たい人間ではない。

 その心持ちは、どう言葉で説明すればいいのだろう。人間性が単純というのではない。それは言ってみれば、「身も蓋もない」のである。それが証拠に、「どうしてそんなにひどい扱いをするんですか?」と聞くと、「だってバカですよ?」と答える。その時の堀江社長の表情には、「どうしてそんなことを聞くんだ?」という驚きがあるのである。バカだ、低能だと思えば相手にしないし、そうでなければきちんと相対する。そんなのは当たり前だ、ということなのだろう。

 だから彼のビジネスも人間性と同じように、身も蓋もない。儲かればやるし、儲からないものには手を出さない。能力のある人間には高給を約束し、そうでなければ最低限の給与しか払わない。本人は「当たり前のことをしてるだけじゃないですか。なんでみんなやらないの?」と不審がる。

 でも普通の世間は、それほど身も蓋もないわけではない。しがらみもあれば人情もあり、四の五の論を言わなければ、ものごとが進まないことだってある。そう簡単に「身も蓋もない」という境地には行き着けないのだ。

 しかし堀江社長は、四の五の言わない。最近は「老害はけしからん」「若者の力で社会をぶっこわせ」と持論をぶち上げ、社会変革の騎手になりつつあるが、言い始めたのは最近である。イーバンクへの出資が失敗し、長銀や三井物産出身のエスタブリッシュメント役員たちと衝突した事件が起きて以降ではないか。

 そして、そうした「身も蓋もなさ」「四の五の言わない」感じというのは、古いメディアの記者にはなかなか伝わらない。オールドメディアは身も蓋もないことは好きじゃないし、四の五の言うのが大好きだからだ。人間のさまざまな行動の背景には、必ず高邁な精神や深い人情などがなければならないし、記事にそういう部分を盛り込まないと、必ずデスクに怒られる。

 「人間が書けてないぞ!」というのである。

 でも本当に書けてないのだろうか。四の五の言わず、身も蓋もなく仕事や遊び、生活に邁進するというあり方は、若い人たちの間で最近すごく増えている気がする。

 しばらく前、2ちゃんねる管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏を取材し、4ページの記事にまとめたことがある。その時の印象は、「なんて身も蓋もない人なんだろう」というものだった。

 私の受けた印象では、彼の能力は途方もなく高い。優秀な人々を自分の周りに集め、その人たちをうまくとりまとめて仕事を進めていく運営能力のような部分は秀逸だ。そして知識も豊富で教養もあり、弁舌もさわやかだ。彼の社会に対する鋭い分析を聞いていると、ときどきはっとさせられることがある。

 だがひろゆき氏は、その能力をほとんど自分のためには使っていない。議論をする高度な言語能力を持ちながら、しかし自分自身についてはふわふわとしか語らない。ネット社会の行方や分析では饒舌に持論を展開するが、自分自身の話になったとたんにするりと言葉が上滑りしてしまう。

 そんな彼をどう書くか。その記事は新聞社系の雑誌に掲載するものだったから、やっぱり四の五の言わなければならない。それで私は、こんなふうに書いた。「高度なスキルや知識を持っておきながら、その『知』をひたすら浪費し、遊びに明け暮れている』――。

 堀江社長とひろゆき氏は、見た目も性格も年齢も目指すものもまったく異なっているけれども、その「身も蓋もなさ」においては、どこかに共通点を持っているような気がするのである。

はじめに

2004-10-01 | Weblog
 来る日も来る日も取材にかけずり回り、そしてひたすらに黙々と原稿を書いていく。この17年間、そんな風にして日々を送ってきた。多くの人に会ってきた。ベンチャー企業の経営者、技術者、官僚、政治家、文化人。詐欺師にもヤクザにも、犯罪被害者にも数え切れないほど取材した。日々の取材の中で得た話には、あまりに恐ろしく墓場まで持って行かざるをえない情報もあれば、書かせてもらえる媒体が見つからないまま風化してしまった情報もある。持てあましてしまったそんな断片のいくつかを、ブログで紹介してみたい。