Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

暑い日々の後に嵐が来るかな?

2007年05月26日 | 生活
30度近い暑さの続くこの数日でした。

南西方面では豪雨が降り、洪水があちこちで起こって いるようです。
こちらでは午前中は晴れていたので、今日の昼は庭で バーべキューをしました。
食べ終わった今、にわかに空がかきくもり、雨になりそう・・・

昨日はサークルのダンスに行ってきました。
パソドブレ、クイックステップ、サンバと、盛りだくさん。
今までやったルーティンの復習が主でした。

終わったあとは例によってみなでおしゃべりをしていまし たが、デデさんというよくダンスの相手をしていただく方は、 自分で何軒も家を作っている人です。
今もまた作っていて、働いてばかりいるので、「旅行でも して、老後を楽しんだら?」という人がいました。

そうしたら、「いやいやそんな余裕はありません。」
なぜなら定年後の受け取るお金は月々800ユーロとか。 約12万円。
家はあるので、普通には生活して行けますって言って いました。
あと、働かなかったら徹底的に怠けてしまうのが怖いので 働きたい、ということです。 この感じってよくわかるな。

ダンスには欠かさず来るし、それ以外は家作りに没頭して いるデデさん。
生き方のひとつですね。

フランス大統領の第一日目

2007年05月17日 | 生活
今日はサルコジ氏が正式に大統領のポストについた日です。

シラク氏との交代を終え、シャンゼリゼ通りを車で移動。騎馬隊が車のあとに続き、素敵な行進でした。
アメリカ式に車の中に立って手を振るという動作をしました。

車から降りると、周りの人垣に向かって行き、人々に握手。
この行動は新しいジェネレーションの大統領だからだとのコメントがありました。
今までの大統領と違うのは戦争を体験していない大統領ということです。

「ファーストレディーになりたくない」
「第二回目の投票をしなかった」セシリア・サルコジ夫人とそれぞれの一回目に結婚した時の子供たち二人ずつと、この二人の間に生まれた息子との家族が前面に押し出されていました。(この二人は二回目の結婚で、サルコジ氏には一回目の結婚の時の二人の息子、セシリア婦人には二人の娘がいます)

サルコジとはうまく行っていなかったセシリアさんもセレモニーの時に涙を流し、それをサルコジ氏がぬぐってあげたというのをニュースでさりげなく取り上げていました。

セレモニーの後はすぐベルリンに行って、ドイツのアンゲラ・メルケル首相と会談。
時間を惜しんで、すぐにやるべき事の取り掛かろうとの意気込みをサルコジ大統領は見せました。

一方でバスティーユではサルコジ大統領批判のデモが行われていました。
リヨンの町でもアンチ・サルコジの大々的なデモがあったそうです。

これからどうなるか。

大統領の文化への価値観

2007年05月10日 | 生活
フランス・ミュージックと言うクラシック専門のラジオ局があります。
毎朝、仕事に行く時に聞くのですが、音楽関係のニュースがあって、今日興味深いことを言っていました。

「サルコジ大統領は文化に関してどれだけの造詣があるだろうか?シラク大統領は文化に高い関心を示していた。(シラク大統領曰く)自分は現代音楽が好きである。
ミッテラン大統領もジスカール大統領も文学、特に詩に高い関心があった。ジョルジュ・ポンピドゥー然り。

しかし、サルコジに関しては???である。学校教育に芸術関係の時間をまたもうけるとは言っているが、どこまで文化への理解者であろうか?」

角鹿さんのコメントで、「相撲」嫌いのサルコジについて書いてありましたが、文化についてもこのような考え方をしている事が十分考えられますね。

サルコジ氏、大統領となる

2007年05月07日 | 生活
5月6日(日)20時、ニコラ・サルコジ53,1%、セゴレンヌ・ロワイヤル46,9%で、ニコラ・サルコジの大統領が決定した。

この数字は予想の数字であるが、確実なものであり、すでに両候補者は20時前には結果がわかっていたようだ。

20時1分には負けたロワイヤル氏が早速声明を発表した。このあと行われる国会議員選挙に向けてまた戦いを続けるとのこと。負けたにもかかわらず、ロワイヤル支持の群集が集まり、まるで、勝ったかの印象さえ与えた。
このようなことは今までの大統領選挙では見られなかった事である。女性だからだろうか?

ニコラ・サルコジは声明発表の折、直ちにロワイヤル氏に敬意を表した。責任が肩にのしかかっているからか、声明を読み上げる声にいつもに増して力がこもっていた。

コンコルド広場にはびっしりと人が詰めかけ、シャンゼリゼ通りにサルコジ氏が現れるのを待っている。

どうなるか大統領選挙

2007年05月06日 | 生活
5月2日に恒例の大統領選挙候補二人のテレビ討論会がありました。
1974年に始まったこの最終候補者同士の討論会はかなりの緊張感を持ったものです。

1974年はジスカール・デスタンとフランソワ・ミッテラン。
ミッテランはこのテレビ撮りをそんなに重く見ていなかった。それに比してジスカールは準備万端だったらしいです。
自分がエレガントに見えるようにどの位置から撮るとか、テレビに映る枠を決めたりしていたらしいです。
これでミッテランは押されてしまい、敗北を記したと言われています。

次の1981年は同じく、ジスカール・デスタン対ミッテラン。
この時はミッテランは前回の教訓を身にしみて感じ、準備は万全。
歯も治して、口元はぐっときれいになりました。
討論においても、前回はジスカールに押されっぱなしが、この時はミッテランが押しっぱなし。

余談ですが、このとき、私はワーグナーの「神々のたそがれ」の本番の時でした。
どっちが勝ったかをミッテランだったら指三本下に向けて、ジスカールだったら日本をVの字にして示す、との決まりを作り、インスペクターが教えると言う、まことに不埒な事をしました。それくらい関心の高い選挙でした。

その次は1988年、ミッテランとジャック・シラク。この時はミッテランは大統領で、シラクは首相でした。
大統領選挙ですから候補者として同じ立場で話す事が建前で、そのようにいいながらも、ミッテランは終始、シラクのことを、「Premier Ministre」(首相)と読んでいました。すごい狸親父ですね。いやらしいくらいですよ。でもそれくらいしないと相手を蹴落とせないのかな?

そこで、この5月2日のサルコジーとロワイヤルの対談ですが、それまでの対談に比べると、ぐっと格が落ちた気がしました。

ロワイヤルは素敵なスーツに身を固め、髪型もシンプルに、しかしとても清楚な感じにまとめ見た目はばっちり。視線は終始、サルコジーに向けられ、押し出し十分でした。
それに比して、サルコジーはしょっ中視線は司会をするジャーナリストの方に向けられ、ちょっと背中も丸めて、ロワイヤルに押される感じを受けました。

話す内容はサルコジーのほうが具体的でわかりやすく、キッパリしていましたが、このキッパリした所が怖いと思います。

内容は内政の事に大半が向けられ、国際面での話が少なかったのが残念でした。

どちらが当選しても、今までのフランスのあり方がかなり変わってくる気がして、多少危惧を抱きます。

これが危惧ですんでくれることを切に願って、みんなに「しっかり投票しててね!」と言ってきました。