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Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

室内楽の演奏会を終えて・・・

2006年10月16日 | 音楽
今日、10月15日(日)、私の所属するオーケストラの室内楽コンサートのシーズン第一回目のコンサートで、バルギエルとメンデルスゾーンの八重奏をひきました。

なかなかハードなプログラムだった上、オーケストラの練習とコンサート、しかも地方でのコンサートもあって、その合間を縫って練習したりで体の調子をよく保つように考えねばならぬ週でした。

コンサートはとてもうまくいき、音楽をやっていてよかったとの思いを新たにしています。

このコンサートはオーケストラの仲間と組んで行いました。八重奏はなかなか大変で、全部のパートを聞き取るのも難しいし、練習の仕方も難しかったですが、幸い、第一ヴァイオリンが非常にうまくリードして練習をしてくれました。時にぶつかる事はありましたが荒立つ事もなく、連帯感も出来、コンサートはとてもうまくいきました。来てくれた人々はとても喜んでくれ、元気が出た、生き生きとした気持ちになったとの言葉を聴くとああ、演奏してよかった!と喜びを感じます。

終わったあと、レセプションがあり、白ワイン、赤ワイン。サーモン、フォワグラ、鴨の燻製のカナッペ。小さないろいろな種類のお菓子が出て、仲間、来てくれた人たちといろいろ話し、楽しいひと時を過ごしました。

日曜日の11時からのコンサートでした。家に帰って食事をし、軽く昼寝をして、散歩に出かけました。
大役を果たし、気分も快適、天気も快適、いくらでも歩きたくなった午後でした。

最近聞いているもの

2006年09月24日 | 音楽
仕事場のすぐそばに、この町一番の図書館があります。CDも借りられるので、登録しました。

いろいろなCDがあって迷いますが、とにかくこれ、っと直感で借りてきています。この前「トニー・ベネット」のCDを借りてきました。
実はトニー・ベネットって知らなかったのです。
1950年~60年にかけてヒット曲を出した人ですが、今、車に乗ると、これをかけていい気分に浸っています。

豪華なオーケストレーションのものはよき時代の華やかな舞台を思わせるし、ジャズは昔の映画の場面を思わせます。

どうも私はひとつのものをしつこく聞く事の出来る性格だという事を発見しました。これ,何回も聞いているのに飽きないんですよ。
今、家でも聞きながらこの記事を書いています。

是非歌詞を聞き取って歌ってみたいですね。

イタリア/スポレットへ行きました

2006年07月18日 | 音楽
ローマから180キロほど北にあるスポレットに行ってきました。
紀元前三世紀前に出来たウンブリア地方の重要な町です。

町にしつらえられた野外舞台で演奏しました。
3000人の人が聞けるように道路を閉鎖していすが並べてあります。
生の音より、マイクで拡大した音の方が大きく、オーケストラに近い席ではあまり聞こえず、後ろに行くほどよく聞こえると言うまずいものだったようです。

熱演の割りに、前の方の紳士淑女が拍手をしていなかったのが不思議でしたが、そういう理由のようでした。

イタリアのコンサートには男性はタキシード、女性はドレス、それもとても品のいい素敵な着こなしで来ます。見ているだけでいい雰囲気に浸れます。

警備に当たっている警察の人だと思いますが、制服が素敵で、ぴたっとしたしわひとつない制服に制帽をかぶり、それこそ皆さん美男に見えました。

このコンサートはスポレットフェスティヴァルの7月の区切りの終幕コンサートで、コンサートのあと、ディナーに招かれました。
私たち音楽家は庭とバルコンでブッフェ形式。子牛肉のシャンピニオンソース、リゾット、ナスのグラタン、ジャガイモのソテーなどなどおいしいものがふんだんに出ました。デザートも豊富。果物のサラダが人気で出てくるとあっという間になくなり、何度も食べ損ね、最後にやっと新しく来たときに駆けつけて食べることが出来ました。

