カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

母との会話

2011-02-12 19:49:34 | 日記
 91歳になる母は認知症だがまだ一人で暮らしている。
日本にいる時はたまに母のところにいって、ゆっくりいろんな話をしてきたものだ。カナダからはスカイプを使って10日に1回は電話している。「それでいつ帰ってくるの?」と5分話したら必ずその質問を始める。今日の会話も4回その質問をされて最後にはおかしくなって笑いながら返答した。デメンシャ認知症の母に、さっき言ったでしょうなんて、無粋な返答はしない。聞かれたらはじめて聞かれたように、何回も同じく答えるのだ。本当は4月には帰れないと思うが、「4月ころにかえれるかなぁ。。」と答える。それでなくても寂しい思いをしてるのに悲しませたくはないし、また忘れてしまうのだ。私の声はまだ覚えているといってるが顔が思い出せないそうだ。。。今度帰った時は「だれ?」といわれてしまうかもしれないなぁ。しかし声はまだとても若々しい。昔からの母の声だ。元気だよ、風邪も引いてないし、痛いとこもどこもない。ディケアでお風呂に入れてもらって、ごはんも出してもらってありがたいよ。。この感謝の気持ちを忘れないのが母の心の平安の根源のようだ。

仕事が決まった!

2011-02-12 09:00:51 | 日記
アブさん。コメントありがとう。さすが詩人。。ぴったりの表現です。
学生生活も残すところ一ヵ月半となり、1月後半は仕事のインタビューやレジメ送りや、生来呑気な私だがなにやら落ち着かない日々を過ごしてた。
 ある日、紹介されたNPOの人材派遣会社とようやく連絡が取れ、電話で紹介された仕事先の説明を受けたが、英語が早くてわけがわからない。。そこで会社を訪問することにした。
 担当者はエネルギッシュでラブリーな女性、、自分のレジメを持ってインタビューに答えたところ、、意気投合した。
 翌朝、仕事先からインタビュー希望の電話があり土曜におこなわれた。個人情報のため詳細は語れないが、仕事内容もまあまあで、人間と人間のマッチングというか、この人たちのためなら働きたい、、という気持ちもあり、オファーに即答した。しかし相手は、一晩ゆっくり考えて翌朝電話ほしいとのことで、そのまま帰った。一晩たっても私の意志に変更はなく、電話をかけたら「オッサム!」と、喜んでくれた。
 その後2年間のコントラクト契約を結び、今はテンポラリーワークパーミットをとるための準備中である。カナダも失業率が増えてきており、以前のように簡単に移民できる国ではなくなってきている。特に建築業界は打撃を受け、シェアハウスに同居しているカナダ人はBC州には仕事がなくて、ここにきている。
 2年後には家族移民の手続きを始め、4年後に許可が下りるかどうか、、長い道のりである。
カナダで仕事を探すのに心地よいのは、年齢を理由に雇用しないという話を雇用主はしないということ。経験がマッチするかどうか重要のようだ。また口コミの社会というか、私は学校からの推薦があってこの仕事が取れた。日本から自分で探そうとしてた時もあったが、ただメールを送っていただけだったのでなんの返答もなかったことを思い出す。よいスタートであると思うし家族も喜んでくれている。
 これで来年の娘の高校入学の手続きも本格的に開始できる。
インターナショナル スチュウデント プログラムというカテゴリーで、学生ビザを日本で取って留学するというような感じ。学校の成績表、推薦、年間150万の授業料、カナダでのホームスティが毎月食事つきで6万円、などなど大学留学ほどではないが、我が家にしてみると結構な料金である。高校卒業する頃にはめでたく移民の許可が下りてれば、いいなぁと思う。
 4月からうまくビザが下りればさっそく仕事開始なので、来年に向けて安定した生活が送れるよう励んで生きたい。
 1週間後には友人と娘が日本から来てくれる。冬のナイアガラ観光も楽しみである。夫の友人に20年ぶりにトロントの空港で会えるかもしれない。