佐々木俊尚の「ITジャーナル」

佐々木俊尚の「ITジャーナル」

かつて、P2Pビジネスが盛り上がった時代があった。

2005-01-06 | Weblog
 2002年春ごろのことである。渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで「P2P Conference in Japan」が盛大に開かれ、ネット世界の論客として知られるGLOCOMの公文俊平氏らがP2Pの将来について熱く語った。当時のパンフレットを資料棚から引っ張り出してみると、こんなふうにうたいあげられている。

 「米国ではP2Pをコアコンピタンスにした企業の起業ラッシュが一巡し、現在はグループウェアやコンテンツ配信など、第2世代ともいうべきP2Pテクノロジーが広がっています.また日本でもコンテンツ配信、検索、プラットフォーム、ワイヤレスなどの分野で次々と製品が発表され、P2Pはすでに著作権問題などの話題先行型のテーマから、実際にビジネスを行う段階へ確実に移行したと言えます」

 P2Pというのは、ご存じのようにピア・トゥー・ピアの略。クライアント・サーバモデルと異なり、中央サーバを介さずにマシン同士を直接結びつけるという仕組み。このトポロジーは決して新しいものではないが、中央サーバのコントロールを受けないという特徴が注目され、1990年代末から再び脚光を浴びるようになった。

 その代表的な存在は、NapsterからKazaa、WinnyへといたるP2Pファイル共有ネットワークの系譜である。だがこの系譜は一方で、P2Pにアングラなイメージを与えてしまう結果となった。

 この系譜とは別の場所で、P2Pをビジネスへと生かしていこうという流れもあった。P2Pは、これまでのサーバ・クライアントモデルでは実現できなかったようなビジネスモデルを生み出し、インターネットビジネスに新たな地平線を切り開くのではないかと期待されたのである。

 なんといってもP2Pはとても新しかったし、P2Pが作る新たな技術のパラダイム、新たなビジネスのかたちを語るのは、猛烈に楽しかったのだ。多くの人がP2Pに熱中し、興奮しながら夢を語り合った。その結実のひとつが冒頭に紹介したP2P Conferenceで、アリエル・ネットワークスやスカイリー・ネットワークス、アンクル、ビットメディアといったP2Pベンチャー企業群が世間に紹介され、一世を風靡したのである。

 しかし現在、P2Pをターゲットとしたビジネスはわれわれの前から姿を消し、どこかに消え去ってしまったようにもみえる。華々しく離陸できた企業は非常に少なく、インターネット業界で「P2Pビジネス」という言葉が語られる機会も、ほとんどなくなってしまった。ただひとり盛り上がりを続けているのは、Winnyに代表されるP2Pファイル共有ネットワークのみである。しかしこれはビジネスではない。

 2002年当時、P2Pビジネスブームの立役者だったキーマンのひとりは、最近こんなふうに漏らしていたと聞く。

 「うーん、儲からないんですよね……。だからとりあえずはちょっと、P2Pとは距離を置いてみようと思って」

 そもそも2002年当時はネットバブルの崩壊直後で、P2Pベンチャー各社が開発資金を十分に調達できなかったという背景もあった。盛り上がったのはいいが、カネが続かずに失速してしまったというわけだ。あるP2Pベンチャー経営者は、こう話している。

 「会社を立ち上げたころはすでに氷河期の真っ最中。心の底から冷え切るような状況の中で、会社を軌道に乗せるまでにはたいへんな苦労をした」

 ネットバブルの反省から、投資側は収益の期待できないビジネスモデルには投資しなくなていた。技術力よりも、まず第一に収益が上げられるかどうかが求められたのである。「夢を買う」と言われたネットバブルの時代とは、180度の転換だった。

 別のP2Pベンチャー経営者は、こう話す。「P2Pに対する期待が大きすぎたのに加え、ファイル交換などでダークな部分が強調されてしまったこともあったんですよね。イメージで負けてしまったのかも」

 彼の企業は独自のすぐれたP2P技術を持っているが、現在の収益源はまったく別のところにある。ソフト開発の下請で何とか糊口をしのいでいるのだ。彼は、こうため息をついた。「まあP2Pはマイドリームということで……。これからも開発は続けていきますが、あくまで夢の世界ですね。生活とは別」

 分散協調の枠組みを持つP2Pテクノロジーにはわくわくするような夢と楽しさがあり、2002年ごろにはみんなが熱中していた。だが彼の言うとおり、夢と生活は別なのである。わくわくする技術だからと言って、それが収益につながるとは限らない。

 P2Pは「ビジネス」と「テクノロジーとしての面白さ」の間で揺れ動き、結局はビジネスが優先されて天秤がガタンと落ちてしまい、そうして2002年以降は失速してしまったのである。

 だがここに来て、再びP2Pは注目を集め始めている。通信業界をひっくり返しそうな勢いのSkypeは、アンダーグラウンドなP2Pファイル共有ソフトのKazaaを開発していたメンバーが作り上げたものである。日本のP2Pベンチャーの雄、アリエル・ネットワークスもSkypeと組み、Skypeと連携できるスケジュール共有ソフトを昨年末に発表した。

 日本でもそろそろ、新たなP2Pの夜明けが見えてくるころかもしれない。