コンサートの日は朝と午後はフリーでしたので汽車で30分くらいで行けるペルジヤに行ってきました。ここは町全体が美術館と思えるくらい歴史的な建物が並んでいます。建築が素晴らしいですね、イタリアは。ここではジャズのフェスティヴァルもやっていて、昼ころからは人出が増え、町を歩くのもままならぬほどでした。
アッシジも近かったのですが、コンサートもあるしで、今回は私は断念しました。

イタリアは久しぶりでしたが、魅力的な国です。またゆっくり行って見たいですね。



オランジュのオーケストラピット

2006年07月13日 | 音楽
闇夜に浮かぶ譜面です。

このような譜面台の上についている電気で楽譜を見て弾いています。
外でひくので風が出てくると、洗濯バサミで楽譜をとめます。
風があまりに強いと時々は楽譜と格闘になることがあります。
今年はあまり風が吹かず平穏に過ぎました。

昨日の公演では今年最高気温日中39度になりましたので夜も石段が熱くなっていて大変な熱気でした。

これでオランジュの仕事は終わりましたが、楽しかったですね。この次はいつになるかな。来年はほかのオーケストラだそうです。

アイーダ・・・ オランジュにて

2006年07月08日 | 音楽
ヴェルディの有名なオペラ「アイーダ」がフランスのオランジュのフェスティヴァルで公演されています。

この写真は先日行われた総舞台練習の時のもの。
オランジュの舞台は大変幅広く、舞台栄えするようにするにはなかなか大変だと思います。やはりアイーダ級のいろいろな舞台装置が使えるオペラを上演するのに適していると言えるでしょう。

配役は次の通り

指揮 ミシェル・プラッソン
舞台 シャルル・ルーボー
照明 ウラディミール・ルカセヴィッチ
装置 エマヌエル・ファーブル
衣装カチア・ドゥフロ

アイーダ:インドラ・トーマス
アムネリス:マリアンヌ・コルネッティ
ラ・サセルドテサ: マリー・ポール・ドッティ
ラダメス:ロベルト・アラーニャ
アムナスロ:セング-ヒュン・コウ
ラムフィス:オルリン・アナスタソフ
イル・レ・ディ・エディト: ダニエル・ボロフスキー

9000人入る巨大なテアトルですが、舞台にいるとせりあがった座席のせいか、とてもそんな人数を収容するようには見えません。

演奏開始は日が完全にくれるのを待って、21:45。
照明のためにこのような遅い時間から始めます。

アイーダ役のインドラ・トーマスは大変美しい顔立ちですが、巨体と言ってもよい体格。スカートの張ったドレスを着ているために、その欠点は隠されて素敵でした。声の質は大変素晴らしい。震えるようなソプラノです。

ラダメスのロベルト・アラーニャは今ではフランスを代表するテノール歌手です。
駆け出しの当時に比べると自信に満ち、きれいに日焼けした素敵な男性。舞台裏で何度もすれ違いました。写真を一緒にとって見たいと思うんですが・・・
アラーニャらしいまあるいチャーミングなテノールで堪能しています。

韓国人のセング-ヒュン・コウが大変に素晴らしい声で、一番の喝采を受けていました。

昨日がアイーダ初日。オペラ終了が朝1時半。
ホテルに2時に戻り、今朝はそれでも7時に目が覚め、友人の車に便乗して、我が家に戻りました。二回目の公演まで2日の休みがあるのです。

10日間のオランジュ滞在で、夜しか練習しませんので、昼間はホテルのプールに行ったり、人によっては自転車を持ってきて自転車であちこち回ったり、テニスをしたりして、半分ヴァカンスの様相です。

でもオペラの演奏というのは集中力を要するので、よく体調と相談しながら行動しないとなりません。なかなか難しいところですが、南仏の空気はなんともいえない魅力があり、快い日々を過ごしています。




