佐々木俊尚の「ITジャーナル」

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かつて、キュービーというベンチャー企業があった

2005-01-14 | Weblog
 かつて、キュービー(旧STAR DSL)というベンチャー企業があった。名門として知られる私立麻布高校の同級生二人が創設した会社である。

 その名前には、懐かしく思い出す人もいるだろう。ネットバブルの末期、ADSLを使った映像配信サービスに取り組んだベンチャー企業である。同社が計画していた「レンタルビデオ・オンライン」は、テレビに接続できるセットトップボックスをブロードバンドユーザーに月額800円でレンタルし、映画などのコンテンツを「1泊2日」や「7泊8日」で視聴してもらうというサービスだった。

 コンシューマ向けのADSL接続サービスは、が東京都心部などでスタートしたのは、1999年。ネットバブルの真っ盛りである。ISDNからFTTHへのゆるやかな移行を目論んでいたNTTの激しい抵抗もあり、アナログ回線を使うADSLは当初はなかなか普及しなかった。だが2001年にYahoo!BBが超低価格ADSLで市場に参戦し、日本のブロードバンドは爆発的な普及に向かう。

 そうした状況下にあって、2000年に当初米国で設立されたキュービーのビジネスは、業界からも大きな注目を集めたのである。30数人の社員を抱え、広いオフィスを青山通りの一等地に構え、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

 ところがキュービーのビデオオンデマンドサービスは、結局は実現しないまま終わってしまう。そしてキュービーという会社自体も、忽然と消えてしまったのである。

 サービスインしたものの、利用者が集まらずに運営資金がショートして……というのであれば、ごくありふれた話ではあるし、納得はできる。しかしキュービーのサービスは、開始さえしていなかった。

 では、セットトップボックスを含む肝心の技術開発が壁にぶち当たり、最終的には商品化ができなかったのだろうか? しかし当時の関係者によれば、キュービーはその末期にはセットトップボックスのプロトタイプを作り上げ、相当な完成度を誇っていたという。後は量産するだけという状況だったのだ。

 ではいったい、何がキュービーに起こったのだろう?

 実は当時のキュービーは、突如としてベンチャーキャピタル(VC)から資金を引き揚げられてしまい、たいへんな苦境に陥ってしまっていたのである。

 キュービーはとあるVCと組み、このVCの担当幹部から「サービスを開始するまでに総額15億円の出資を約束する」という言質を得ていた。最初に4億円が投下され、セットトップボックスの技術開発は順調に進められた。そしてプロトタイプが完成し、後は量産してカスタマーセンターを整備し、サービスインまで後一歩……という状況になったところで、担当幹部から「残る出資については、社内のコンセンサスを得るのに時間がかかる。とりあえずは3億円を融資のかたちで渡すので、しばらく待ってほしい」と連絡があった。つまりは投資ではなく、いったんは借金の形にしてほしいというお願いである。

 キュービー側はVCの担当幹部を個人的に信頼していたから、この申し出を当たり前のように呑んだ。3億円の融資については、何らかのかたちで将来は出資に切り替えるという話だったし、担保も要求されなかったからだ。

 ところがこの直後、物語は暗転する。

 この担当幹部が、いきなりVCを追われてしまったのである。そして後任の担当者は、キュービーの経営陣を呼びつけるなり、こう言いはなった。

 「今後は出資はしない。また融資した3億円については、即刻返済してほしい」

 VCの内部で、いったい何が起こったのかは今もよくわかっていない。いずれにせよ何らかの“政変”があり、キュービーはそのあおりを食らったということなのだろう。だがサービスインを目前にしていたキュービー側にとっては、こんな話が受け入れられるはずもなかった。

 キュービーとVCは、何度も話し合いを繰り返した。だがVC側の態度は強硬で、とりつく島もなかった。そのうち会合の席に、VCは胡散臭い人物まで同席させるようになり、この人物が「カネ返せやっ!」と大声で恫喝するというような事態にまで発展する。

 さらにはVCが以前からキュービーに出向させていた役員2人が、キュービー社内で社員たちをさんざんにかきまわすようになる。「この会社はもう終わりだよ」「すぐつぶれる」「今度新しい会社を作るから、君たちもこないか?」。社員たちは動揺し、気持ちも離反するようになり、共同創設者の経営陣二人は社内で孤立した。

 そして最終的に、経営陣はキュービーを処分するところへと追い込まれていった。キュービーを売却し、その売却金額を全額VCに支払い、借金の返済に充てることで両者は合意したのである。創設者二人は無一文になったどころか、キュービーの未払い金など約4000万円の借金を背負わされた状態で、放り出された。

 その後の二人の苦境は、ひどいものだった。ひとりは体調を崩して入院し、もうひとりは支援者が無料で貸してくれた西新宿の狭いオフィスで寝泊まりしながら、借金の返済に追われ、旧事業の処理を続けた。経営者とはいってもキュービー時代の役員報酬は、通常のサラリーマン程度しかもらっていない。蓄えもなく、場末にある牛丼屋で一食200円の牛丼を毎日2回食べ、1か月15000円の食費でしのいだ。オフィスには風呂もなく、ベランダで水シャワーを浴びる毎日だったという。

 だが二人のベンチャー人生は、これで終わりにはならなかった。エンジェル(個人投資家)の支援を受けて、2003年には再び新たなベンチャー企業を立ち上げたのである。オフィスは臨海部の倉庫の4階にある、殺風景な部屋。トイレもない。

 だがこの場所で二人はビデオ配信技術を核としたビジネスを開始し、設立2年目の今期は早くも黒字化を達成している。

 その新しい会社の名前は、SENTIVISIONという。数年前、1日500円の食費で頑張っていた現SENTIVISION社長の明瀬洋一氏は、こんなふうに話すのである。

 「多くの人に支援していただいた。キュービー時代から僕らを信用し、僕らをサポートしていただいた人たちに、僕たちが賭けていた技術とビジネスが間違ったものではなかったということを証明したい。いまはそういう気持ちでいっぱいです」