今週のお仕事

2006年03月30日 | 音楽
なんとフラメンコの音楽です。
Carmonaというギタリストの作曲です。
題名は「Sinfonia Flamenca」

楽譜を見たときは「うーん、ひらめきがないなあ」と思いました。
弾いたらますます、エスプリがない。
一回オーケストラの練習。一回ギタリスト、歌、バイオリン、打楽器というCarmona のグループと合わせ。
指揮者が合わせられない。約一時間、われわれは、しまーっとしながら弾いたり見たり。でも、こういう音楽って、グループのみんなは耳で聴いて弾いていて、オーケストラのことを考えてないのですよね。(ちょっと指揮者を弁護)
明日本番なのにどうする????

フラメンコのダンスは明日朝ゲネプロでしかやらないのかな?
今日は男の人だけが一部だけ踊っていました。

オーケストラ無しでやった方がいいのではないかしら。
われわれはむちゃくちゃ速いテンポで弾きまくらされました。
どんなだったか明日の夜またコメントしましょう。

今週のコンサート

2006年03月19日 | 音楽
今週はつらく厳しい週でした。

プログラム

ラヴェル:シェーラザード(ラヴェルの最初のオーケストラ曲)
デゥティーユ:交響曲第一番
デゥティーユ:ミステール・デゥ・ランスタン(Mystère de l'instant)
ラヴェル:ラ・ヴァルス

プログラムはとても素敵なのですが、何しろ指揮者が自分の要求する音楽を振ることが出来ない。口では説明できるが体で示すことが出来ない。

いつもは整然と整った演奏をするわれわれのオーケストラがめちゃくちゃな音になってしまいました。本当に迷惑な話です。
合わないのがわかっていてあわせることの出来ないストレス。
毎日くたびれてヴィタミンCを飲んでいました。

昨日今日と二回の本番が終わりほっとしています。
今日はさすがに二回目で、オーケストラの方で表現をしようとして、少しはましな演奏になりました。でもこれでは本末転倒ですね。何のために指揮者がいるのだか。

今日は愚痴になってしまいました。ひとりの悪い指揮者のために大勢の人間が犠牲になる・・・ちょっと政治の世界と似ていなくもありませんね。

昨日の出来事

2006年02月11日 | 音楽
大変なことが起こりました。
昨日はいつものコンサート会場を離れて、大きなイベント会場でのコンサート。
「指輪物語シンフォニー」でした。映画「指輪物語」の音楽のモチーフを使った6楽章のシンフォニーです。
大々的宣伝をしていわゆる年度の大イベント的なコンサートなのでした。

音楽は映画と見ながら耳に入る分には素敵なのでしょうが、いつも同じトーンで
こんなのでお客さんは満足するだろうか?
と、われわれオーケストラマンの間では危惧していました。

まあ、それでもコンサートはがんばろう、と気を取り直してⅠ楽章を引き終わりました。
指揮者がゲネプロのときに、一楽章のあとで、きっと拍手が出るので少し待つことになります、といっていましたが、まったく出ず、第二楽章を弾き始めたら・・・・

昔バスケットのチャンピオン選手だったという巨人のような指揮者の体がくずおれ頭から倒れたのです。

茫然自失

とはまさにこのこと。

皆総立ちになり、一瞬事態が飲み込めませんでした。
「Pompiers!」(消防夫のことですが、病気、事故などの救急のときによびます。)と叫び、ひかえていたPompiers (イベントの時には必ず来ています)がすぐ駆けつけ、会場に来ていた医者も来て、心臓マッサージ。
来ている人たちに見えないように、われわれオーケストラマンが舞台のふちに立って人垣を作りました。

救急車もすぐ来ましたが動かさない方がいいのか、マッサージを続けました。

もちろん、コンサートはお流れ。会場に来ていた人も、言葉もなく出て行きました。恐ろしさで、気を失った女性もいて、こちらの介抱もしなければなりませんでしたが、彼女の場合は心臓とは関係なかったようです。

皆心配なのと驚愕とで1時間くらいは立ち去れませんでした。
でも、いてもどうしようもないのでまだ鼓動が戻ってきていない、という言葉を聴きながら会場を後にしたわけです。

今日も二回目のコンサートがあるのですが、今連絡待ちの状態です。

いつもユーモアを交えながら楽しく練習をしていった指揮者なのですが、コーラスがアマチュアでまったくさえなかったし、われわれもあまりの音楽の稚拙さに、言葉もなく「こんなのでいいの?」という雰囲気がむんむんと漂っていました。

もしかしてそんな雰囲気を敏感に察知していて、ユーモアたっぷりの態度とは裏腹にかなりのストレスがあったのかも、とか、私なりに勝手に解釈してしまっていますが、実際は病気を持っていたのかもしれません。

指揮者の蘇生を心より祈っています。

ベルリオーズ その5

2005年09月11日 | 音楽
二部作のオペラ《トロイ人 Les Troyens》(1855-58)は
上演の機会が得られないままに、老ベルリオーズはなおも
オペラ《ベアトリスとベネディクト Béatrice et Bénédict》(1862)を
書き始めます。
ハリエットの死(1854)後再婚した妻マリーの死(1862)は、
先妻との子ルイ(Louis)の死(1867)とともに彼の不健康な身に
さらに孤独感を募らせます。
リストの好意により、オーストリア、ドイツ、ロシアの演奏旅行を
行いますが、これが彼の最後の演奏旅行となりました。
一生を波乱多い戦いのうちに過ごした彼は、以後死を待つばかりのみ
となり、1869年3月8日苦悩に満ちた一生を閉じました。

彼の音楽に関して、久納慶一氏の興味深いコメントがあります。
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 標題音楽という新しいジャンルを作り出したが、彼にとっては交響曲
 とかオペラといったジャンル別はむしろ意味がなく、すべての作品が
 劇的であり、管弦楽的である。… 標題音楽の本質は音楽劇に他なら
 ないのである。音楽を進行さすものは彼にとっては形式ではなく、
 ロマン的な幻想であった。… ベルリオーズの天才はそれをはるかに
 こえ、伝統的な形式や枠を破って、音楽-音楽の持つ感情を作品の
 支配者の地位に置いたのである。
 こうしたベルリオーズの作風を側面から特徴付けるもうひとつのものは
 管弦楽法である。彼がオーケストラに求めたものは、
 微妙なリズムによる音量の幅、表現の幅でもあった。

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フランスはこの偉大な作曲家を彼の生存中には受け入れませんでした。
彼の死後数年たって、ゴティエ(Théophile Gautier)が、
彼とヴィクトル・ユゴー、ドラクロアの三人をロマン派芸術家の象徴と
してあげて以来、彼のフランス音楽における位置は定まりました。

*ここに載せた写真はベルリオーズの生家を道路側からとったものです。

ベルリオーズ その4

2005年09月08日 | 音楽
オランダとドイツに出かけていました。
ちょっと間があいてしまいました。

さて、買い物小僧さんがとても興味深い指摘をしてくださいました。
ベート-ヴェンの音楽とベルリオーズの音楽は100年くらい
隔たっている感じがするが、実はほぼ同年代ということです。

音楽の出発点が違うことがまずひとつでしょうか。
ベートーヴェンはピアノをお父さんに厳しく教えられました。
一方ベルリオーズは、家にあったお父さんのフルートとギターで独学したのみ。

興味の対象も主にオペラや劇ですから、クラシック音楽には
あまり触れてなかったのかもしれません。

ベルリオーズはリストに強い影響を受けたそうです。

ベートーヴェンがピアノ,室内楽にすばらしい作品を書いているのと対照的に、
ベルリオーズはピアノと室内楽曲は書いていません。

あの色彩感は作曲の形式を先に学んだ人にはかけないものかもしれませんね。

もし何かコメントがありましたら是非お願いします。